fc2ブログ

愚かな毒鼠どもの眠れない夜 17



17 ロクデナシの掟

 窓にスモークシートを貼ったバン。新井が黙って運転している。ハンドルが左ということは外車か。巨大な車体からすると、多分、アメリカのフルサイズバンだろう。
 祐輔は棟方や副島と同じ、後部の広々としたスペースに乗り込んでいる。
「お前は殺さねえよ。まだまだやって欲しいことがあるからな。お前らくらい度胸のある奴は、なかなかいねえからな」
 棟方が祐輔の肩を叩いた。車は静かに進んでいく。エンジン音はほとんど聞こえてこない。
「便利な道具にしようったってムダだぜ。俺はお前みたいなやつに使われんのが大っ嫌いなんだよ」
 横から副島の拳が飛んできた。祐輔の髪を掴んで引き寄せる。
「口の聞き方に気をつけろ。調子のんなよ、ガキが」
「下っ端が粋がってんじゃねえよ」
 副島の表情が変わった。
「やめろ、リョウ」
 棟方にたしなまれ、副島が髪を離した。棟方の腕に光る時計が目に入った。ロレックス。茂樹が持っていたのと同じ高級モデルだ。
 新井がカーラジオを着ける。音楽番組のDJが懐かしのアイドルソングについて語っている。
 棟方の視線に気づいた。
 落ち着いた静かな目で、祐輔の心の奥底を覗き込んで観察している。
「俺の顔になんか付いてんのかよ」
「てめえ……」
 唸る副島を棟方がちらっと見た。副島が視線を泳がせてうつむく。その様子を観て、背筋が冷たくなった。得体の知れない恐怖。副島は棟方を恐れている。
 カーラジオから曲が流れてきた。確か、絵美が好きだった曲だ。セックスの後、全裸で踊りながら歌っていたのを覚えている。
 死ぬのが怖いわけじゃない。しかし、この世にまだ未練はある。
 俺は生きたい。生きのびたい。まだ何もしていないのだ。死ぬわけにはいかない。とにかくこの先も生きていかなければならないのだ。
 この状況から脱出するにはどうする?
 このままだと棟方に使われるだけの悲惨な人生が待っている。やくざにいいように使われ搾取され、最後には保険金をかけられて事故に見せかけて殺される。そんな可愛そうな連中を、今まで何人も見てきた。
 自首はどうだ。事件の尻尾を掴んでいなくとも、警察も怪しんではいるはずだ。だったらタレ込もう。このままこいつらの言いなりになるより、刑務所に入る方がはるかにましだ。
 少年院と似たような場所だろう。すぐに慣れるだろうし、自分の身も守りやすい。力のある奴を仲間に取り込んで、出所したらつるんで金儲けをする。その頃には棟方たちも俺のことなんて忘れているか、どうでも良くなっているだろう。執念深く絡んできたときは新しい仲間とともにぶちのめしてやればいい。
 車窓の外を飛び去っていく街の灯がチラチラと明滅するせいで、薄笑いまで見て取れる。
「刑務所の中にも、俺らの身内はいっぱいいるしな」
 祐輔の心の中を覗いたかのような、爬虫類のような得体の知れない目つき。背筋がぞっとした。
 カーラジオの音楽番組が終わり、短いニュース番組が流れはじめる。
「……地方のニュースです。本日夕方ごろ……のカフェバー『デビルスカル』で遺体が発見されました。遺体はこの店のオーナー、斉藤茂樹さんと見られており……」
「もう見つかっちまったのか」
 棟方が独り言のようにつぶやいた。おそらく、美由紀が店に顔を出したのだろう。茂樹の死体を見て、美由紀は何を思っただろう。そして、今は何を考えて入るだろうか。
「殺人だぜ。お前、捕まったら死刑になるかもな」
「そのときはお前も道連れだ……」
 棟方が笑った。深いな笑い方だった。

