ハイエナたちの掟 1
ケニーGの「BIRD」が終わっても、エミリーはカウンターに突っ伏したままだった。貢相手のホストから「恋ではなく仕事の付き合い」と告げられたのが、号泣の原因のようだ。エミリが働くガールズバーには、同じような境遇の女の子が何人もいる。
彼女の話では、二月前、初めてミナミにあるホストクラブへ遊びにいったらしい。それまでホストクラブになど興味などなかったが、店の友達にしつこく誘われて、重い足を引きずっていったらしい。その時横に座ったヒロキという男に心を奪われた。初回五千円だった料金が、二回目以降は数万円から、多いときで十万円くらいまで一気に上がる。彼女はバイト代が入るたびにヒロキの元に通い、高い酒を飲んだ。支払いで現金が足りなければ、ツケを意味する「未収」扱いになる。店に対してはホストが未収を肩代わりするため、客はホストからの取り立てに追われる。
「ヒロキが俺をナンバーワンにしてくれってゆうから、頑張ってきたのに」
エミリが洟を啜り上げる。彼女がこれまでホストに突っ込んだ金は二百万近くになる。
「ツケはどれくらい溜まっているんだ」
省吾がグラスを拭きながら尋ねると、彼女が右手を挙げて手のひらを広げる。
「百万……」
「どうするんだ?」
「ヒロキがもっと稼ぎのいい仕事あるから紹介してやるって」
「風俗か?」
省吾の言葉にエミリがこくりと頷く。
「それが連中の手なんだよ。お前もいい加減目を覚ませ。友達はもう風俗に落とされちまったんだろ?」
「でも、ノリコ、頑張ってるよ、ヨシユキのために。新しいお店でも店長に、どこまでできるかこれからが勝負やでって励まされたんやて」
「そのノリコちゃんはどれだけ溜めてるんだ?」
「三百万くらいかな。でも、夜の仕事終わるとヨシユキの店に行って、いつもラストまでなんよ。この前もルイ13世入れたってゆうてた。むっちゃ幸せそうやったで」
ルイ13世といえば、一本数十万円という超高級ブランデーだ。それを彼女はこれまで何本も注文してきたのだろう。ホストに何百万もの未収を抱え、途方に暮れる女の子をこれまで何人も見てきた。
「連中はグルなんだよ。ついでに言っといてやると、お前の店の店長も奴らの仲間だ」
「えっ、ほんま?」
エミリがテーブルに伏せていた顔を勢いよくあげた。ガールズバーに働きにやってきた店の女の子の一人にホスト遊びを覚えさせる。一人をホストにはまらせることができたら、あとは芋づる式に、店の子が次から次に誘い合ってホストにはまっていく。店の給料は系列店のホストクラブに流れ、女の子はホスト達に借金を背負わされていく。やがて借金まみれになった彼女たちは、同じ系列の風俗店に送られることになる。
「でも、ヒロキにお金返さんと……」
「踏み倒しちまえよ」
「けど、そんなことしたらヒロキが……」
「今までそいつに百万使ってんだろ? ツケでチャラにしてもらえ」
エミリが黙ってジンフィズのグラスに口をつける。
「マスター、慰めてくれる?」エミリが上目使いの目を向ける。
「いくらでも慰めてやるよ。喰いたい物作ってやる」
「ほら、やっぱりはぐらかすやんか。そんな慰めやったらいらんわ」
エミリが顔を大きく歪める。目から毀れた大粒の涙がテーブルに落ちる。
「わかったよ。店が終わったら付き合ってやる」
「ほんま?」
エミリの顔が明るく光る。さっきまで泣いていたのが芝居かウソのようだ。
「じゃあ、レバニラ炒め作っといて」
そういってスツールから飛び降りるとショルダーバッグから携帯電話を取り出して店の外に飛び出していった。親に連絡するつもりなのだろう。エミリはまだまだまともな女の子だ。
有線のチャンネルを変える。エミリがいなくなった店内に静かなジャズが流れる。閉店まであと一時間。もう客は来そうにない。
