漂流の殺し屋剣士の副業 1
漂流の殺し屋剣士の副業 1
「あの……」
頭の上から女の子の声が聞こえた。
アイゼンが目を開けて顔を上げると、十歳くらいの可愛い女の子がこちらを見ている。
透き通るような白い肌とつやのある金髪。人形のような綺麗な少女だった。
「やあ、こんにちわ」
「こんにちわ……」
とても柔らかい声。きっと優しい子なんだろう。
「ここで何をしているの?」
「仕事だよ」
「お仕事?」
「人通りの多い道端に座って、居眠りするのが僕の仕事なんだ」
女の子が楽しそうに微笑んで、僕の横に腰を下ろした。人懐っこい子だ。服がずいぶんと擦り切れているが、汚れてはいない。香料をつけているのか、いい匂いがする。
「どうして居眠りが仕事なの?」
女の子が不思議そうに訊ねてきた。
「こうやってね。ぼんやりと多くの人が歩くを眺めるのが僕の仕事なんだ」
「それのどこがお仕事なの?」
「こうやって、人を捜しているんだよ」
「人探し? 警察の人なの?」
「たっだのつまらないおじさんだよ」
アイゼンが微笑みながら、静かに首を横に振った。
「君は何してるんだい?」
女の子が黙って下を向いた。どうやら、話したくないらしい。
「お友達はいるのかい?」
寂しそうに首を横に振る。
見たところ、空腹のようだ。こんな子供たちを、今まで何人も見てきた。
アイゼンが横に置いてあった包みを開けてパンを取り出すと、女の子がパンをじっと見つめている。
「食べるかい?」
女の子が首を横に振ったが、かまわずに半分にちぎって女の子に渡した。女の子は手に持ったパンをじっと見ている。明らかに空腹なのだが、食べようとしない。
「食べていいんだよ。どうして食べないんだい?」
「あ、あとで、食べる……」
どうやら、家族のために持って帰ろうとしているようだ。
包みの中からもうひとつパンを取り出して少女に膝の上に置いた。驚いた少女がこちらを見ている。
「そのパンはおうちの人にあげるんだ。持って帰るといい。だから、そっちのパンはここで食べてもいいんだよ」
少女はしばらく手に持ったパンを見つめていたが、ようやく噛り付いた。
「そのパン、すごく美味しいだろ?」
「うん」
少女が夢中でパンを食べている。そのまま二人並んでパンを食べた。
目の前を、馬車が横ぎって、近くの宿の前に停まった。男が五人降りてきた。太った大柄の男が、大声で笑っている。
やっと見つけた。
少女はあっという間にパンを平らげた。
「おうちの人に持って帰ってあげるかい?」
「うん」
少女が服のポケットから何かを取り出してアイゼンに差し出した。緑の綺麗な石だった。
「前のおうちの近くの川で拾ったの」
「綺麗だね」
「これ、あげる。パンのお礼」
「ありがとう。でも、大切にして入るんだろ? パンと交換なんてつりあわないよ。おじさんが今度、もっといい物と交換してあげる」
アイゼンがそういうと、少女が嬉しそうに立ち上がった。
通りを歩いていく。さっきの五人組の入った宿の前を通る。横目で見る。二階の窓が開いていて、さっきの笑い声が通りにまで漏れてきていた。
女の子は名前をシェルファといった。家の話を聞こうとすると、急に口を噤んだ。家の外で家族のことを話すなと口止めでもされているのだろう。それでも、シェルファが母親と二人暮らしであること、三日ほど前にこの街にやってきたことを聞き出せた。
パンを大事そうに抱えたシェルファが、手を振って家に帰っていった。
漂流の殺し屋剣士の副業 2
漂流の殺し屋剣士の副業 2
暗闇の中から笑い声が聞こえてきた。
馬車の陰から道路に出る。アイゼンを認めた男たちが,足を止めた。
「なんだあ?」
酔った男が肩を怒らせながら近づいてきた。息が酒臭い。
「ゲーリー・ローランドだな」
アイゼンの言葉に、目の前の男の表情が変わった。
腰の剣を抜いて、酒臭い男を一刀両断にする。
「う、うわああぁぁぁぁぁぁ!」
迫り来るアイゼンをみて、ローランドの前に立っていた護衛が慌てて剣を抜こうとしたが、アイゼンはあっという間に間合いを詰め、護衛をひと刺しにした。
「だれだ、おめえは?」
ローランドの声が震えている。
隙を狙った別の護衛が剣を振りかざして踏み込んできたが、アイゼンの腕が動いた瞬間に、彼の首は体から斬り離されていた。
アイゼンは容赦なくその首を掴むと、残った二人に投げつける。最後に残った護衛が悲鳴をあげるが、踏み込んできたアイゼンにあっという間に斬り伏せられた。
一人残ったローランドが、呆然としている。
「だれに……雇われた……?」
ローランドの質問には答えず、ゆっくりと近づいていく。
四人の屈強な護衛をあっという間に斬り殺された。圧倒的な戦いぶりを見せつけられ、ローランドはすっかり腰が引けてしまっている。
アイゼンが斬り殺した四人はいずれも荒れくれ男で有名な元帝国軍兵士達だ。ローランドも大金を払ってこの男達を雇っていたのだろう。訓練もされていた腕自慢だったのだろうが、これまで幾多の修羅場を潜り抜けてきたアイゼンとは場数が違いすぎたのだ。
「助けてくれ……」
「そう懇願されても、おまえたちは助けなかった」
「えっ?」
「目の前で自分の妻をさんざん犯された挙句、こいつ等に嬲り殺されたんだ。殺し屋を雇って仇撃ちもしたくなるだろう。当選の報いだと思って諦めろ」
「まさか、ジャンが……。あいつに殺し屋を雇う金など……」
「うまいパンを二個、もらったさ」
「パン? たったそれだけで殺しを引き受けたっていうか?」
血に濡れた剣をローランドの前に突き出した。
「ま、待ってくれ! 助けてくれたら金をやる。金貨を二十枚もってるんだ! お願いだから見逃してくれ!」
「そうか、金貨二十枚か。お前を殺したらいただく事にするよ」
「うわあああぁぁぁ!」
背を向けて逃げ出そうとしたローランドの首を、後ろから撥ねた。
漂流の殺し屋剣士の副業 3
漂流の殺し屋剣士の副業 3
街を離れて半日。
隣の町に到着した。よくある、他方との街道を結ぶ宿場町だ。
食事を取ろうと、近くの宿屋に入った。中は明るい笑声が響いていた。
猪の肉とジャガイモのスープを平らげたとき、扉が勢いよく開き、大勢の兵たちが入ってきた。
「この辺りで娘を連れた金髪の女を見かけたものはいないか?」
一際目付きの鋭い兵士が、中にいる客達に射抜くような視線を投げた。兵士たちの軍服は正規軍の物ではない。
傭兵か。
「母親の名はエスレーナ・ノインシュタイン、娘はシェルファという。見かけた者はすぐに通報しろ。見つけたものには賞金として金貨五十枚を授ける」
店内がどよめいた。
シェルファ。昨日会った娘か。
貧相な服を着ていたが、きちんと洗われていて、丁寧に補修もされていた。それにあの香料の匂いは東洋からもたらされた高級品、おそらく龍涎香の匂いだ。
兵達が出ていっても、中はまだざわついていた。
「あんな兵士に弱い親子を追いかけさせるなんて。しかも、賞金まで……。全く、物騒な世の中になっちまったもんだぜ……」
「しかし、金貨五十枚とはすごいじゃないか。見つけたら一年は遊んで暮らせるぞ」
横で飲んでいる二人組の男たちが言った。
「お尋ね者の母娘とは何者ですか?」
アイゼンがその客に声をかけた。
「となりの領主、ベルトン・ノインシュタイン公爵の妻と娘だよ。実は数日前に騒ぎがあってね。領主だったベルトンが投獄されて叔父のルーカスが領主になったんだが、妻が娘を連れて逃げ出したんだよ」
よくあるお家騒動のようだ。元領主のベルトンはまだ生きているらしいが、支持派による奪還を恐れて厳重な牢獄につながれているらしい。
宿場から外に出る。騎乗した傭兵たちが十名ほど、通りに面した家々の前で大声を上げている。
仕事は終わった。特に次の予定も無い。
アイゼンは、昨日までいた街へ向かう駅馬車に乗った。
街に戻ったときは日が暮れていた。
昨日、シェルファが入っていった家の扉を叩く。応答は無いが、人の気配を感じる。
「こんな時間に申し訳ないが、ここを開けていただきたい。私はアイゼン・ユンゲラーという者です。こちらにいらっしゃるシェルファ様の友人です」
しばらくして、ドアがゆっくりと開いた。美しい金髪の女性がランプを持って立っていた。彼女の後ろにいたシェルファが微笑んだ。
彼女が母親に、昨日パンをくれた人だと言った。母親がアイゼンに丁寧に礼を述べた。
「エスレーナ・ノインシュタイン様ですね」
エスレーナの表情が強張った。
「ルーカスという男が傭兵を使ってあなたたち親子を捜しています。金貨五十枚の賞金までかけて」
「知っています」母が娘を抱き寄せた。
「この街にもルーカスの手の者がやってくるでしょう。早く街から離れたほうがいい」
しかし、彼女の表情は変わらなかった。辛そうな顔で、愛娘の頭を撫でている。
「もう私達には逃げる手立てがありません……。着の身着のままで逃げ出したのでお金もないのです。昨日あなたからいただいたパンも、三日ぶりの食事でした。私達はもう暮らしていけません。お恥ずかしいのですが、私はお金を稼ぐ手立てを知らないのです。この歳まで働いたことなど無いのです。せめて娘だけでもなんとか……」
「シェルファ様を孤児院に入れるおつもりですか。あそこはひどいところです。私も孤児院にいたので良く知っています」
エスレーナの表情が固まった。
「領地に戻れば支援者の方々がいらっしゃると、先ほど噂で聞きました。そうすればルーカスを追い出すことができるのではないですか?」
「ご存知の通り、ルーカスは傭兵を雇っているのです。それも戦場で名をはせた猛者たちを。城を守っていた騎士たちは全員殺されました。今となっては、支援者は元使用人や司祭や農民の方です。かないっこありません」
「わかりました。では、私がベルトン様をお救いして支援者の方々に引き渡しましょう。それから、傭兵どもを始末しましょう」
エスレーナが驚いて顔を上げた。アイゼンがテーブルに金貨を二十枚置いた。昨夜、ローランドから奪ったものだ。
「これだけあればしばらく暮らせるでしょう。事が済めばベルトン様がここに使いの者をよこすはずですから、それまでお待ちください」
アイゼンはそばに寄ってきたシェルファの頭を撫でた。
「パパを助けてあげるから、待ってるんだよ」
シェルファがポケットから、あの緑の石を取り出した。
「これ……」
掌に載せられた石は、少女の体温で温かかった。
漂流の殺し屋剣士の副業 4
漂流の殺し屋剣士の副業 4
馬車の外へ出ると、強く吹き付けてきた風に目を細めた。
鉱山麓の町へと続く山道。ふだんは人の行き交いが少ないはずなのに、周囲は多くの馬蹄で踏み荒らされ、殺伐とした空気に包まれていた。
足元にはまだ雪が残っている。かなり標高の高い場所だ。
黒くくすんだ牢獄の石壁を見上げていると、そばに屈強な兵士がやってきた。
「誰だ、お前?」
「ここにベルトン・ノインシュタイン様がつながれているのかい?」
「はあ?」
「ベルトン様を連れて屋敷に帰るので、すぐに連れてきてくれ」
「何言ってるんだ、お前は?」
他の兵達もやってきて、アイゼンの周囲を囲んだ。
「こいつ、ベルトンを連れて来いといってやがるんだ。馬鹿じゃねえのか」
兵士たちがアイゼンを嘲笑っている。
「聞こえているのなら、さっさとベルトン様を連れて来い。俺も無駄な殺生はしたくないんだ」
「何だと、こらぁ!」
周囲の傭兵達が一斉に剣を抜いたが、それよりも早くアイゼンの剣が電光の如き宙を舞った。
生首が三つ、地面を転がる。
兵達が無様に吼えた。逃げ出そうとするものもかまわず後ろから斬り捨てた。血飛沫が散り、血潮が舞った。
アイゼンの一刀が、目の前にいたリーダー格の兵の心臓を深々と貫いた。
一人残った兵士が、恐怖を顔に張り付かせて尻をついている。その兵士に刃を向ける。
「た、助けてくれ……」
「だからいっただろう。さあ、ベルトン様のところに連れていってもらおう」
兵士にベルトンが監禁させられている牢へと案内させる。
牢の中のベルトンは若く精悍な男だったが、かなりやつれている。アイゼンを見たベルトンが床から立ち上がった。
「私はアイゼン・ユンゲラーと申します。エスレーナ様およびシェルファ様の命によりお助けに参りました」
「妻と娘に? ふたりは元気なのか?」
「はい、ご心配には及びません」
鍵を開けてベルトンを牢から出す。
「馬で領地に戻って、支援者の方々と接触してください」
「しかし、叔父上と決着をつけなくては」
「私が先に城に戻り、傭兵どもを始末します。その後でルーカスの処分を決めればよろしいかと」
「始末するって、あなた一人でか? 城には二十名もの傭兵たちがいるんだ」
「ご心配は無用です」
雪の地面を蹴り上げ、馬に跨った。
城の門の前で、馬を停められた。
馬から降りるよう命じられ、地面を踏みしめた。一人の兵士が、アイゼンの眼前に立ちふさがった。
「お前は誰だ?」
「アイゼン・ユンゲラー。ベルトン・ノインシュタイン様の命により、傭兵どもを成敗に参った」
「ベルトン様だと?」
兵士が驚いた表情を見せた。てっきり怒りを露に斬りかかってくるものと思っていたアイゼンは拍子抜けした。
このものはベルトンを慕っているのだろう。もしかしたら他にも同じような兵士がいるかも知れない。
「ここの兵達でベルトン様に味方してくれるものはいるか?」
「いるかとううか、兵達はすべてベルトン様をお慕いしている。しかし、あの傭兵どもに太刀打ちできないのだ。それはそうと、あんた、さっき傭兵どもを成敗するとかいっていたが」
「傭兵達はどこに?」
「城の中だ。ルーカス野郎にべったりくっついてやがる」
ルーカス野郎か。正規の兵達はベルトン側ということだ。しかし、これだけの手勢がいてもかなわないとは、ルーカスの雇っている傭兵はよほどの者なのだろう。
「では、私一人でいってくる。君達はここで待っていてくれ。すべてが終わるまで城には入らないように」
兵達がぽかんとしている。
「まもなく、ベルトン様がお仲間とともにこの城にやってくると思うが、私が出てくるまで城の中に入らないように引き止めて置いてくれ」
「一人でって……かなうわけ無いだろう」
「心配は無用だ」
そういうと、兵士達をその場に残して、城門に向かう坂道を登っていった。