 人気のない場所に車が入った。窓の外に倉庫が並んでいるのが見える。
 車が停まった。副島がドアを開ける。
「降りろ」といって、副島が祐輔の肩を掴んで引き摺り下ろした。運転席から降りた新井は棟方が座っている側の助手席のドアを開けた。
 倉庫の中から男たちが出てきた。人目で筋者とわかる連中たちだ。
 黒いスーツを来た男が出てきた。沖島が好みそうな高級スーツ。やくざの幹部クラスのようだ。
「棟方」
「ああ?」
 男のケリが棟方の鳩尾にきまる。
「何てことするんっすか? 吾妻さん」
 棟方を庇おうと出てきた副島の頬を殴りつけると、吾妻という男が棟方の胸倉を掴んだ。
「てめえ、兄貴分になんて口訊いてんだ?」
「返事しただけじゃないっすか」
「っせーなコラ」
 吾妻が棟方の顎に拳を叩きこむ。
「誰が斉藤を殺せといった」
「俺たちに黙って薬捌いてたんですぜ。俺の店に追い込みまでかけやがったんで、ケジメ着けたんっすよ」
 首のストレッチでもしているかのような格好で吾妻を見ている。
「俺のこと舐めてんのか? お前は俺の言うことだけ訊いてりゃいいんだよ」
「兄貴のいう通りにしたから、シャブの売り上げ半減したんじゃないっすか」
「斉藤を利用してこれから盛り返すところだったんだよ。この世界で成功するにぁ、二手三手先を読む力が必要なんだよ。そんなことだからあのスケベ親父から金奪うのしくっちまうんだよ」
「んだと、こらぁ!」
「口の聞き方気ぃつけろや!」
 足蹴りを食らわすが、棟方は引こうとしない。
「おい、道具持ってこい」
 吾妻が後ろで怯えた顔で立っている男を見た。
「お前もやくざの端くれなら、どうしたらいいかくらい、教わんなくても分かるだろうが」
 さっきの男が匕首を持ってきた。
 副島が前に出て、その場で正座すると、上体を折って吾妻の足下の地べたに額を擦りつけた。
「ホントすんませんした!」
「何でお前が謝んの?」
 棟方が言うと、新井も吾妻の前にかがんで土下座した。
「棟方さん、吾妻の兄貴に謝ってください! なに意地張ってんすか! 棟方さんの兄貴分ですよ! 兄貴分には向かうなんてやくざのすることじゃないですよ!」
「弟分の方がしっかりしてるじゃねえか」
 吾妻が棟方をあざ笑う。
「すんませんでしたああああああああ!」
 新井の悲鳴のような絶叫。
 苦笑いの棟方に「うるせえよ」と蹴倒されても、涙どころか鼻水まで垂れ流して泣き叫んでいる。
 祐輔はその様子を静かに見ていた。全身全霊で謝るくらいしか、こいつらがこの危機から逃れる方法はないだろう。
 棟方が膝をついた。そして正座すると、深々と頭を下げた。
「ホントすんません! すんませんでしたあ!」
 吾妻が声を上げて嗤う。
「まあ、顔を上げろや、棟方」
 吾妻が棟方の肩に手を置いた。吾妻の拳が飛ぶ。
「うぁっ!」
「ふざけんじゃねえぞ、テメェはっ!」
 吾妻が棟方の胸倉を掴み、殴り続ける。拳を連発され鼻血を流し、ついに地面にへたり込んだ。それでも吾妻は容赦なく蹴り飛ばす。
 暴力を慣れている祐輔でも、背筋がゾクッとする。
 やはり、本職の勢いはハンパじゃない。
 先輩後輩。兄貴分弟分。上下関係。どちらが偉いか、拳で体に叩き込むのがこの世界の慣わしだ。馬鹿ばかりの世界だから、そうしないと調子に乗ってどんなナメた真似をするか分からない。
「これからは口の聞きかた考えろや。弟分に感謝しろよ」
 棟方が殴られた頬を押さえている。血だらけの顔全体が腫れあがっていた。