冷蔵庫から生レバーとニラを取り出す。料理鋏でレバーとニラを切り、ステンレスのボールの中に落としていく。フライパンをガスレンジに置いた時、来客を知らせるドアベルがからんと鳴いた。
「すぐにできるからどこにも行くなよ」
そう言って顔をドアに向けると、二十代半ばの女が立っていた。
「これから何か作ってくれるの?」
ドアの前から女がほほ笑んでくる。アーミーのTシャツに白のショートパンツ。ファッションはアメ村スタイルだが、この店の客にしては落ち着いた感じだった。
「さっきまでいた知り合いが戻ってきたと思ったもんで」
そういって、省吾が女に席を勧める。いい女だ。
女がアーリータイムズのロックを注文する。省吾は透き通った氷を取り出すと、ナイフで手早く丸いボールに削った。
「器用ねえ」
バーボンに浮かぶグラスの中の丸い氷を転がしながら、彼女が優雅に笑った。省吾は熱したフライパンにごま油をたらし、レバーとニラを放り込んだ。
「この店のお勧めなんですよ」
「私にもいただける?」
「もちろん」
手早く材料を炒め、二つの皿に盛って、その一つを女の前に置いた。
「材料が余る予定だったので、これはサービスだ」
「本当にいいの?」
そういって箸を取ると、ひとつまみ口に運んだ。
「おいしい」
女はにっこり笑い、バーボンを一口のどに流し込む。
「大阪の方じゃないね」
「銚子からきたの」
「ああ、千葉県の」
「田舎者と思ったでしょ」
「とんでもない」
「あなたも標準語ね」
「生まれは横浜。二十歳の時にこの街に来てちょうど十年になるんです」
ベルの音が鳴り、エミリが店に入ってきた。
「あ……いらっしゃいませ」
エミリが客に微笑みかける。
「お前はいつからここの店員になったんだ?」そういって、もう一つの皿をエミリの前に置いた。
「おいしかった」
女が空いた皿に箸をおいて両手を合わせた。
「ねえ、マスター」お代わりのロックに口をつけて、彼女がカウンターに身を乗り出した。
「りりぃって女の子、知ってる?」
「それって本名?」
「本名は本間千賀子。歳は十七歳。このあたりにいるって聞いたんだけど」
「どっちの名前も聞いたことないなあ」そういって省吾はエミリを見た。彼女も首を横に振っている。
「もしわかったら、この番号に電話して」
差し出したポストイットに携帯の番号と、女の名前なのか「ゆうこ」とひらがなで書いてある。女は金を払うと、振り返ることなく軽快に店を出て行った。
「新手の逆ナンや。マスター、誘惑されてたんやで。もっと気ぃつけな」
エミリがポストイットのメモをひらひら空中で振りながら顔を顰めた。
ハイエナたちの掟 2
シャッターを下ろした店の中で、エミリは陽気に酒を飲んだ。ロックが聞きたいと言い出したが、この店にはジャズしかないというと、ジャズのリズムに合わせて腰を振り始めた。タイトなミニスカートに包まれた彼女の形のいい尻が揺れるのを見ながら、省吾はワイルドターキーを生のままのどに流し込んだ。
エミリは何杯目かの水割りを空けた。ガールズバーで働くようになってから強くなったようだ。店では、男性客は三千円で飲み放題。女性店員は、客引きに成功すると三百円、客から酒をおごってもらうと一杯あたり五百円が支給されるシステムらしい。たわいもない会話で男たちを盛り上げ、満面の笑みを向けて奢ってほしいとねだれば、むげに断る男はいないだろう。そうして客の男は約一時間で一万円を払い、女の手に三千円が渡る。客を十人拾って来れば三万円を一晩で稼げるが、水割りを二十杯は喉に流し込まなくてはならない。女たちの身体にかかる負担は重く、閉店後に意識不明に陥り、そのまま息を引き取った少女もいた。
