鮮血のエクスタシー 19
鮮血のエクスタシー 19
新宿のホテル。平日の夜七時。ロビーに人は多かった。
エントランスに氷室が姿を現した。
「申し訳ない、親分」
「こんなところで親分はやめてくれ」
「これはこれは、気が付きませんでした」
氷室がソファに腰を降ろした。
「あんたはいい仕事をしてくれた。払った分の働き以上のことをしてくれたさ。足りなきゃ、また振込むぜ。それともあんた、警戒してんのかい?」
「いえいえ、十分ですよ」
氷室が笑った。岩丸は煙草をくわえた。ボディーガードがさっとライターを差し出す。式服を着て引出物らしい風呂敷包みを膝に載せた男が、隣りに腰を降ろしていた。
「こんなところに出てきて大丈夫なんですか?」
「殺し屋が怖くて引きこもってばかりいられるかい。それに、今夜、ここで人と会うんでね。で、調べは?」
氷室が、内ポケットから小さなメモ用紙を取り出す。
「向こうの探偵に頼んだので高くつきましたが、さすがプロですよ」
「わかったのかい?」
「グアムの訓練所でした。ハワイでは東洋人は意外と目立つらしいんです。それにひきかえ、グアムでは中国人と韓国人がよく訓練を受けにくるらしくって。調べた結果、アメリカ軍の元海兵隊の女がやってました。経営者の女は口を割らなかったらしいんですが、そこに通っていたスタッフからうまく聞き出せたんですよ」
「身元も分かったのか?」
「政府の方針で銃器の訓練を受けるときは身分を明らかにさせることになっているんです。これが女のパスポートのコピーです」
氷室が差し出したコピーを受け取った。意志の強そうな若い女。いい女だ。身代わりにした女にそっくりだった。この女の間違いない。
「今調べていますが、名前はでたらめでしょう」
「偽造か?」
「パスポート自体は本物ですが、見知らぬ他人の戸籍を買って作ったんでしょう。しかし、写真はごまかせません」
「女子大生のほうは?」
「大学に出てきたのを見つけました。美術専攻でね。キャンバスになにか塗りたくったり、そんなことをやってるらしいんです。大学を出た後、実家に帰りました。自分のマンションには今夜あたり戻ると思います」
「女は警戒してんじゃねえのか。女子大生がヤサにもどるってっどういうことだ?」
「素直に実家に戻ったってことは、こちらの正体がばれていないって思ってるからです。尾行には気づいたけど、ストーカーか何かだと思ってるようですな。見張っていれば、殺し屋のヤサを特定できますよ」
メモには女子大生の写真も添えられていた。小柄の、ほっそりした清楚っぽい女。しかし、胸が大きく尻も張り出している。なかなかの体型だ。
「ヤサさえ突きとめれば、そのパストートのコピーの写真と較べればいいんですよ」
「やっぱりあんたは、仕事の出来る探偵だ」
岩丸は満足そうにうなずいてタバコを灰皿の上でもみ消した。もう、見つけたも同然だ。
「女を特定すれば、追加で礼金を支払ってやる」
「それはそれは、もう、感謝の言葉もありません」
氷室がソファから立ち上がろうとした。
「探偵さんよ」
「なんです?」
氷室が再び腰を降ろした。
「殺し屋の女は、まだ動くと思うかい?」
「さあ、どうでしょうか?」
「隠すなよ。あんたにゃ、わかってんだろ、この先どうなるか」
「あたしは何も」
「俺が何を考えているかも、あんたは察してんじゃねえのかい?」
「これでも、いらん勘繰りはしない主義なんですよ」
「俺ゃ、あんたを気に入ってるんだ。この先、専属で雇いたいくらいだ」
「そりゃ、ぜひそうしていただけると助かります」
「だから、あんたの本音を聞きたいんだよ。この先パートナーになるにゃ、お互い腹を割るこたぁ大事だぜ」
氷室がにやりと笑った。
「お互いの組織を壊滅させようとしてんのなら、近いうちに動くでしょうね。あまり間隔を開けると、そのうち手打ちでもしかねねえですから」
「殺る相手は?」
氷室が顔を寄せていた。そばにはボディーガードが立っている。
「おそらく、斉藤組長でしょう」
そっと耳打ちする。
「そりゃ、大変だ。組長の命を守らねえとな」
岩丸が氷室を見た。
「殺し屋のヤサを突き止めたら、どうしますか……?」
探るような氷室の声に、思わす大笑いした。この男はやはり仕事が出来る。
「氷室さんよ。これは大事なことなんだ。人違いだったなんてことになっちゃ、今度はエンコ飛ばすだけじゃ、すまなくなる。わかるか?」
「そりゃ、もう」氷室が笑った。
「でも、確認作業となりゃ、時間がかかりますよ」
「頼むよ。慎重にやってくれ」
「わかりました」
ヤサは、殺し屋の女が仕事を終えた後で特定すればいい。
黒いスーツの男に連れられ、若い女がエントランスに姿を現した。
「パパ!」
岩丸を見つけた少女が手をあげた。
「あれが待ち人ですか。いや、お若い。女の子じゃなくって、親分がですよ」
「あの程度の女ならいくらでも世話してやるぜ」
「いやいや。わたしにゃ、そんな元気はありません」
少女がそばまでやって来て、岩丸に抱きついた。
「それじゃ、あたしはこれで」
ソファから立ち上がると、氷室は逃げるようにホテルのロビーから姿を消した。