愚かな毒鼠どもの眠れない夜 16



16 脱出

「バカはお前だよ。以前、書類を何枚か書かされたことがあっただろ? バカだから意味分かんなかったかもしれないけどな、あれ、会社を受取人した生命保険だったんだよ。分かるか? しくった奴をぶっ殺して、生命保険で損失補填するためなんだよ。死体は色々調べられっけど、ばれたことないんだぜ。お前の場合は、そうだな、酒でも飲んでもらって、酔って海に沈んでもらおうか」
「ふざけんじゃねえよ」
「本気だぜ」
 取り巻きのひとりがウイスキーのボトルを持ってきた。
「まあ、いっぱいやれや」
「そんな安もん、飲めるかよ」
「ごちゃごちゃいってねえで飲むんだよ!」
 沖島がいきなり髪を掴むと、祐輔の頭を持ち上げた。取り巻きが口をこじ開け、ボトルの口を突っ込む。無理やりウイスキーを流し込まれ、喉に焼けるような刺激が走る。
 入口のドアが細く開いた。祐輔の他に、その場にいる誰もが気付いていない。
 ドアが開き、覆面姿の男たちが三人、なだれ込んで来た。全員が銃を手にしている。おもちゃを持っているように見えるのは、使い慣れていない道具がフィットしていないからだ。
 乾いた発砲音が、がらんどうの地下室の内部に反響する。
 撃ち合いではない、一方的な虐殺。
 侵入者の一人が沖島のこめかみに銃口をつけ、引き金を引いた。
 弾かれたように沖島の頭が真横に跳ね、膝から力が抜けて床に崩れる。倒れた体に、侵入者は念のため弾丸を数発撃ち込んだ。
 赤黒い血が、頭蓋骨に開いた穴から噴き出す。体の穴からは血がインク洩れのように滲み出て、シャツを見る間に濡らし、浸していく。
 魂の抜けた沖島の体が、床に静かに横たわっている。
 壁際の取り巻きたちも反撃する暇さえなく、次々に頭を弾かれていく。
 血しぶきが壁や天井に飛び散り、カーペットには赤黒い水たまりが広がっていく。
 祐輔は両手で頭を抱え込んだままどうすることも出来ずに、惨めな虫のように背中を丸めてうずくまっていた。体の震えを自覚してから、自分がようやく死の恐怖に直面していることに気付く。力いっぱい噛みしめているはずなのに、歯がカチカチと鳴るのを止められない。頭蓋骨の中に銃声がわんわんと響いているので、自分の耳に歯を噛み鳴らす音は聞こえていない。
 次は俺が撃たれる。
 汗が次から次へと顔や背中を流れ落ち、濡れたシャツが冷たく皮膚に貼り付くのを感じる。空気がむせかえるほど火薬くさい。
 永遠とも思える数秒間が過ぎる。
 いっそひと思いに殺して欲しいとすら思い始めたその時、
「おいおい」
 と、失笑まじりの声が聞こえる。
「そんなにビビってんじゃねえよ」
 侵入者のひとりが覆面を外し、素顔をあらわにしている。
 棟方。
 他の二人も覆面を外した。副島と新井。
「何で……」
「何でって、仕事に決まってんだろ。別にお前を助けたかったわけじゃねえぞ。会社だとか名乗ってバカやってるこいつらが目障りだったから、いつか何とかしなきゃって思ってたわけよ。このビルには前から目星をつけてたけど、本当にここが自社ビルなのか、どうにも確信が持てなくてよ。表に看板出してるわけじゃねえし、登記簿を調べてもよく分からないし。ヤクザに厳しい世の中だろ? 万が一でも間違っちゃあ、現場責任者の俺のクビが飛ぶんだよ。どうしたもんかって思ってた時に、今回のお前の件だ。これはもう、利用しない手はないと思ったぜ。斉藤を殺したら、お前は当然逃げ出す。それでも放ってりゃ、会社だとかの連中が俺らより先に捕まえる。俺らみたいに色んなとこに監禁とか殺しに使える場所持ってるわけじゃないから、捕まえた奴をどうにかするとすりゃ、まずは人目につかない自社ビルに連れ込む可能性が高い。そこを押さえりゃ、万事解決だ。一気に叩いてドカン、ぶっ潰せる」
 淡々として喋る棟方の言葉は、何ひとつ祐輔の頭に入ってこない。
「そんなわけで、お前が捕まって運び込まれるのがどこか、本当にここが会社とやらの自社ビルなのか、俺たちは辛抱強く見張ってたわけだ。そしたらビンゴ、めでたしめでたし。ハッピーエンドってわけだな」
 棟方は死んだ沖島の頭を軽く蹴飛ばす。血溜まりのはねが飛んで、祐輔の顔に赤い斑点を散らす。
「用は済んだんだろ。さっさと殺せよ」
「殺しゃしない」棟方は無表情な目を向けて言う。
「いったん引き上げるぞ」
 男たちは帰り支度をはじめる。
「死体はどうするんだ?」
「後で回収して、始末するさ。お前も一緒に来るんだ」
そういって棟方が祐輔の肩を掴み、立ち上がらせた。