「もう、飲まれへん」
午前二時を回り、エミリが省吾の胸の中に倒れてきた。店の奥にあるドアを開けると、六畳の部屋が二つ、その奥に小さなシャワールームがある。部屋の一つを倉庫に使い、残りの部屋が省吾の寝室だった。
エミリをベッドに寝かせ、Tシャツを頭から引き抜くと、彼女自慢のDカップの胸が揺れた。ピンクのブラが汗で湿っている。
「シャワー浴びさせて」
胸を両手で隠しながらエミリが省吾を見つめた。
「このままがいい」
「汗臭いやんか」
「俺はお前の匂いが嗅ぎたいんだ。若い女の汗の匂い、脇の匂い、あそこの匂い」
「マスターの変態」
省吾はエミリのブラを鷲掴みにし、上に引き上げた。彼女の白い乳房がこぼれるように姿を見せる。
「もう、明るいやんか」
両手で胸を覆うエミリの腰をつかみ、ミニのスカートをはぎ取る。エミリが省吾に抱きついてキスをする。さわり心地の良い彼女の乳房をしばらく堪能してから、手を下に卸してショーツの中に潜り込ませた。
「ちょっと、汚いよぉ……」
身をよじりエミリが甘い吐息を吐く。指で荒っぽくかき回していると、やがて湿っぽい音が響いてきた。恥ずかしそうに省吾の手を押さえようとするが、力が入らない。エミリの右手が省吾の股間に伸び、すでに勃起しているペニスをズボンの上から撫でまわした。
「私だけなんて、ずるいわ」
ズボンのジッパを下ろし、手を差し込んでペニスを握る。省吾が指の動きを激しくすると、エミリはそのまま高い声を上げて身体をのけぞらせ、ペニスを握りしめていた右手をズボンから引き抜いて慌てて省吾の手首をつかんだ。
エミリのショーツを足から引き抜いていく。少し小ぶりの性器がうっすらと唇を開けている。省吾は全裸になってエミリに覆いかぶさり、彼女の中に入った。夢中で抱きついてくるエミリの頬や唇にキスしながら、ペニスの先で彼女の中を丁寧に探る。エミリが反応した個所をじっくりと時間をかけて攻めると、切なそうな喘ぎ声をあげながら自分から腰を動かしてくる。エミリの反応を見ながらゆっくりと動いて彼女を追い詰めていくと、やがて大きな叫び声をあげて達した。
エミリが省吾の身体を抱きしめた。
「ああん、凄い」エミリが荒い息で省吾を見つめる。
「私、中でいったん、初めてや」
「本当か?」
「今までの男の子、みんなすぐに終わってたから」
「それは気の毒だったな」
少し休んで再び同じ動きをする。さっきと同じようにゆっくりと動いたが、エミリは一分もたたないうちにオーガズムに達した。今度は彼女を休ませることなく、ピッチを上げて小刻みに動いた。襲い掛かってくる快感から逃れようとエミリは省吾の下で必死に身を捩っていたが、すぐに大きな声を上げて省吾の大きな体にしがみついてきた。休まずに深く大きなストロークに切り替えると、エミリは声を上げて立て続けに上り詰めた。省吾もエミリと同時に上り詰めようと、彼女の反応を見ながらスパートのピッチを調節する。
彼女の安堵の表情に刺激されてエミリが上り詰めていく様子を見ながら、省吾が腰の動きを速めた。彼女と並んで同じ階段を駆け上がる。エミリが最後の叫び声をあげると同時に、省吾も彼女の体の奥で射精した。その瞬間、思わず呻き声を漏らしてしまった。
「すごく良かった。マスターも気持ちよかった?」
肩で息をしながらエミリが聞いてくる。
「よかったよ」
省吾の顔を見たエミリが嬉しそうに布団の中に潜り込んだ。
省吾は床に脱ぎ捨てたシャツを拾い上げて身体を流れ落ちる汗をぬぐった。床に転がっていたドライジンの瓶を拾うと、栓を開けて喉に流し込んだ。
「私もなんか飲も」
布団からでたエミリが立ち上がり、全裸のままドアノブに手をかけた。そして、「あっ!」小さく叫ぶとその場でしゃがんだ。
「どうした?」
