幻影と嘘の擬態 12
12
あのバイヤーからクスリを買ったのは一体だれだったのか。
伊達に召集されて集まった校庭で、誰もが口を噤んだ。
遼も首をひねって見せた。黙ってはいたが、波多野が絡んでいることを確信していた。
昨夜金を奪った後、伊達に詰問されたが、何とかはぐらかした。いや、伊達が許してくれたといったほうがいいだろう。遼が何かを隠していることに、伊達はもう気づいている。
こいつとは長い付き合いなのだ。
標的をとらえられなかったことで、三島は皆に平謝りし、梨花は苛立っていた。こちらのマークを外れていた得体のしれない組織に、誰もが不安を隠しきっていない。
たしかに、灯台下暗しだ。その組織に属しているものが、この学校にいるのだから。
「俺たちのことを知っている奴がいる」
遼の言葉に、梨花が眉を潜めた。
「だったら、もっと本格的に襲ってくるわよ」
「そうしないのは何か理由があるんだよ。状況がはっきりするまでしばらく手を引いたほうがいい」
「嫌よ」梨花が三人を睨みつけた。
「金なら稼いだだろう。昨日だって一人当たり十数万の稼ぎだった」伊達の言葉に、梨花が顔をしかめる。
「お金のためなんかじゃない。クスリを売る連中に痛い目を合わせなきゃ」
梨花がクスリの売人を恨んでいるのは、全員知っている。
「明日、でかい取引があるんだけど、どうする?」
三島が恐る恐る皆を見た。やるわという梨花に、遼が舌打ちをする。
「あんたたちが怖いなら私が強奪犯に加わってあげるわよ」
「いっただろ。お前じゃ役に立たない」
遼の言葉に、彼女が怒りで顔をほのかに赤く染めた。
「問題はこちらが連中の正体を全く知らないということなんだ。それに対し、連中はこちらのことを知っている可能性がある」
「どうしてそう思うのよ」
「抜け駆けしたんだ。こちらの動きを知っていたかもしれない。しかし、情報が漏れたとは思えない」
「当り前よ。私たちがそんなへま、するわけない」
「だが、動きを読まれていた。次は罠かもしれない」
「罠なら気づくわよ。昨日のことだって、結局罠じゃなかったんでしょ? 怖がり過ぎ」
こうなると梨花は引き下がらない。
「連中の動きで実行か中止かを判断する。昨夜のことは、結局は成功したんだ。次に目を向けよう」
伊達が最後を締めた。そうよという梨花。
ちょうど予鈴が鳴った。
空には雲がゆっくりと流れ赤光が差している。
放課後。
教室から出て階段を降りてくる生徒に逆らい、遼は階段を上がった。
行くのはどうもはばかられた。だが結局遼は屋上に上がっていた。
波多野はもう来ていて例の匂いの強いタバコを吸っていた。
色々とややこしいことになっているのにも関わらず、波多野のそんな姿を見ると、心臓に心地よい鼓動の速さが訪れる。
タバコを取り出し火をつける。遼は自分自身に恐ろしく似合わない感情が存在するのに、いささか戸惑いを覚えた。
波多野が遼の方にゆっくりと眼をやり首を少しかしげた。波多野は遼の顔を探る様に見つめた。その後ふいに風景に眼を転じた。
先日取引の場面を目撃されたことは、遼を襲った仲間たちに聞いて知っているはずだ。
「あなたは、退屈じゃないの?」
突然、波多野が話しかけてきた。彼女の表情に特に変ったものはない。いつもの無表情。今まで波多野から話しかけてきたことはなかった。
「そりゃ、どういう意味だ?」
「手軽な刺激が欲しくないかってこと」
「クスリでも売ってくれるっていうのか」
「欲しいなら……あるわよ」
「俺がヤクをやりそうに見えるのか?」
「あなたみたいな顔をしたのがよく買いにくるわ」
波多野は、あっさりと自分が売人であることを告白した。
「いいかげん、やめた方がいいぞ。バレたらヤバイし、暴力団に睨まれることだってある」
「いつから私の正体に気づいていたの?」
「初めてこの屋上で会った日かな」
「嘘」
「左腕の傷を確認された。その前の日、俺は売人とやり合って怪我をしたんだが、お前はそれを知っていたんでな」
「へえ、思った通り、鋭いのね」
「それに鼻も利くんだよ。お前は俺と同じ匂いがした」
波多野が遼を見た。微かに感情の宿った目。しかし、それがどんな感情なのかわからない。
「お前も俺のことを知っていたはずだ。どうして仲間に言わなかった?」
「さあ」
彼女が誰もいなくなった校庭を見ながらタバコの煙を吐き出した。
「じゃあ、私が筋金入りのジャンキーだったってのは知ってた?」
波多野は皮肉っぽい表情で言い捨てた。顔色が悪く痩せ気味。なんとなく、そうだったんじゃないかとは思っていた。
「ドラッグは中学二年生くらいからやっていたの。最初は遊び半分だったけど段々深みにはまって気づいたら手放せなくなっていたわ。ドラッグを通じて知り合った男と同棲して、中学卒業の頃には廃人寸前になってた。なぜか無性に暴力を振るった。幻覚が見えるのよ。人間が何か菌のかたまりに見えるの。その男に熱湯をかけてね。そいつ大火傷した。それがきっかけで親に居場所がばれて病院に入れられたの」
波多野はそこまで言うと新しいタバコを銜えた。
「病院に送られても暴れたり幻覚を見たりした。禁断症状は苦しかった。体の中の内臓とか全部吐き出すみたいな気分になるの。それだけじゃなくて頭痛とか手足が突然痺れたりしてね。とても痛みに耐えられなくて壁をかきむしったり頭を打ちつけたりした。爪を剥がしかけたこともあった」
波多野は奇妙な薄い笑みを浮かべた。
「でも何とか生きて出てきて高校に入った時、一緒にドラッグをやってた友達が二人、死んだのを知ったわ。一人はやりすぎの中毒死でもう一人幻覚を見て階段から落ちて死んだの。高校でもフラッシュバックが起きてちょっとした口喧嘩しただけの相手を刺しちゃって今度は保護監察。ざっとこんなものね。あんまり面白くはないでしょう」
遼は運動場を眺めながら黙って波多野の話を聞いていた。
「ドラッグでそんな目に合わせられたのに何でバイヤーなんかになったんだ。クスリ目当てか? それとも金目当てか?」
遼には波多野の投げやりな態度の底に、静かな諦めの様なものを感じた。遼にはそれが自分をいいようもなく惹き付けていたように感じた。
「フラッシュバックなのよ。きっと。クスリを売ることは不特定多数に暴力を振るうことだから。時々思うわ。私達は確実に何人かの人間を廃人にしているなって」
疲れがどっと出たようなうつろな顔。それは空気を濾して奇怪な明るさをももたらしていた。
「それが、楽しくて仕方ないの。狂っているんだわ。私は」
波多野はぽつりとそう言って、火をつけたばかりのタバコを捨てて、遼に背中を向けた。遼は波多野の瞳を意識しつつ振り返らなかった。
彼女がこの場から去ってからも、遼は一人残って誰もいない校庭を眺めていた。