愚かな毒鼠どもの眠れない夜 15


15 監禁

「お前、ほんと頭悪いよな」
 沖島はパイプ椅子に腰を降ろし、足を組んでふんぞり返っている。頭脳派ぶりたいだけのために掛けている黒縁メガネ、クソださいピンストライプのスーツ、何もかも気に入らない。
「同じ街のコンビニとか、そこの店員が俺たちの仲間かもしれないってこととか、疑いもしねえとはな」
 手足をきつく何重にもガムテープで縛られ、カーペット敷きの床に転がされている。
「あのビルの二階にエロDVD屋があるだろ? エログッズとかも売ってる。コンビニとオーナーが同じで、うちの会社の偉いさんなわけ。お前、俺たちの情報網、ナメてんじゃねえの?」
 部屋にある備品は沖島のパイプ椅子だけ。他の男たちは、壁際に立ったままだ。床のあちこちから、OA機器やパソコン用の電源タップとLANケーブルが露出したままになっている。
 連れて来られる時に目隠しをされなかったのは、ここが祐輔の通い慣れた会社のビルだからだ。あるいは、始末するつもりだから行く先を隠す必要なんてないと思ったからなのか。地下フロアが空き室になっているのは知っていたが、今まで一度も入ったことはなかった。
「んで、俺はそのオーナーと昔から仲いいわけね。お前を探してちょうど近くを車で流してたら、お前が店に来たって、オーナーから電話が入ったんだよ。ツイてたわけだけどさ、日頃の行いが良いせいだよな、これは」
 沖島が声を出して笑う。壁際の男たちは、薄く笑いを浮かべるだけ。会社の中で沖島を嫌っているのが祐輔だけでないことは、沖島本人もよく知っている。
「社長賞もんですよね、おめでとうございます」
 祐輔が嘲笑を浮かべた。沖島が祐輔の腹に蹴りを入れる。嫌われ者と自覚しているくせに、皮肉や嫌味にはやたらと敏感なのだ。
 革靴の先端がみぞおちに食い込み、息が詰まって強烈な嘔吐感がこみ上げる。体をくの字に折り曲げてえづくが、胃液は出てこない。呻き声とも泣き声ともつかない息を漏らして、口の端からよだれを垂らすだけ。
「逃げた後、今までどこに隠れてた?」
 沖島が祐輔の顔に靴底をのせ、ゆっくりと体重を掛けていく。重みが増して頭蓋骨が軋む。
 黙っていると、沖島は足をどけた。鼻を爪先で軽く蹴られ、痛みで目がくらむ。
「お前が金隠してることは分かってんだよ。佐藤のところか? 奴は今、どこにいる?」
 祐輔がそんな大それたことをしでかしたとして、まず頼るのは健次ではなく茂樹だ。それを知っている沖島が、茂樹ではなく健次の名を口にした。やはり、そうだったか。
 侮蔑を浮かべて顔を覗き込んでくる沖島を睨みつける。これだけ追い詰められていても、棟方に相対している時ほどの恐怖感は不思議とない。
「言えよ、金はどこに隠してるんだ? 仕事をしくったのも、もしかしたら誰かと手を組んでやった芝居なんじゃねえのか? だとしたら、誰だ? やっぱり佐藤か?」
「とぼけんなよ」
「はあ?」
「お前が金を横取りしたくせによ」
 沖島の表情が凍りついた。図星か。突然の不意打ちに、感情が顔に表れるのを隠しきれなかったようだ。
「茂樹さんの指図だったんだろ? やり方でわかったよ」
「何ほざいてんだ? ああ!」
 再び腹に靴先がめり込む。
「……」
「どうした? 本当のことを喋る気になったのかよ」
 祐輔は、さも苦しそうなかすれ声で喋ろうと唇を動かす。
「ん?」
 聞き取ろうと近づけてきた沖島の顔面に、唾を吐きかけてやる。
 沖島の目に憤怒が燃え上がるが、すぐに冷静に戻って立ち上がる。ポケットから取り出したハンカチで拭うと、壁際の取り巻きたちに言う。
「解け」
「……は?」
「手だけ解いてやれ。で、起こしてやれ」
「でも……」
「俺がやれっつってんだよ」
 取り巻きたちは互いに顔を見合わせるが、上の命令には逆らえない。沖島も用心は怠らず、両手を自由にされて立たされる祐輔に拳銃を向け、安全装置を外す。
 取り巻きたちにも距離を取るよう顎で指示した。小さな黒い銃口が、異様な存在感と圧力をもって目に飛び込んでくる。
「心臓とか頭じゃなく、腹を撃つ。腹を撃たれたらどうなるか知ってるか? 悶え苦しみながら、じわじわ死んでいくんだよ」
「何の冗談だよ」
「あ?」
「バカじゃねえの?」
 沖島がいきなり宙に向けて発砲する。
 小学校の頃、虐めていたやつのシャツの中に、火のついた爆竹を放り込んだことがある。あの時と似た音がした。銃弾はどこに当たったのか分からない。硝煙のにおいが、つんと鼻をついた。