「マスターのが出てきた」
そういってそばにあった箱からティッシュを二枚引き抜いて股間に充てると、そのままドアを開けて店に出て行った。
省吾はテーブルの上の携帯電話を手に取り、泉谷雅人を呼び出した。
「よう」
ロックが聞こえてくる。泉谷はどこかの店で飲んでいるようだった。
「今、どこにおるんや」
「店だ」
「ジェロニモにおるんや。出てくるか」
「今、若い女と一戦終えたところだ」
省吾の言葉に泉谷が低く笑った。
「あ、そや。言おう思とったんやけど、明日の夜、あの部屋の両隣がおらんようになるんや。水道局やけど、明日あさっておりますかってきいたら、両隣とも旅行にいくみたいや」
「連休だからな。下の階は?」
「部屋におるみたいや。でも、爺さん婆さんやから、少々でかい音出しても大丈夫や。耳遠いし」
「まあ、上の階の住人が出す音なんか、気にしないだろう。明日の夜決行だな」
「北山には、今後の予定連絡するようにいうとくわ」
「お前、りりぃって女知ってるか? 本名は本間千賀子、岡山の津山出身なんだが」
「しらんなあ。りりぃいうたら、どこかの風俗嬢かもな。仕事か?」
「いや、客に聞かれただけだ。知らなければいい」
「いちおう情報流しとくわ」
「頼む」
電話を切ると、エミリがビールを入れたグラスを二つ持ってきた。
「誰に電話しとったん?」
「飲み仲間だ」そういって、グラスを一気にあげる。
「お前、この店で働くか?」
「雇うてくれんの?」
「今の店ほど出せないがな。野暮用で留守にするときが多くなる。店番を頼む」
「野暮用って」
「友達の手伝いだよ」
そう言って、銜えたタバコに火をつけた。
調査屋の仲間のアンテナにある事案が引っかかった。先日競売でマンションを落としたが、男が居座ったまま出ていかないで困っている奴がいると聞かされた。話を聞きにいくと、裁判に勝ったが、強制できないと言われて困っているといって、頭を抱えていた。しばらくしてヤクザがやってきて、落札価格の半分をくれるなら追い出してやってもいいという。
それが連中の手口だ。居座っている男とそのヤクザはグルなのだ。
「俺たちなら一割でいいですよ」というと、彼は喜んで依頼してきた。
「おまえ、明日の夜は家に帰れよ」
省吾の言葉にエミリが瞳を潤ませた。
「やっぱり追い出すきなんや」
「明日の夜は仕事なんだ」
「じゃあ、留守番しといたるわ」そういって布団の中に潜り込んだ。
ハイエナたちの掟 3
すべての曲を歌い終えたとき、強烈なライトが顔を照らした。
大歓声に包まれた。会場を埋め尽くす黒い塊がうごめいて、酒に酔ったような浮遊感を覚える。この会場を自分たちが満席にしている。それが決して自分だけの力ではないとわかっていても、鳥肌が立ってくる。
遠藤リナは大きく息を吸って手を振って歓声に応えた。照明で熱せられた少し汗臭い空気が肺を満たす。興奮で乳首が硬く穿っているのがわかる。
「みんな、今日は本当にありがとう!」
ブルーの短いスカートの裾をひらひらさせながら、リーダーの大森ナナエが手を振る。観客たちがペンライトをあげて空中で大きく振り回している。ナナエの脇を固めるセンターの少女たちも口々にありがとうを叫んでいる。
私のほうがずっと可愛いのに、どうしてこいつらがセンターなのよ。
遠藤リナは思う。所属事務所の力で決まる序列。不公平だ。
幕が下りてメンバーたちがぞろぞろとステージの脇に下りていく。
「お疲れさん」
各事務所のマネージャーたちが自分たちの所属タレントたちにタオルを差し出していく。
「お疲れ」
遠藤リナもマネージャーの高峰英輝からタオルを受け取った。高峰は若い男で、事務所のタレントたちに人気のある男だ。陰に隠れて、タレントに手を出しているとの噂もある。そのうち社長にばれて殺されるだろう。なんなら、私がちくってやってもいい。
