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幻影と嘘の擬態 10


10

 夕暮れ。
 今日、屋上に波多野はこなかった。毎日彼女が来ると決まっているわけではない。そう思っていても、どうしてこなかったのか、やはり気になる。
 今夜、売人たちの取引現場を襲撃する。ここまでくれば覚悟を決めるしかない。出たとこ勝負だ。気分を落ち着ける必要がある。
 正門を出て、駅へと続く長い道を下っていく途中、何人かの部活帰りの生徒達が遼を追い越して行く。
 弾けるような女子生徒の笑い声。毎日、何が楽しいのだろう。少しうらやましいと感じる。
 前方に波多野の姿が見えた。一人で歩いている。声をかけようかと迷ったが、結局やめた。そんな仲でもないし、波多野と会うのは屋上だけにしておきたかった。
 駅前の商店街を通り抜け、波多野はゆっくりと歩いていく。彼女は駅のガード下をくぐり反対側に出ていった。
 この辺に住んでいるのだろうか。案外学校に近いんだな。
 その時、ガードの向こうにふいに人影が現われた。見慣れない制服の男子生徒だった。遼の学校の灰色のブレザーとは違い、紺のブレザーだった。他校の生徒のようだ。その生徒は波多野と一緒に歩き出した。
 恋人だろうか。波多野の。
 遼の胸の中に苦い思いが沸き上がってきた。それは不愉快とまではいかないにしろ、胸苦しい感覚だった。
 勝手なもんだ、俺も。梨花を抱いているくせに他の女に心奪われるなんて。
 夕陽の光が目の前にちらつく。
 なぜ、こんなことをしているのだろう。他人を付け回すなんて、まるでストーカーだ。
 波多野たちふたりは古びた本屋の角を曲がった。全体的にくすんだ色の一角の中、植木鉢の赤い花だけが精彩を放っていた。
 不思議なデートだった。お互いに全く声を交わさない。
 ふたりは迷路の様な入り組んだ裏通りを進んだ。木造の古風な家々、壁には色鮮やかな緑の蔦がからまっている。垣根が所どころ破れ明るい空き地が見えていた。住宅街や商店街を通る通学路とは全く違う下町の風景が広がっている。
 人気のない場所まで来ると二人は立ち止まった。遼は素早く垣根の影に隠れた。波多野は鞄から薬局で渡されるような紙包みを取り出し男子生徒に渡した。そして波多野は二、三枚の紙幣を男子生徒から受け取った。
 遼はふたりの動作を見て気づいた。これまで嫌というほどさんざん見てきた光景。クスリの売買だ。
 波多野が売人だったとは。
 まさかとは思う。間違いであって欲しいという気だけが膨らんでいった。しかし、間違いでなければ波多野がこの地域の組織の一員ということだ。
 遼は静かにその場を離れた。
 頭の中で様々な思考が渦巻いた。
 人の気配で顔を上げた。
 男が三人、目の前に立っていた。
 咄嗟に身構えていた。
 三人の顔に、見覚えはなかった。
「なんか用か?」
 二十前後。みんな同じくらいの歳恰好だ。やくざじゃない。
「お前のことは知ってるぜ」タバコを銜えている男が言った。こいつがリーダー格か。
「人違いだろ。俺はあんたらを知らねえな」
 学校帰りなので武器はない。周囲に視線を巡らせる。足元に石ころが一つ、落ちている。
 リーダー格が吸い殻を道路に吐き捨てた。
「お前ら、誰なんだ?」
「ガキが調子に乗るんじゃねえ」
 男たちが踏み込んできた。遼はとっさにしゃがみ、石ころを掴むとリーダー格の顔に投げつけた。石が男の額に当たった。遼も踏み込んだ。右にいた丸刈り男の顔面に拳を叩きこみ、左の金髪男の股間を蹴りあげた。三人が前を開けた。
 そのまま走り抜けようとしたが、リーダー格が遼に抱きついてきた。そのまま引き倒される。股間を蹴り上げた金髪男が、怒りに任せて靴先を叩き込んで来る。咄嗟に体を丸めて急所を守る。丸刈り男も加わった。怒りに任せて遼の身体を蹴ってくる。
 この野郎。
 連中の足先が、続けざまに全身に食いこんでくる。
 今はどうしようもない。そのうち止むだろう。
 しばらくして身体を引き起こされた。二人が両側から支えていた。正面に立つリーダー格の額から血が流れている。
「やるなあ、お前」
 リーダー格が笑っている。仲間の二人に余裕を見せているつもりなのか。
 くるそ。そう思った瞬間、腹に来た。膝が折れそうになる。左右からも腹を蹴りあげてくる。胃の中のものを吐きそうになった。
「俺を誰だか知ってるのか?」
「調子にのるんじゃねえっていってるだろ」
「お前らが誰か、思い出したぜ」
「はあ?」
「シャブの売人グループだろ?」
 リーダー格の表情が変わった。やっぱりそうか。
「めったなこと、口にするもんじゃねえよ」
 また、腹に来た。さっきほどは効いていない。
「こいつ、俺たちのこと、本当に知ってるんじゃねえのか?」
 遼の右腕をとっている丸刈り男の声が震えている。眉毛をそり上げ迫力を出しているつもりのようだが、気は弱い。
「びびるんじゃねえ、ただのはったりだ」
 リーダー格の拳が顎に来た。脳が揺れ、頭の芯が痺れた。右腕を持つ男の手が緩んだ。
 遼は上体を逸らし、再び踏み込んできたリーダー格の顎に頭を叩きつけた。男が呻いた。足は自由だ。股間を蹴りあげると、リーダー格が腰を折った。
 右腕を振り払った。左腕を取っている金髪男の顎を拳で突きあげる。口を押えて男が地面を転がった。後ろから丸刈り男が抱きついてきた。遼は体に固く食い込んだ男の指を引きはがし、一本を思い反り返らせた。
 骨の折れる感触とともに、丸刈り男が悲鳴を上げた。
「調子に乗ってんのはお前のほうだろ!」
 起き上がろうとしたリーダー格の顎を思い切り蹴り上げると、遼はそのまま男たちの間を走り抜けた。


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