愚かな毒鼠どもの眠れない夜 14


14 逃亡

 祐輔は夜の道をひたすら走っている。
 背中が気になって仕方ない。
 何が追ってくるのか。どうして追ってくるなんて思うのか。誰も追ってくるはずなどないのに。
 とにかく逃げなければならない。捕まらないために、全速力で。
 走る。
 闇夜の中を駆け抜ける。
 必死で逃げる。
 踏切にさしかかると警報機が鳴り出して、遮断機が降りてくる。
 立ち止まった祐輔は、膝に手をついて荒い息をした。額から汗が流れ落ちてくる。
 特急列車が目の前を通り過ぎる。轟音が夜の大気を揺るがし震わせた。
 連中は俺と健次をどうするだろうか。命令されたことをやっちまった後は、用済みだ。
 口封じ。そんな言葉が頭に浮かぶ。逃げろと、頭の中で誰かが叫ぶ。しかし、それはできない。だから連中は、健次を人質にしている。
 健次は今、どんな状態なのか。まさか殺しはしないだろう。そんなことをしても連中にとって何のメリットもない。
 バス停のベンチに座って、タバコを取り出す。雑草だらけの後ろの空き地が、コオロギの天国になっている。
 銜えたタバコに火をつける。
 これからどうすればいいか……。
 コオロギの歌に混じって、サイレンが遠くから聞こえてくる。
 祐輔はハッと顔を上げる。
 消防車。違う、パトカーだ。
 もうばれたのか?
 二、三口吸っただけのタバコを地面に吐き捨て、靴底で踏み潰す。
 サイレンは、いつの間にか聞こえなくなっている。
「よし、行くか」
 何気なさを装った言葉を、わざと吐き出す。
 冷静にならなければ。そう心の中で呟き、己を戒める。
 走って逃げても、健次が人質となっている今ではどこにもたどり着けない。
 健次を助け出して、東京か大阪に逃げ延びて姿をくらますか。
 会社のような犯罪組織に属さなくても、二人でヤマを踏めば何だってうまくいくはずだ。やる気と根性さえあれば、絶対にうまくいく。のし上がることができる。茂樹みたいに。
 殺人犯として刑務所にぶち込まれてしまえば、初犯でも五年以上は檻の中で暮らすことになる。ヤクザから逃げ続ける暮らしの方がマシだ。ある程度の期間逃げおおせれば、あいつらだって諦めるだろう。それでもしつこく追いかけてきたら、逆襲してやる。
 車を手に入れ高速飛ばして東京か大阪に行く。そして、歓楽街に巣食うギャングと知り合う。そういう奴らは、ヤクザなどマジしょぼいと思っている。仕事のスキル売り込んで、まずはそういうグループに入る。金を稼げるとわかれば匿ってもらえる。一石二鳥じゃねえか。
 空想しているうちに、単なる妄想が確実な手段のように思えてくる。何もしていないうちから何か成し遂げた気になることだって、珍しくない。
 健次を救い出し、車を手に入れてこの街から離れるのだ。
 冷静に考えを整理しただけで、大逆転の秘策を思いついたような気がして、祐輔は嘘のように爽快な気分になる。
 まずはコンビニ寄って、金を下ろす。
 レンタカー借りるにも金が要る。車を盗むのは非現実的だ。テレビドラマや映画のように、運転席の窓をかち割って運転席に滑り込み、電気系統のコードを手でつないでエンジンをかける。そんなこと、いまどきの車では不可能だ。
 腹も減っている。空腹を満たせばもっといい考えが思い浮かぶはずだ。
 たどり着いたコンビニで、祐輔はトイレを借りて放尿する。黄ばんだドアと清掃担当者のチェック表が釣り下げられているのを見ていると、落ち着いた気分になってくる。考えた通り決めた通りに、事は運んでいくはずだ。
 すべてが嘘みたいだ。ヤクザに殺しを見せつけられたり、茂樹を殺したりしたのは、全部夢の中のことだったのかもしれない。
 水を流し、トイレから出る。
 レジで食い物と飲み物の金を払い、レジ袋を肘から提げて、エロ本を立ち読みする。何故だか急に、しんみりした気分になる。うまく東京か大阪に出たら、ソープに行って、いい女を抱こう。
 絵美とはどうなるのか。
 どの道、いつかは別れる女だ。それに、所詮は性欲処理用の女だ。
 一瞬、泣きじゃくる絵美の顔が目に浮かんだ。
 くそ! まあいい、なんとかなる。絵美のことを考えるのはすべてが片付いてからだ。
 コンビニの若い店員が、カウンターの中で暇そうにしている。祐輔はエロ本を棚に戻し、店の外に出た。
 ズボンのポケットに手を突っ込み、タクシーを捕まえようと辺りを見回す。まずは健次のを無事に取り戻す。
 突然、闇の中から男たちが現れ、行く手を阻んだ。
 そのうちの一人には見覚えがある。
 沖島。
 いつも偉そうに指示を出すクソ野郎。
「よお」
 手に持った黒い拳銃の銃口を、祐輔に向けている。
 本物の拳銃。
 初めて見たが、なぜか本物だとわかった。

