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幻影と嘘の擬態 16


16

 定期テストが終った。
 疲れた気分で教室を出ると、梨花が待っていた。
「よう、得意な数学はどうだった?」
「悔しいけど、あんたの言うとおりだった。解き方を覚えるくらいしかしてないのに、すらすら問題が解けた」
「これで学年トップも夢じゃねえな」
「来年はクラス替えね。理系コースと文系コースに分かれるんでしょ? あんたはやっぱり理系よね」
「俺は大学なんか行かねえよ。金はねえし、母親はまだムショの中だし」
「お金なら、ずいぶん稼いだじゃない。あんた、頭いいのにもったいないよ」
「それに、大学生ってがらでもねえしな」
 梨花は何も言わなかった。正門の傍の花壇の前で、梨花に友人たちが彼女を待っていた。
「今日、あんたの部屋に行くから。試験も終わったしね」
「そりゃ、助かる。爆発寸前だったんだ」
「最低」
 梨花が友人たちのもとに走っていく。遼はひとり校舎を出た。
 白い空は相変わらず変に熱気をはらんでいる。
 あれから数日が過ぎていた。
 三島からの情報では、警察の手入れで大手がひとつ壊滅した。波多野とは別のグループらしい。
 その波多野も、梨花の話では試験を受けに来ていなかったようだ。おそらく退学するのだろう。
 好きにすればいい。彼女が決めることだ。
 しかし、今は何かが抜け落ちた感覚が胸に巣くっていた。
 遼はゆっくりと歩きだす。校門の側に一人の男子生徒がいた。遼の学校の制服ではない。茶髪とピアスという、いかにも柄が悪そうな感じだったが、背が低いため奇妙な印象を与えていた。
「あんた、阿久津さん?」
 横を通り過ぎようとしたとき、男が口を開いた。
「ああ」
 思わず頷いてしまう。
「そうか。じゃ、ちょっと顔貸してくれや。うちのリーダーがあんたの事を探しててな」
「リーダー?」
「波多野サンだよ。知ってるだろ」
「波多野が?」
「あんた、俺らの新しいお仲間か? よくわかんねえなあ。波多野サンのすることも」
 男は怪訝そうな顔をして唾を地面に吐き捨てた。
 こいつについて行くべきだろうか。様子を見ている限りだと、すぐにどこかに連れ込まれて袋叩きには、ならないと思った。
 何にせよ、やはり波多野にはもう一度会いたかった。嘘かもしれないが、この男についていく他はない。
 曲がりくねった迷路のような小路を通り抜けた。暑い。額にたれてきた汗を拭う。異様なまでの静寂が周囲に存在する。
 かなり長い間歩いたと思う。男は大学生や独身者が下宿しているようなひどく古びたアパートの前に立ち止まった。
「ついたぜ。二階の端だ」
 男は顎をしゃくった。
 錆びた階段に手すり。無数のひびがはいった灰色の壁。大量のゴミが散乱している。廃虚寸前の有様だった。とても人が住んでいるとは思えない。
 階段の側には四人の私服の高校生が車座になってタバコをふかしたり、缶ジュースを飲んでいた。一人は女子高生だった。
 皆、奇妙に老けて見えどことなく暗い目をしていた。あの雑居ビルの地下で見た男と同質の雰囲気が漂っている。遼が彼らの側を通る時に八つの陰鬱な視線が注がれる。胸倉を掴んだスキンヘッドはいなかったが、見覚えのある顔が三つ並んでいた。ひとりの左手に包帯が巻いてある。
 遼を見て三人が立ち上がった。
 波多野の後をつけた日、遼を襲ってきた三人だった。
 やはり波多野の仲間だったのか。
「この野郎!」遼に気づいた一人が立ち上がった。
「よう、元気だったか」
「後でぶちのめしてやる」
「おう、いつでもかかって来いよ」
 遼に睨まれ、三人の表情が変わった。どうやら、それほど喧嘩の場数を踏んでいるわけではなさそうだった。
 遼は軋む階段を昇り、端の黄ばんだプレートに205号室と書かれた部屋の前に立った。インターホンを押すが誰も出ない。インターホンそのものが壊れているようだった。仕方なく、所どころガムテープを張って補修したドアのノブを回す。ドアは手応えなく開いた。                
「どうぞ」
 部屋の奥の窓際に波多野が腰掛けていた。逆光で顔はよく見えない。遼は部屋に入った。部屋はひどく乱雑な状態だった。つみ重ねられた古雑誌や壊れたオーディオ類が放置されている。遼と波多野を隔てているこの部屋に不似合いなほど長い机だけが存在感を示している。机の上にはガスバーナーや試験管が並べられ、よく見ると部屋の隅に換気扇までが転がっていた。波多野は少し疲れたような顔をして遼に座るように促した。
 蒸し暑さが部屋中に充満していた。学校にきていないはずなのに、波多野は制服を着ていた。第一ボタンだけを外したその姿が妙に艶っぽくて、遼の心臓の鼓動を早くした。波多野は例の香りの強いタバコを胸のポケットから出して遼にすすめた。
「タバコいる?」
「いや、いい」
 波多野はガスライターでタバコに火を付け、白煙を空中に吐き出した。強い匂いが広がる。
「この間は悪かったわね。知らないなんて言って」
「いいさ、別に。あそこで下手なこと言ったら、仲間から疑われるもんな」
「何で私達を助けたの? 今バイヤーたちを騒がしている強盗が」
 波多野はつぶやくように言った。
「さあな。企業秘密だ」
 何でだろうか。今さらこんな事を考えるのはばかばかしかった。気になったから、心配だったから。
 波多野は気だるそうに髪をかきあげた。
「でも、あなたの商売ももうすぐ終わるわ。近々、売人グループが一斉に摘発されるわ。うちも警察にもマークされているし、証拠も握られているの」

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