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鮮血のエクスタシー 14


鮮血のエクスタシー 14

 バイクのエンジンを止める。そばを通る自動車のエンジン音だけが響いている。信号で停車している車の中で、男が火のついたタバコをくわえたまま、ハンドルを握っている。
 後部座席に括り付けていたバッグを持ち、サングラス越しに二十七階建ての白亜のホテルを見上げる。大島からの情報では、あと一時間以内に、ここに奴らが現れるはずだ。ホテルの周囲の道路はどこも渋滞していて、夕方までは解消されないことは調査済みだ。
 頭にかぶったウィッグの先が首筋に触れて痒い。足が震えている。大仕事の前の武者震いか、それとも恐怖しているのか。地面を強く足で踏みつけ、アンナはホテルに向かった。
 ホテルの入口。目の前に、車が急停車した。不意をつかれて身構えたが、車はそのまま走り去っていった。
 ホテルのロビーに入り、右手のラウンジを覗く。午後一時。客はまばらで、人の出入りはまだない。
 ラウンジに入り、入り口付近の席に着く。すぐにウェイターが寄ってくる。昼食はまだだが、食欲などない。コーヒーを注文し、気持ちを落ち着けるためにセーラムライトに火をつけた。
 周囲の地理は頭に入っている。バイクも、決めた場所に置いてある。あとは待つだけだ。
 横の椅子に置いたバッグにそっと触れる。フルフェイスヘルメットと防弾チョッキ。二丁のベレッタが入っている。カバンを開ければいつでも抜ける。
 三日前に、丸一日下見をした。周辺の道路、人の動き、路地という路地、派出所や警察署の位置、襲撃現場となるホテルのラウンジ。ラウンジを出てエントランスと逆の方向に走れば、従業員専用通路があり、外に出られる。外に出て左に曲がれば、バイクを置いてある駐車場に出ることができる。
 バイクを走らせ山に入り、山上公園まで突っ走る。ヘルメットと防弾チョッキを外してライダースーツに着替え、バイクのプレートを取り換え、すぐにその場を離れる。ヘルメットと防弾チョッキはバッグに入れて池に沈めることを忘れてはいけない。
 頭の中でシュミレーションを繰り返していると、一時半になった。
 一目でその筋とわかる、黒ずくめの男たちが入ってきた。三十代が十五、六人。若い男は二人しかいなかった。吉井の姿が見えない。まだ時間前だ。それにこれほど子分たちが集まってきているのだ、まさか、ここにこないということはないだろう。
 十分後、ずんぐりした身体つきの男が、四人の男を従えてラウンジに姿を現した。吉井だ。集まっているのは、全部で二十人。
 一度、深く息を吸った。席を立って伝票を手につかむ。
「申し訳ございません」
 レジでさっきのウェイターが申し訳なさそうに頭を下げた。風体の怪しい団体がきたので店を出ていくのだと思われたようだ。
「いいの、気にしないで」
 支払いを済ませてラウンジを出る。入り口の脇に見張りの男が一人立っている。まずはあれを始末しないと、後ろから反撃されることになる。
 すぐ横の女子トイレの個室に入ると、バッグを開けた。ジーンズの上からつなぎの作業服を着て防弾チョッキをつける。弾倉を抜いて二丁のベレッタに弾が込められていることを確認した後、一丁と予備弾倉四本を腰に差し込み、もう一丁を脇にぶら下げる。最後にフルフェイスマスクをかぶって個室を出た。
 鏡に映ったその姿を見て、笑いそうになる。トイレの翳からそっとエントランスを覗きこむ。見張るの男が暇そうに視線を辺りに泳がせていた。腰のベレッタを抜き、胸の前に構える。
 呼吸を、二つ数えた。ふっと、頭の中が白くなった。アンナはトイレから飛び出した。
 見張りの男が背中を向けている。心の中は空っぽだった。本能に従い身体を動かす。そう決めていた。気が付けば、気配に気づいて振り向いた男の眉間を打ち抜いていた。
 ラウンジに飛び込む。銃声を聞いて、数人の男たちが席を立っていた。タバコを口にくわえたままこちらを見ていた吉井と目があった。ひときわ大きな体をしているので、吉井はラウンジの中でも目立っていた。大きな標的に、外す気がしなかった。
 吉井が立ち上がった。そばにいた男が慌てて吉井の前に立ちふさがった。ベレッタを構え、二連射する。男が吹っ飛ぶ。吉井は恐怖に満ちた眼をむき出しにしている。
 女性の悲鳴や叫び声が聞こえてきた。まだラウンジの席にいた堅気の客のようだ。組員たちが一斉にテーブルを倒して盾にした。
 ひとりの男が立ちあがって怒りをあらわに向かってくる。肝の据わった男だということを見せつけたいのか。男の頭に狙いをつけて引き金を引く。男の頭が吹っ飛んだ。血と肉片の飛沫が周囲に降り注ぐ。その様子を見ていた男たちがテーブルの後ろにしゃがみ込んで身を隠した。脅しではなく本気なのだということが分かったのだろう。
 吉井が隠れているテーブルに狙いを定める。顔を出してこちらを確認した吉井が、すぐに頭を引っ込めた。
「どこのもんじゃ、こらぁ!」
 吉井の怒声が響いた。テーブルに向けて発砲する。破片が飛び散り、吉井が悲鳴を上げた。また一人立ちあがった。走り去ろうとする男に向けて発砲する。後ろに吹っ飛ぶ。男の胸元に開いた穴から血が吹き上げている。
「狙ってんのか? 俺を」
