fc2ブログ

幻影と嘘の擬態 11


11

 分厚い雲が空を覆っている。
 雨が降るかもしれない。
 部活帰りの学生や勤め帰りのサラリーマンたちで、電車の中は混んでいた。こんな時間に強盗するなど、初めてだった。
 三島と梨花の情報だと、取引の場所は高校のある駅から二駅の場所だ。
「大丈夫なのか?」
 伊達が青く痣になった遼の顎を見た。
「派手にやられちまった」
「お前を狙っていたのか?」
「いや。俺の行動が気に入らなくて、尾けてきて襲ったって感じだった」
「何が連中の気に入らなかったのか、心当たりはあるのか?」
「いや」
「それにしても鈴木の奴、お前のその顔を見て随分取り乱していたな。本気で心配してるって感じだったが」
「気のせいだよ、あいつはそんな女じゃない」
 遼の痣だらけの顔を見た時の、梨花の青ざめた顔が頭の中でよみがえった。
 尾けてきたのはおそらく、波多野の仲間だ。波多野を尾けてくる奴がいないか、連中が見張っていたのだ。連中の報告は波多野に行くだろう。波多野は自分を尾けていたのが遼だとわかるはずだ。
 今後、波多野がどう動くだろうか。
 遼は密売グループから強奪した金で何をするでもなくただ貯金をしていた。自分の中ではいざというときの逃亡資金にするためだと理由付けしていた。
 波多野の態度によっては、この街を離れることになるかもしれないな。
 途中で、雨が電車の窓を叩き始めた。
「振ってきたか」伊達がうんざりした顔で窓の外を眺めた。
 他の学校の生徒やOLやセールスマンと一緒に駅に降り立つと、湿った空気が周囲を包む。
 風が生ぬるい。久しぶりの雨のため、雨の匂いがきつく立ち上る。
 遼と伊達は駅を出て高架沿いを歩いた。全体的にシャッターのしまった店が多いうらぶれた商店街を通り抜ける。いかにもシャブの売買が行われていそうな場所だ。
「近くにいるぞ」
 三島の声がイヤフォンから聞こえてきた。バイヤーの位置情報は掴んでいる。連中の情報はこちら側に筒抜けだ。
「相手の方は、動きがないわ」
 梨花の声。クスリを買うバイヤーが動いていないということだ。
 嫌な予感がする。バイヤーが動かないことには取引は成立しない。
「今日は二人とも無理しないで。嫌な予感がするの」
 彼女もいつもと違う状況を感じている。
「お前らしくないな」
「うるさい」
 ふたりは街外れの薄汚れた雑居ビルにたどり着いた。じっとりと汗が頸回りに滲んで不愉快な感触がする。
「すぐ傍だ」三島の声。
「気を付けて。まだバイヤーは動いていない。取引をやめたのかも、罠かもしれないわ」
 いつもならクスリの密売人なんかぶち殺せと喚くくせに、彼女らしくない気づかいだ。
 雑居ビルの地下に行き、きしんだ扉を開ける。中からは埃っぽい煙が立ち上り、遼の目をしかめさせた。壊れたドラムやシンセサイザーが転がっている。昔はクラブだったのだろうか。灯りを付けようと壁をまさぐるがスイッチも壊れている。
「だれだ」
 低く押し殺したような声が背後でした。
 ふたりが振り返った。そこには一人の痩せた猫背の男が立っていた。骸骨を思わせる風貌の男だった。干からびた顔。目には光が無く乾ききっている。
 こいつがバイヤーか。
 この男は、ジャンキーだ。遼は本能的にそれを察知した。ジャンキーがクスリを売りさばくのはそう珍しいことではない。自分のクスリを買うために狂ったように売りさばく。どんな手をつかってでも。
「そこで何をしている?」
「いや……取引に来た」伊達が咄嗟に答えた。この状況ではそう言って誤魔化すしかない。
「何だ……買いに来たのか」
「そうだ……取りあえず五十万円分だったな……」
「もう無い。全部売り切れだ。他を当たってくれ」
「どういうことなんだ? 他に売るなど、聞いてないぞ」
 伊達が言った。
 なんだ、こいつは。他の奴に売ったっていうのか?
「いやな……一割増しで買ってくれた奴がいたんで、売っちまったんだ」
 男は卑屈な表情で答えた。伊達のはったりが功を奏したようだ。
 だから、ジャンキーは信用できない。下手をすれば殺されるようなルール違反を平気で冒す。絶対に取り決めを守らない。
「誰が買っていったんだ?」
「ああ……若い女だったよ。まだ女子高生じゃないのかな」
 男はだらしなく口を半開きにしたまま、そう言った。
「そいつは神の長い、青白い顔をした女だったか?」
「そうだな、そんな感じだった」
 遼の言葉に、男は、キヒヒと笑った。遼はその女が波多野であることが直感的に分かった。
 なぜだ。なぜ波多野はそんなことをしているのか?
 遼は波多野に対して何か超然とした、非現実的なものを求めていた。だから彼女が薬物に手を染めていることに、違和感があった。
 伊達がこちらを見ている。そいつが誰なのか、お前は知っているのかと問い詰める視線。
「ということは、お前はまだ金を持っているってことだな」その場を誤魔化すように、遼は目の前の男を睨んだ。
「そんなはずはないだろ。そんな危なっかしいことするわけないさ。とっくに仲間が持って行ったさ」
「いや、その女が来たのはついさっきだったはずだ。金はまだここにある。お前はここに金を隠しに来たんだ」
 男の顔つきが変わった。右足を引きずりながら後ずさる。
「約束していたのに他の奴に売った罰だ。お前の金を貰う。どこにある」
伊達がスタンガンを手に持ち、火花を散らせる。
「だ、誰が渡すもんかい!」
 遼がバイヤーを引き倒し、伊達がスタンガンを押し当てた。切り裂くような悲鳴が部屋に響く。
「俺達は遊んでいるんじゃない。馬鹿にしないほうがいいぞ」
 伊達がまたスタンガンを男に押し当てた。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

アーケロン

Author:アーケロン
アーケロンの部屋へようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR