魔女の棲む街 13
魔女の棲む街 13
ソファに腰を落とした途端、どっと疲れが出てきた。重いため息が自然に漏れる。
「塩、まいた?」
「塩?」
「葬儀会場出るときもらったやつ」
「どこかに捨てた」
春姫はタバコに火をつけると、フロアに向かって煙を吐き出した。罰当たりめ。そういって真紀子が自分の残りの塩を春姫の肩に振りかける。
「こんな穢れまくったクラブのフロアで清めても仕方ないでしょ。そんなのは家に入る前に玄関でやるものなの」
肩の塩を手で払うと、タバコの煙を真紀子の顔に吹き付けた。
「まあ、気持ちの問題っしょ」
春姫に塩を振りかけ終わると、真紀子がソファにドカッと座ってタバコを銜えた。
「聞いた? 坂上のこと。ひどい殺され方だったって」
「心臓がえぐり取られていたんでしょ。どこかの馬鹿に恨み買うようなことしてたのよ」
「でも、暴走族が心臓抉るまではやらないわよ。サイコよサイコ」
クラスメートの亮輔が殺された。暴走族のたまり場になっているダムの傍で心臓をえぐり取られて。仲間と女を攫って輪姦していた最中に襲われたらしい。しかも、亮輔があんな残虐な方法で殺されたのに、しばらくは誰も気づかなかったらしい。犯人は音もたてずに亮輔に忍び寄り、気絶させてその場を離れ、人気のない暗い闇の中で彼を殺して心臓を抉り取ったのだ。
急に身震いがした。まるでホラーだ。
真紀子がフロアに一人で踊りに行った。
あのアキラのダチだったが、アキラは特に悲しむ様子もなく、ただ退屈そうに式が終わるのを耐えているという感じだった。
自分もそうだったけど。春姫は心の中で呟きながら、灰皿にタバコの吸い殻を押し付けた。読経の間、あまりに退屈過ぎて何度も首が落ちた。彼のために涙を流す者など一人もいなかった。所詮はそれだけの男だったってこと。女の敵が一人、この世から消えただけのことだ。
真紀子が戻ってきた。彼女の後ろに絵里がいる。
「どうしたの?」
「この子が安尾を紹介してくれって」
真紀子は席に座るとがカシスソーダに口をつけた。絵里が春姫の正面に座って、窺うような目を向けた。
「なんであんな奴に会いたいの?」
「今日、街で客とって、やり逃げされたんだって。それで、ケツ持ち探してるんだって」
絵里が「お願い」といって手を合わせた。「彼のために新しいスマホ買ってあげるの」
「彼ってアキラのこと?」
絵里が頷く。
「やめときなよ。あんた、あの男にだまされてるよ」
「でも……」
絵里が上目使いに春姫を見ている。彼女の煮え切らない態度に苛ついてくる。それほどあの男に惚れているということか。
「まあ、いいじゃん。ケツ持ちがいれば取りっぱぐれはないし、客は紹介してもらえるし。こんなのだってすぐ買えちゃうしね」
真希子がここ最近の成果を自慢する。彼女の買ったばかりのシャネルを、絵里がうらやましそうに見ている。
援交か。
金も稼げるし、ブランド物のバッグも買える。それに、グラマラスな体つきの絵里のほうが、その気になれば真紀子より稼げるかもしれない。
「安尾なら真紀子に呼んでもらいなさい。ここで待っていれば来るわよ」
「ごめんね、春姫」
私に謝る必要などない。要は絵里にこの商売をやっていく覚悟があるかどうかだ。援助交際。一度始めるとなかなか抜け出せなくなる。
「ねえ、知ってる?」
カシスソーダのグラスを空けた真紀子が顔を覗き込んできた。口がタバコ臭い。
「週刊誌に私たちの中学の同級生のことが出ていたわよ」
「同級生って、誰?」
「中村由紀子。あのヤンキーよ。攫われてレイプされて、その場面がDVDにされて売られていたんだって。その上シャブ中にされて裏風俗で働かされていたのよ。酷い話ね」
「へえ、あの女が? いい気味よ。それで、どうなったの?」