大きな扇風機が回り、少女たちが体温を冷やし汗を乾かしている。幕の向こうでアンコールの声が響き渡っている。あと二曲歌うのがお約束だ。リナは風に当たりながらペットボトルのミネラルウォーターをのどに流し込んでいく。残りのメンバーも今のうちにと黙って水分補給を続けていた。
大音響のイントロが流れた。あと一分ほどでステージの幕が開く。
「もう少しだから、がんばってや、みんな」
コンサートを主催している会社の責任者が声を上げた。
あと二曲だ。遠藤リナはタオルをマネージャーに渡し、他のメンバーとともにステージに戻っていった。
ステージの幕が開き始めると、両サイドで控えていた少女たちがステージに飛び出していった。
ようやくステージは終わった。笑顔でステージから手を振っていた三十人のメンバーは、幕が閉じると同時に、誰もが顔に疲労を浮かべた。
「疲れたぁ」川崎ミカがステージ衣装の前を開ける。彼女の大きな胸で前がはじけそうになっている。ブラが見えているが気にする様子もない。センターの大森ナナエはさっさと控え室に戻っていった。
「やな感じ」彼女の後姿を見て、川崎ミカが憎まれ口を叩いた。
控え室は二つの会議室をあわせた広いスペースだった。殺風景な部屋に長テーブルとパイプ椅子が並べられ、部屋の隅にメンバーの鞄が床に並べられている。全国区のアイドルグループを真似ただけのご当地ユニットのマイナーアイドルに、個人のロッカーなんてものは用意されない。それでも、大森ナナエを含めセンターに陣取る五名のメンバーにだけ個室が用意され、ヘアメイクがつく。センターを取って名を売り、有名になって稼げるようになってから、卒業してソロで活動する。誰もがセンターを目指してしのぎを削る過酷な競争に身を投じているのだ。
「暑いなあ」
リナの横に座った川崎ミカが大股を広げスカートをパタパタやりだした。
「やめとき、蒸れたあそこの匂いが漂ってくるやんか」
「失礼な奴やな。あんたのもはよ乾かさんと、発酵してくるで」
そういって下品に笑う。ミカは童顔で実際の歳よりも幼く見える。肩でそろえた髪を黒に染めて薄く化粧をすると可愛い女子高生に見えるが、彼女は中学のときは髪を金色に染めて暴走族の男と付き合っていた、二十歳になったばかりの元不良娘だった。中年オヤジ相手に身体を売ることなどなんとも思っていない女で、中学を出てからは金に困ったときには自慢の肉感のある身体を差し出す代償に男たちから金を受け取っていた。今でもオフのときは、高級デリバリーヘルスに勤める風俗嬢に変わる。
ミカに限らず、このグループに属しているアイドルたちは誰も同じだ。売れるまでの間、だれもが男好きする可愛い身体を金に換えようと努力する。ほうっておくと少女の価値ある身体はあっという間に古びて価値を失ってしまう。有名になって芸能界で食べていけるのはごくわずかしかいない。売れるかどうかもわからないのに、この若くて綺麗な肉体をそれまで遊ばしておくことはないのだ。売れるときに売っておくのが賢い生き方なのだと、誰もが知っている。アイドルが処女などというのは、男の妄想か都市伝説でしかない。ここにいるメンバーの全員が経験済みであり、その大半が誰に処女をあげたのかも忘れている。
パンツが丸見えになるのも気にせずにスカートをパタパタしているもの。スマートフォンを眺めながらタバコを吸いだすもの。下品な声で笑うもの。控室で、傍若無人にふるまうアイドルたちの姿は、とてもファンたちには見せられない。部屋中に充満している饐えた匂いに、気分が悪くなってくる。
「私らのスカート、短すぎるやろ」
遠藤リナのスカートを引っ張って、川崎ミカがいった。