愚かな毒鼠どもの眠れない夜 13



13 初めての殺し

 一つだけの窓に厚いカーテンが引かれていて、窓の外に明かりは洩れていない。
 静まり返った店内。いつも店内を満たしている喧しい音楽は流れていない。普段と違うデビルスカルの雰囲気に、緊張感が増していく。
 バーボンを注いだグラスがテーブルに二つ。ちょうど強い酒を呷りたい気分だった。目の前の茂樹に心の中を見透かされそうな気がして落ち着かない。
 度胸と暴力と鋭く切れる頭。そしてしたたかさ。これらを武器に、茂樹は会社でのし上がってきた。そして、自由になりたいと言って会社を辞めた。今は会社から身を引いていると聞いているが、裏ではまだつながっているかもしれない。会社がそう簡単に茂樹を手放すはずがないのだ。茂樹にしても、会社とつながっているメリットはある。そう考えると、会社とグルの可能性だってあるのだ。
 顔を上げて茂樹と目を合わせることが出来ない。テーブルに置かれたグラスを見つめてばかりいる。自分の鼻息の音ばかりが聞こえている。
 美由紀の姿はなかった。出かけているらしい。
 ちょうど良かった。
「で、これからどうすんだよ」
 祐輔が黙っていると、茂樹が口を開いた。
「黙ってちゃわからんだろ」
「わかりません……」
「じゃあ、質問を変えるぞ。こんなザマになったことはなったこととして、お前の今の気持ちはどうなんだよ。このまま逃げてたって、会社は絶対許してくれねえんだ。それくらいお前にだって分かってるはずだ。お前はこれからどうしたいんだ?」
「わかりません……」
 成功したい。
 ビッグになりたい。
 茂樹と同じ、いや、茂樹を超えるくらいに。
 ここでくたばるわけにはいかない。
「別に俺は、責めてるわけじゃねえんだよ。でもお前、マジで分かってる? 今の状況、超やべえから。会社は怒ってるし、土下座して謝っても許してくれる状況じゃねえよ。警察もガチで動いてるしよ。だいたい、もし警察がお前らの後をつけてて、この店に事情聴取に来たりしたらどうしてくれんだよ」
「すんません……」
 またも沈黙。
「俺、お前に期待してんだぜ」
 ようやく顔を上げて表情を窺う。茂樹は心から怒っているわけではない。トラブルの相談をされるのは、実は嫌いではないのだ。
 弟分の不始末を巧く尻拭いしてやれば、器のデカイ兄貴分の評判を得られる。仕事上で何かと有利になるだけではない。他人から大物として扱われるのは、ある意味、セックスやクスリより気持ちがいい。いくら女とヤッてもどれだけヤクをキメても、本当の意味での自己承認欲求までは満たされない。
「会社に入ってきた頃からさ、お前、見所あったわけよ。仕事は真面目に頑張るし、度胸もあるし、力だけじゃなく頭も使おうとするし。仲間の面倒もちゃんと見るしな」
 誉められたわけでもないのに、媚びるように頭をひとつ下げる。