 再び吉井の声。返事の代わりに彼のひそんでいるテーブルに向かってまた発砲する。そばの男がテーブルを持ち上げて立ちあがった。テーブルを盾にしてこちらに向かってきた。脚を狙う。脚を撃ち抜かれた組員が床に倒れた。のた打ち回る男に向け、ベレッタを連射すると、男は血を噴いてすぐに沈黙した。
 アンナは両手でベレッタを構え、テーブルを挟んだ位置にいる吉井に銃口を向ける。倒したテーブルの後ろに隠れていた吉井が飛び出した。
 一発の銃声とともに吉井の左胸に穴が開く。吉井が倒れた姿勢から苦しそうに上半身を上げ、傍にいた組員のテーブルに隠れる。防弾チョッキをつけていたのだ。
 離れた場所にいた男が二人、立ち上がった。銃口を向けて引き金を引く。撃発音とともに一人が吹っ飛んだ。もう一人が走った。その体を追い、ベレッタが吠える。背後をとられるわけにはいかない。男の脇腹が弾けて床を滑り、叫び声をあげながらのた打ち回った。
 誰も反撃してこない。どうやら全員丸腰のようだ。いつ警察に身体検査を受けるかわからないので銃を持ち歩けないのだ。
 誰もがテーブルからテーブルへがむしゃらに突っ込み始めた。組長を守ろうと、アンナをかく乱しようとしている。男たちが立ちあがるたびに銃声が鳴り響く。このまま時間を稼いで警察が来るのを待つつもりらしい。
 絶対に逃がさない! アンナは銃を握る手にさらに力を込めた。
「頭を下げろぉ!」
 どこかで男が叫び、頭を抱き込んで身をかがめる。銃声が響き、吉井のすぐそばのテーブルに着弾して削り取られた砕片が飛び散る。そばにいた男に跳弾が当たり、もんどりうって倒れる。
 アンナは発煙筒の蓋を開け、蓋の頭を擦り付けて煙を起こした。吉井が隠れている辺りに放り投げる。
 爆弾が投げ込まれたと思った男たちが一斉に立ち上がった。くそ、くそ、くそ、と誰かが呪文のように唱えている。
 男が一人、テーブルを飛び越えて、眼前にまで迫っていた。そっと近寄ってきていたのだ。銃を持ったアンナの右手を両腕でつかもうとする。男がアンナの手首を掴んだ。右腕をグッと内側へ押した。銃口をアンナの心臓に向けようとしていた。アンナは左手でもう一丁のベレッタを引き抜いた。男にむけると、慌てて手を離した。右手に持ったベレッタを男に向けた時、視界の隅に立ちあがる吉井の姿を捉えた。
 右手の銃を吉井の頭に向け、引き金を引く。頭を撃ち抜かれた吉井が床にドッと倒れた。頭から脳漿が飛び散るのを、アンナの目ははっきりととらえた。
「親父!」
 誰かが叫んで、危険を顧みずにテーブルから飛び出して吉井のもとに駆け寄った。仕事は終わった。アンナはベレッタを連射しながら、一気に出口までダッシュした。アンナの姿を見つけたフロントの係員が悲鳴を上げた。
 フロントを出て左に曲がり、従業員専用門を目指して走る。扉を開け外に飛び出す。金網フェンスの向こうに、緑に包まれた丘が見えた。コック姿の男が三人、喫煙所で煙草をふかしながらこちらを見ている。彼らに背中を向けて駆け出す。
 駐車場に出る。たかだか三十メートルの距離がこれほど長いと感じるのは初めてだった。息を切らせながらバイクに跨る。休む暇はない。キーを回し、スターターを回す。エンジンが心地良い唸りをあげる。
 レバーに置いた手が、荒い息遣いと一緒に揺れていた。ゆっくり、バイクを駐車場から出す。荒い息は、まだ収まっていない。時々視界が暗くなった。
 道路は渋滞していた。極度な緊張を強いられる状態に置かれていたうえ、激しく走り込み、その上シャツとジーンズの上に体型を隠すつなぎの作業服と防弾チョッキを着ているので、身体は汗まみれだった。渋滞の道路を途中で脇に折れ、住宅街を走る。団地、一戸建て住宅、分譲地が混じっている。少し走り、空き地が目立ってきた。
 検問はまだ敷かれていなかった。走り出してから十分といったところだ。
 山道に入った。いくらか汗が引き、呼吸も楽になっていた。制限スピードを守りながら走る。この辺りで防犯カメラを気にする必要もない。
 平日の午後。山上公園に人影はまばらだった。人気のないところまで山道を登り、バイクを停める。ヘルメットを外し、防弾チョッキと作業服を脱ぎ捨てると、一気に溜まっていた体温が逃げていく。爽快感に思わず声をあげた。
 バイクのキーを抜き、ナンバープレートを正規のものに取り換える。外したナンバープレートと防弾チョッキを作業着に包んでカバンに入れ、ヘルメットをその上から押し込んだ。
 公園の中に入る。老夫婦が二組、池のそばのベンチに座っている。彼らから離れた場所まで来ると、持っていたバッグをそっと池に投げ捨てた。
 ベンチに座る。設置された灰皿に気づき、タバコが吸いたくなった。セーラムライトに火をつける。
 ニュースを見た大島が、明日には大金を振り込むだろう。キャッシーにも、日本での自分の活躍は伝わるのだろうか。もしグアムでこの事件が報道されたなら、彼女は気が付くだろう。
 頭上を名前も知らない鳥が鳴きながら飛んでいる。腕時計を見た。街に降りるバスの時間まであと三十分もある。警察はもう検問を始めているだろう。乗り捨てたバイクが発見されるのは、いつになるだろうか。
 心地よい疲労感。何も頭に浮かばなかった。肺に入ってくる煙に含まれるミントのかすかに冷たい刺激だけを感じていた。煙草は、すぐに短くなった。
「あ……」
 体の奥から何かが流れ出てきた。沙羅が欲しくなった。

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