「見に来た男供にはパンツを見せるんがお約束なんや」
「でも、センターの五人はましな格好してたやん」
「センター以外はただの飾りなんや。引き立て役っちゅうやつや。私らもはよセンターを射止めんと、このまま歳くってお飾りのままで終わりや」
「今晩、私らのパンツを思い出して抜く奴おるんやろか?」
「おらんわ。抜くんやったらセンターのパンツをおかずにしよる」
タオルで顔をぬぐい、バッグにしまおうとすると、携帯電話がなっているのに気づいた。社長からの電話だった。
太った醜い男。おそらく今夜相手をさせられるのだろう。
だが、これで次の仕事もゲットできる。
川辺蔵祐はベッドから降りると冷蔵庫を開け、ビールを片手に戻ってきた。
蔵祐との激しいセックスを終え、気だるい身体をうつぶせに横たえていたリナの尻に冷たい缶を押し当てた。
「きゃん!」
リナが短い悲鳴を上げて、ベッドの上で身体を転がした。
「もう!」
リナが蔵祐に後ろから抱き付く。若い乳房が蔵祐の背中でつぶれる。蔵祐は振り向いて、リナを背中から抱き直し、乳房を弄びだした。どろりとした液体が、また腿をつたって流れ落ちてきた。
芸能事務所、川辺興業のの社長。実はやくざだという噂もある。
「なあ、パパぁ。私もはやくセンターになりたいなぁ」
「そんなことゆうても、他の事務所の連中もいろいろ手を回しているからな」
「なんとかしてよぉ……」
リナは乳房をさらに蔵祐に押し付けた。
「パパの力で何とかして欲しいな……」
「そうやな。お前が売れたら俺の事務所も儲かるからな」
蔵祐はリナの腕を引いてベッドから立たせた。
「まあ、なんとかしてみよか」
「ほんま! うれしいわ!」
リナが蔵祐の胸に飛び込んだ。
ぐったりした身体でなんとかシャワーを浴び、服を着替え終わったときに時計を見るともう十一時前だった。蔵祐のベンツで家の近所まで送ってもらう。
「遅なってもたな」
「大丈夫。パパこそ、明日仕事やろ?」
あんなに激しい行為をしたあとなのに、蔵祐は不思議なくらいすっきりした顔をしている。リナも、それに合わせてあっさりした態度を取ることにした。
蔵祐は一万円札を五枚出した。
「リナ、お小遣いや」
「あんっ、ありがとう、パパ!」
財布に増えた一万円札五枚で、スカートとワンピースを買おうと思った。
車を降りて、自宅マンションまで歩いていく。両親は離婚し、ホステスだった母親はどこかのヤクザの下っ端とくっついて行方不明だ。しかし、一人を寂しいとは思ったことはない。あの口うるさかった母親も、アイドルで成功して有名になれば、わずかな金のため、遠藤リナの母親だと名乗ってマスコミに出ようとするかもしれない。そうなってはイメージダウンも必死だ。でも、そんなときはパパに何とかしてもらえばいいのだ。そのためにあのブタのようなオヤジに抱かれているのだから。
マンションの前に立って鍵を取り出す。オートロックのパネルに触れようとしたとき、「あんた、遠藤リナやんな」といきなり声をかけられた。
振り向くと、不機嫌そうな顔をした女が立っていた。機嫌が悪いのではなく、もともとそんな顔なのだろう。気の強そうな、自分と同じ歳くらいの若い女だ。なんとなく見覚えのある顔だった。どこかで会ったことがあるのか。追っかけのファンは見えないが。大方、この辺りを歩いているときにどこかで見かけたことがあるのだろう。
無視してエントランスに入ろうとすると、「ちょっと待ちいな」と険のある声が背中に飛んできた。むっとして振り向く。
「そんな顔すんなよ。田中智子の癖に」
女にいきなり本名を口にされ、リナは持っていたバッグを落としそうになった。
「あんた、別人みたいやな。整形したんやろ。中学の時はヤリマンのスベタやったのに」
思い出した。名前が出てこないが、別の不良グループにいた女だ。
「あんた、最近調子乗ってんのとちゃうか。全国区のアイドル狙ってるって、週刊誌にか書かれとったやろ。ネットで正体を暴露したろか」
リナは女を睨みながら近づいていった。思い出した。中村有紀子だ。中学のとき、電車の中で傍に立っている男を痴漢にでっち上げて金を巻き上げたことのある女だ。
「あんたには関係ないやろ。ほっといて」
「自分だけいい思いできるなんて思うなよ」
中村有紀子は意味ありげににやけると、背を向けて闇の中に消えていった。
ハイエナたちの掟 4
そのマンションは賑やかな商店街から少し外れた閑静な住宅地の中にあった。敷地が高い塀で囲われている、古いタイプのマンションだったが、昭和を感じさせるレンガ風のレトロなデザインは、見上げる者に意外と古さを感じさせない。省吾と泉谷と長尾玲子は高い塀に沿って細い路地を駆け抜け、正面玄関の反対側に回った。省吾が二メートル以上ある塀に飛びつく。それぞれのポケットにはマスターキー。北山の報告では、外からも内からも、開閉はこの鍵でできる。
省吾は塀の上から内側の状況を見て、人がいないのを確認してから、腰に差したタオルを抜いて、片方を二人のいる通路に下ろした。二人を塀の上に引き上げ、内側に飛び降りる。すばやく外階段のところまで走った。泉谷が続く。ウレタン製の特殊な靴底は、足音をたてない。階段には、省吾の胸の下辺りまで壁がある。屈めば、外からは見えない。二人は姿勢を低くして、ゆっくりと階段を登り始めた。
北山はマンションの正面玄関に止めたワゴン車の中で、腕と足を縛りつけて目隠しをしたチンピラを見張っている。
二階に着いた。スペアキーでドアを開け、エントランスに入る。オートロックのマンションだが、入り口に居座る管理人に顔を見られるわけにはいかない。管理人に気づかれないようにエレベーターホールに向かう。ボタンを押し、省吾は腕時計を見た。
「引越し屋は時間通りか」
泉谷が頷く。あと一時間か。
ようやくエレベーターが到着した。
「二千万とは吹っかけてきたな」ドアが閉じると、省吾が十階のボタンを押した。
あの部屋に居座っている連中が、仕事の依頼者に二千万の立退き料を要求してきたらしい。借家法を逆手に取り、前の所有者と不当に安い賃貸料で賃貸借契約を結んで不当に居座り、高額な立退き料を要求する。早く物件を売らないことには借入金の利息が膨らんでいくので、早期解決に連中の要求を呑む新規所有者は多い。
「大金吹っかけられた依頼者は連中になんて返事したんや?」
「居留守を使った。話を聞いたのは奥さんだ。詳しいことは主人がいないとわからないということになっている」
「それを二百万で片付けるんやから、ボランティアやで」泉谷がため息をついた。
エレベーターが十階に到着した。省吾と泉谷は念のため、ターゲットの部屋の両側の部屋のベルを押したが、中からは何の気配も伝わってこなかった。二人は目だし帽を被ると、スタンガンを手に持ってドアの脇に腰を落とした。
省吾の合図とともに、玲子がドアベルを押した。
「夜分すみません。隣の佐藤ですけど」
しばらくしてインターフォンが耳障りな音を立てた。
「なんや?」
ドアの向こうから、ざらついた声が聞こえてきた。今日は若いチンピラが居座っていると、北山から聞いている。
「実は、さっき、マンションの入り口で鎌田タカシって人から荷物を預かったんですけど」
そういって、大きく膨らんだ紙袋をモニターの前に持ち上げた。
「ちょっと待ってろ」
そういってインターフォンが切れた。おそらく、鎌田という男に電話をして確認しているのだろう。その鎌田はマンションの玄関の前に止まっているワゴン車の中に転がっている。北山にナイフを突きつけられたこのチンピラは、北山の言う通りの返事を返すことになっている。
