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幻影と嘘の擬態 3




 ホームルームが終わり、担任が教室から出て行った。クラスメートたちが席を立って教室を出ていく。
 席を立った梨花が近づいてきた。
「さっきの数学問題、全然わかんなかった。解き方教えてよ」
「悪い、用があるんだ」
「嘘つけ」
 梨花が足で軽く蹴る。
「パソコンには強いくせに、数学は苦手なんだな」
「数学なんて、一生懸命勉強しても将来何の役にも立たないわよ。本当に無駄。時間の浪費、青春の浪費よ」
「板書の回答を丸暗記しろ」
「適当ね。暗記科目じゃあるまいし」
「誰でもそう思うんだよ。でも、数学ほど暗記に頼れる科目はないんだぜ。俺は回答を丸暗記するだけで、数学はいつもトップテンなんだ」
「いい加減なこと言って。教科書やプリントと同じ問題、出るわけないじゃん」
「こんな感じの問題が出たらこうやって解くんだって覚えるんだよ。数学は応用問題のパターンもその回答パターンも、意外と限られているってわかるぜ」
「本当? 教えるの、面倒がってない?」
 梨花の問いかけには応えず、カバンを持って席を立った。
「また屋上?」
「俺のルーチンなんだ」
「いつか先生にばれるんだから。じゃあ、先に行くね」
「まだ時間があるんじゃないのか?」
「買い物があるの。可愛いワンピースを見つけたの。売れる前に買わなくっちゃ」
「ワンピースなんて、これからは好きなだけ買えるさ」
「あんたは?」
「帰るのは面倒だからこのまま直接行くよ」
「一緒に買い物に行く?」
「遠慮しとくよ」
「ふん」
 じゃあ、先に行くね。そう言い残して梨花が教室を出て行った。
 やっとうるさい奴が消えた。遼は教室を出ると一人で屋上に上がった。
 午後三時過ぎ。赤い夕陽の照り返しで紫色の雲が燃え落ちていくように見える。昼間の余熱を少しはらんだ風が通り抜けて行った。
 もう十月なのに、空気はまだ夏の匂いを残している。今年の二月、つまり南半球が真夏の季節、南極の気温が十八度を超えたらしい。いくら夏とはいえ、雪と氷で閉ざされた南極でだ。そして日本では夏を通り過ぎて十月になってもこの暑さだ。地球は年々異常になってきている。
 風が強くなってきた。タバコの火が消えないようにライターを手で覆いながら火を着けた。白煙が細く流れ、肺の中にタバコの味が流れ込む。
 屋上に設置してある排気装置がくぐもった音を立てている。
 吸い殻を指で弾いた。床に落ち微かな残り火を放つ吸い殻を足で踏み潰し、排水溝の方に押しやった。
 昨夜はそこそこの儲けだった。それに、チェック漏れがあったが、四人の手際もよかった。三回目ともなると手慣れたものだ。だが、だからこそ油断は禁物となる。ちょっとした気の緩みが命取りになるのだ。
 この街では、相変わらずドラッグが流行っている。今時の高校生に、違法薬物の使用に対する罪悪感などまるで無い。ドラッグの売買は洒落た小遣い稼ぎとスリリングなゲームを兼ねていて、中高生の間でちょっとした流行になっている。
 この進学校も例外ではない。校舎内でも公然と薬物の取引が行われている。県内有数の進学校でまさかドラッグの取引が行われているなんて、親も教師は夢にも思わない。知らぬは大人だけだ。
 そして、様々な密売グループが手を伸ばしてくる。街で知り合った学生を足がかりにして、密売グループは校内に販売路を広げていく。他校やOBと繋がる者から横流してもらう者、果ては暴力団と取引する者さえいた。
 ドラッグの売買と使用が違法行為だと理解していても、周囲にいる友人達が気軽に手を出しているので、誰も深刻にとらえていない。今や若者にとって、ドラッグは手軽な気晴らしであり、眠気覚ましやダイエットサプリなのだ。
 だから、深みにはまる者も珍しくない。
 アルミホイルの上のクスリをライターであぶり、気化した煙を吸う。それがいけてる若者のスタイルだ。静脈注射は注射痕残る。ダサいジャンキーしかやらない。
 遼たちは僅か四人の小グループで、そんな薬物を街に流している連中相手に戦っている。
 梨花は薬物の売人を心底恨んでいる。得意のコンピュータを駆使して闇に潜む売人の情報を炙りだすのが彼女の役目だ。ダークウェブにダミーの取引情報を流し、接触してきた売人のスマートフォンに三島がプログラムしたウイルスを感染させるのだ。
 三島は梨花と同じく、コンピュータを武器にしている。梨花がウイルスを感染させた売人のスマートフォンを特定し、得意のハッキングで売人たちの携帯電話を乗っ取り、取引の情報を引き出して遼や伊達に流している。正義のためという大義名分など、この男は必要としていない。ゲーム感覚で小遣い稼ぎをしているだけだ。
 伊達は正義感の強い男だ。頭も切れるし決断力もある。リーダーの素養に恵まれているし、女にもよく持てる。それに、遼とは中学入学以来の親友だ。
 下校時刻はとっくに過ぎていたが、家には誰もいない。帰ってひとり部屋にいるのもくだらない。だから、用のない日はいつも屋上にいた。三人の仲間以外の連中とは、表面的には適当に付き合っている。毎日同じことを喋り、人間関係を適当にこなすだけ。だらだらとした退屈な日常。時々、自分が馬鹿に思える時がある。そんな時はひどく虚しい。だから、たまに刺激は必要だ。退屈な日常を紛らわすために、売人たちをぶちのめす。
 吐き出した白煙が風に散らした空中に消えて行くのをぼんやりと見つめた。眼下には薄青い暮色に沈んだ街が見えていた。貧素な商店街の明りがぽつぽつと灯りはじめている。
 母親をジャンキーにしたのはやくざだった。やくざにいいようにもてあそばれ、捨てられた。自分の父親は誰なのか、遼は知らない。おそらく、父親もどこかのやくざなのだろう。典型的なスケコマシの顔だと三島に言われたことがあるし、自分でもそう思うときがある。もしかしたら、自分は母親のヒモだった男の子供なのかもしれない。

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