「俺が会社で大変だった時も、お前だけは離れずに、飯とか誘っても、ちゃんとついて来てくれたしな。お前は気付いてたかどうか分かんないけど、あのときの俺、お前にめっちゃ助けられてたんだぜ? だから俺が会社から抜けるって決めた時、お前に後継がせたいって思ったんだろうがよ」
 祐輔は動揺を気取られぬよう目を伏せる。クールになれと自分に言い聞かせ、これからしようとしていることを、頭の中でリハーサルする。昨日から何度も繰り返しているが、もう一度、念のために。
「マンソウリんとこに行けよ」と、茂樹が言う。
「え?」
「俺の知り合いのアルジェリア人、知ってんだろ? この店でお前も会ったことあるだろ。こっそり連絡しといてやるよ。あいつら親戚とかめっちゃ多いし、コミュニティっつうの? 仲間同士で集まって暮らしてっからさ。どっかにうまく匿ってくれんだろ」
 茂樹がクスリを売っている相手か、売人として使っている連中か、あるいはその両方なのだろう。コミュニティを通じて販売先も広げてくれる。管理さえきちんと出来れば、自由に操る手先にするのに在日外国人は打ってつけなのだ。
 最初はわざとタダに近い値段でクスリを分けてやって、供給元であるこちらの存在がなければ生きていけないヤク中に仕立て上げる。逃げられないよう、借金も背負わせているのかもしれない。好意のふりをして家族が日本に根付けるよう生活資金を貸してやり、それを後から、あらゆる手を使って取り立てるという手もある。もちろん、利子もたっぷりつけて。見えない首輪や足枷をはめる方法はいくらでもある。
「とりあえず、ほとぼりが冷めるまでマンソウリんとこに隠れてろ。その間に俺が何とかしてやる。ま、生活費は何とかなんだろ。少しくらいは貯金もあんだろ?」
 祐輔がテーブルに両手をつく。深々と頭を下げて、額をテーブルに擦りつける。
「金貸してください、お願いします!」
「……はあ?」
「マジお願いします! 何でもしますから貸してやってください、お願いします!」
「何言ってんだよ、おめえはよ」
 茂樹が呆れて苦笑いを浮かべるのを見て、祐輔は直感する。
 笑ってごまかしてる。
「いくら貸して欲しいんだ?」
「三千万」
「はあ?」
「三千万出せば、会社は俺を許してくれるはずです」
 茂樹が爆笑した。
「貸してくださいよ。俺、殺されるかもしれないんすよ。可愛がってる後輩が、殺されてもいいって言うんすか」
「よせよ」
「茂樹さん、俺に貸せる金、あるじゃないですか、三千万」
「はあ? どういう意味だ?」
「まだここに置いてあるんでしょ? それとも、沖島に渡しちまったんですか?」
 茂樹が祐輔を睨みつけた。
「何を言いたいんだ?」
「言葉どおりの意味ですよ」
「てめえ、俺が横取りしたっていいてえのか?」
「何やったんです? クスリ結構売れてんでしょ? 金なんていっぱい持ってんじゃないんすか? それを、後輩裏切ってまで金横取りして。何かデカイ博打で大金スっちまったんすか?」
 突然、茂樹の拳が頬にめり込んだ。
「寝言いってんじゃねえぞ! コラァァァ! てめえの不始末の癖して、よりによって俺の仕業にしようってのかよ!」
 靴先が鳩尾にめり込む。思わず、膝を折った。次の蹴り。体を丸めて腹を守る。茂樹が狂ったように靴底を祐輔の背中に見舞った。
 尊敬していた兄貴分。しかし、今は弟分を罠に嵌めたただの卑怯者でしかない。失望はすぐに憤りに変わった。最後まで残っていた躊躇や迷いがその瞬間に消え失せ、行動への決意が固まる。
「今のお前がいるのは俺のおかげだろ? やんちゃしてたお前を引っ張ってやって、会社で目をかけて、一から仕事を教えてやったんじゃねえか」
「マジでリスペクトしてたっすよ。でも、裏切られてまで尻尾振れるほど、俺はお人よしじゃねえんすよ」
「てめえ、誰に向かって口訊いてんだ? ああ、こらぁ!」
 茂樹の蹴り。今度は脇腹に決まる。
「一から仕事を教えてくれたからわかるんっすよ、茂樹さんのやりかた。俺、喋りましたよね。襲撃役から金を受け取ること」
「だからなんだ。そんなこと、沖島だって知ってんじゃねえか」
 思わず笑った。
「何がおかしいんだ?」
「あの男に俺から金を横取りする度胸なんてないっすよ。それに、上層部の顔色ばかり窺ってる。会社の金かすめて自分の物にすればどんな目に合わされるか、あいつもよく知ってるんっすよ。でも、金は欲しい。あいつ、借金でもあるんすかね。それで茂樹さんに相談した。金は山分けって条件で。敵が多いんで、あいつが頼れるのは茂樹さんしかいねえんですよ」
「何、寝言いってんだ? ヤクのやりすぎで妄想見てんじゃねえよ」
「茂樹さんも金が必要だった。だから、ヤシマ組のシマのあがり、狙ってたんじゃないんすか?」
 不意打ち。茂樹の表情が微かに変わった。図星か。
「俺はお前がどこで金受け取るか、知らなかったんだぜ」
「自由に操れる奴隷なんて、茂樹さんの周りにはいっぱいいるじゃないっすか。クスリやるからあいつをずっと見張ってろって声かけたら、尻尾振って言うこと聞く奴、いっぱいいるんでしょ?」
「いい加減にしろよ、てめえ」
 茂樹が胸倉を掴んで祐輔を引き上げた。そっとポケットに手を入れる。ナイフの柄が指に触れる。何も考えなかった。本能のまま、体が動くだけだ。
 茂樹が祐輔の顔を殴った。一瞬の隙。腹筋を固め、ナイフの柄を腹に押し当てて、体ごとぶつかった。
 何かが突き抜けるような感覚。
 茂樹が脇腹を押さえ、とっさに離れた。右手に握ったナイフを見る。血。嘘のように赤かった。
「この野郎……」
 茂樹が膝を床についた。
 出血は少なかった。しかし、腹の中では出血が続いている。それはやがて茂樹の腹を膨らませるだろう。
 茂樹は最後に祐輔を睨みつけると、無言のまま床に倒れた。

プロフィール

アーケロン

Author:アーケロン
アーケロンの部屋へようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR