幻影と嘘の擬態 15
15
もう夕暮れだった。
河原を吹き渡る風が涼しい。雑草と水の匂いが微かに漂う。この河原は駅と反対の方向にあって、暇な時はよく来ている場所だ。
波多野に連絡がつけられないならどうしようもない。こうなってくると薄情なもので波多野の自業自得じゃないかという気分にさえなってくる。
水銀灯が遼の背後で点々と灯りはじめていた。向こう岸には護岸工事のためだろうか、大型の重機がひっそりと佇み、地面に影を落としていた。
遼は腹立ち紛れに胸のポケットからタバコを取り出そうとした。
勢いあまってライターを取り落とす。河原の石にライターが落ちる金属的な音がした。
何人かが遼のすぐ側を通り川岸へ駆けて行く。浜辺に集まったのは五、六人でTシャツやジーパンといった軽装だった。紙袋からロケット花火を取り出している。
季節外れの花火か。呑気なもんだ。
遼はライターを拾い、自分のタバコに火を付ける。
「警官の姿は見えないな」
伊達が周囲を見回す。初老の男が一人ベンチに腰かけている他に、人影はない。
大きな取引がある。三島の情報は正確なはずだ。警察も見逃さないはずだ。
「どうだ、悠太」
「公園に入ったところだ」
整然と並べて地面に刺されたロケット花火。それは昔の戦争映画で見たロケット弾の一斉発射を連想させた。一人が次々にライターで火をつけた。ロケットは長い尾を引いて濃紺の空に駆け上がり赤い閃光を散らした。後には火薬の匂いと甲高い音が残る。
彼らは次々と花火に火をつける。派手な音を上げ、ネズミ花火が地上を走り回り、仕掛け花火が光と熱の飛沫を散らした。
「バイヤーは?」
「川の傍」と梨花の声。あの花火の連中がそのようだ。花火で無邪気に遊ぶ若者グループ。あの騒ぎはカモフラージュか。
たしかに彼らは何の表情も見せなかった。花火をしているというより黙々と消費しているという感じだった。その様子に何か不自然さを感じる。
十分程たっただろうか。別の一団が現れた。花火をしている連中の所に近寄っていく。
「あれだ」
「全部で五人か」
「警察が来なければ逆に不利だな」
「気にすることはねえ。やっちまおうぜ」
その時だった。背中に強烈な光が浴びせられた。慌てて振り向いた。急停車する音。そして乱暴にドアを開け放つ音。バラバラと男たちが白バンから降り立ち、遼を突き飛ばすように川辺に駆けていった。
一瞬のことだったが遼は全てを理解した。警察だった。
現れた一団が若者グループを取り押さえようと奮戦している。
「くそ!」
伊達が舌打ちする。
巻き込まれないうちに、早くこの場を離れるべきだった。だが脳の命令に反して体は一歩も動かない。
そんな中でも遼の視線は河原へと釘づけにされていた。連中は激しく抵抗していて、罵声や怒声が響いている。だが所詮は素人だ。場数を踏んだ刑事にかなうわけもない。一人また一人と体の動きを封じられ引きずられ、こづかれながら連行されていった。犬に追い立てられる獲物のように。
いつの間にか、周囲にはパトカーや制服姿の警官の姿があった。騒々しい回転灯の輝きが周囲を赤く染め上げサイレンがけたたましく泣きわめく。間違いなく、手入れだった。
例の一斉検挙の場に出くわした。だが、彼らの中には波多野の姿は見当たらない。
別の組織なのだろうか。だが、もはや知らせる手だてもない。
「こうなってしまってはどうしようもない。いくぞ」
ふたりは走り出していた。どこまでも続いているような水銀灯の並ぶ暗い道路を走る。吐く息が荒い。血が頭に昇っていく。角を曲がった暗い路地で、ようやく息をつく。ふいに何人かの人影が目の前に現れた。警察かと思った遼は身を凍り付かせる。
「おい、あぶねえじゃないかよ」
高校生らしい男が文句を言うと遼を押しのけようとした。遼はその集団に波多野がいることに気付いた。
「波多野……?」
間違いなく波多野だった。思ってもみない場所で遼に遭遇したので波多野が驚いた表情を浮かべた。波多野は制服ではなく私服だった。黒いベストを羽織っていた。遼は喉から声を絞り出すように叫ぶ。
「河原には行くな! 警察が張っている!」
「おい!」伊達が慌てて遼の肩を掴んだ。
「何でテメエが知ってるんだ!」
波多野と一緒にいた連中の内、派手なTシャツを着たスキンヘッドの一人が叫び、遼の胸ぐらに手をかける。
「お前ら、何なんだよ。一体。どうして波多野のことを知っている?」
スタンガンをいつでも取り出せるよう、伊達がポケットに手を入れた。
遼は波多野に目を向けた。
「私はこんな奴、知らないわ」
波多野の言葉はにべもないものだった。
遼は咄嗟にスキンヘッドを突き飛ばした。
男達の怒声を後ろから浴びせられながら、伊達と二人で迷路のような路地裏を駆け抜けた。