ドアの鍵がはずされる音が響いた。目の前のドアが開き、玲子の姿が玄関の中に消えた。
「これなんですけど」
その言葉を合図に省吾がドアをつかみ、泉谷がドアを回って玄関に飛び込んだ。続いて 省吾も飛び込む。泉谷の前で、すでに男が声も出せずに痙攣して倒れていた。喉にスタンガンを押し付けられた跡が火傷となって残っている。玲子が中に入ると省吾は音を立てずに扉を閉め、施錠した。
「なんもあらへん部屋やなあ」
玲子が部屋を見回している。
省吾と泉谷は、倒れた男の手足をガムテープでぐるぐる巻きにし、部屋の隅まで引きずっていって猿轡を噛ませた。目を覚ました男が暴れだした。省吾がナイフをすかさず男の喉に押し当てると、男は電気ショックを受けたように身体を硬直させた。
「お前を殺してからこの部屋から運び出したってかまへんねんで」
泉谷のどすの聞いた声が部屋に響く。男は目を見開いて涙を浮かべている。
「無修正DVDや」
玲子がDVDプレーヤーを操作しながら嬉しそうにテレビ画面を覗いていた。巨大なペニスを挿入された女が、テレビ画面の中で大声で喘いでいる。
「かわいそうに。一人寂しくこんなとこで抜いとったんやな」玲子が床に置かれていたティッシュペーパーの箱を手にとって、侮蔑の色を含んだ目で男を見た。
「こんななんもない部屋、夜は他にやることあらへんからな」
リビングに戻ってきた泉谷がそばに寄ってきて、男の足をつかんだ。男がくぐもった声を上げる。省吾は腕を持ち、男を隣の和室に運んだ。
「しばらくおとなしくしてるんだ」
そのとき、上着の内ポケットに入れた携帯がなった。北山からだ。
「来たで。そっちはどうや?」
「計画通りだ」
インターフォンがなった。
「青山さん?」
一階の管理人室からだった。
「引越しセンターの方がきていますが」
「はい」
「こんな時間にやめてもらえますか。他の住人の人たちに迷惑ですがな」
「すみません。ここのところ忙しくて休みがとれなかったもので、夜しか空いていなかったんです」
「そら、しゃあないなぁ」
管理人の電話が切れると、省吾は「来るぞ」といって振り向いた。
家具の運び込みは三十分ほどで終わった。部屋にあった荷物を引越し業者に頼んでマンションの外に運び出してもらい、トラックに積んでもらった。業者を見送って部屋に戻ると、一緒に押入れに入って男を見張っていた泉谷が男を居間に引きずり出してきた。玲子が、ダンボールを組み立てている。
「抵抗しやがると窓から放り出すぞ」との脅しが効いたのか、ダンボールの中に押し込められる間、男は終始おとなしかった。
男を隠した段ボールと、部屋に残っていたテレビやDVDプレーヤーと、その他の荷物をすべてを部屋から出して手押し車に乗せ、エレベータで地上に下ろしていく。マンションを出てワゴン車のハッチをあけると、北山の足元で男が蹲っていた。
「ええか、ちょっとでも抵抗したら、絞め殺して生駒山に埋めたるからな」
泉谷のドスのある声がふたりの男を震え上がらせた。泉谷がワゴン車の運転席に乗り、省吾と玲子は部屋にあった男の荷物をトラックに載せた。腕時計を見る。二時間ですべての作業は終了した。
「これで二百万やて。ほんまにボランティアやな」
走り出したトラックの中で、玲子が口をとがらせている
「問題は明日からだ。連中、部屋に乗り込んでくるだろうからな」
「あとはあんたにお任せや」そういって、玲子が省吾の股間に手を置いた。
「エロDVD見てその気になってもたわ……」
「どっちがでかかった?」
「そら、あんたのほうがでかいわ」そういって、玲子が擦り寄ってきた。