「今、病院にいるんだって。ここの」そういって、彼女が自分の頭を指で差した。病院に入れられたなら、まともな姿に戻れるかもしれない。裏社会に足を踏み入れたものはなかなか抜け出せなくなる。あの世界から抜け出すために必要なのは、手を差し伸べ、腕をつかんで引き上げてくれる者の存在なのだから。
「安尾さんに連絡して、ケツ持ち引き受けてくれるように頼んだげるね」
「ありがとう」まるで肩の荷を下ろしたかのような絵里の笑顔。そこまでしてまであんな男に尽くしたいものなのか。まあ、この子ももうすぐ気づくだろう。この世で本当に信用できるのはお金だけだということを。
電話を終えると、真紀子と絵里が春姫を残してフロアに出ていった。二人向かいあって、悩ましげに腰を振りながら踊っている。春姫はバーボンソーダを啜りながらタバコを吸った。今夜は男が誰も声をかけてこない。
フロアに目を向けると、真紀子と絵里が男に付きまとわれている。彼女が絵里の手を引いて席に戻ってきた。
「信じられない」
「どうしたの?」
「あいつら、やらせろって」
「いいじゃない。自分で客を見つけた時はピンハネされないんじゃなかったの?」
「ただでよ」
「それは虫が良すぎるわね」
真紀子がまた携帯電話を取り出した。安尾の弟分に連絡するのだろう。彼女が電話を終えた頃に、さっきの三人組の男たちがやってきた。
「おっ、もう一人いるじゃん」
なれなれしそうな口調で減らず口を叩きながら、春姫の横に腰を下ろした。
「ねえねえ。俺たち別々に車で来てんだよ。これからみんなでドライブに行こうぜ」
「嫌よ」真紀子がそっぽ向く。
「いいじゃねえか」真紀子の横の男が、彼女の髪を撫でる。その手を払う。絵里は身を固くして下を向いたまま、黙っている。
「私たち、これから大事な話があるの」春姫が三人の男たちを見た。もうすぐ安尾の弟分がここに来る。それまでの辛抱だ。
「じゃあ、俺たちもその話し合いに混ぜてくれよ。これでもいいこと言うんだぜ」
「ごめん、お呼びじゃないの。あっちにいって」
「はあ?」
男が口を歪めて、馬鹿にするような目で春姫の顔を覗き込んできた。一応警告してやった。
「なあ。お前、俺たちのこと、舐めてねえ?」
男が春姫の髪を掴んだ。前に座っていた絵里が悲鳴を上げる。
「あんたたち、いい加減にしときなよ」真紀子が三人を睨んだ。「あたしら、ケツ持ちがいるんだけど」
「どこにいるんだよ。どうせ弱っちいやつなんだろ」
「弱っちくて悪かったな」
後ろを振り向いた男たちが、安尾を見て息を呑んだ。弟分を五人連れている。いつもの二人と、初めて見る顔が三人。年恰好からして、この三人は弟分の後輩分なのだろう。相手が三人だと真紀子に聞いて、この三人をどこかから連れてきたのだ。
「ちょっと来てくれや」
安尾の子分たちが、三人の男を店から連れ出そうとして胸ぐらをつかんだ。必死で謝る三人を、有無も言わせずに引きずっていく。あの三人には、外に連れ出されて半殺しにされる運命が待っている。
安尾が春姫の横に座った。
「この子か?」
安尾が目の前の絵里を舐めるような目つきで見る。さっきまで怯えていた絵里が、よろしくお願いしますといって、頭を下げた。
「わかった。今夜から客を回してやる」
安尾の言葉に、絵里が顔を明るくした。
「今から付き合えよ」安尾が春姫に顔を近づけていった。
「この後、予定があるんです」
「俺はお前のケツ持ちじゃねえんだ。それでも助けてやったんだぜ。その礼はきちんとするのが、俺たちの世界のルールなんだ」
「でも、私は助けを求めていたわけじゃないですよ。せっかくいいところまでいっていたのに」
「ふざけんなよ」
安尾が春姫の髪を掴んで持ち上げた。絵里が小さな悲鳴を上げる。真紀子は泣きそうな顔でこちらを黙って見ていた。
本当に嫌な男だ。
しかし、この男が暴力をふるうことはない。言いがかりをつけているのはこの男の方だし、未成年の少女を殴って警察に駆けこまれればどんな目にあわされるか、この男はよく知っている。
「調子に乗んなよ」安尾は春姫の髪から手を離すと、席を立った。