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野獣よ暁に吼えろ 8


野獣よ暁に吼えろ 8

 翌朝は、祭りの初日に相応しいいい天気だった。早朝から夏を惜しむような蝉の鳴き声が聞こえてきた。祭りを待ちきれない子供たちの声も聞こえる。
 祭りの期間中は小学校も中学校も高校も休みだ。子供たちが喜ぶのも無理は無い。祭りは大変な人出になりそうだった。
 九時半に持ち場に着いた。ふたりで露店の設営を始めた。釣堀を組み柱を立て屋根を乗せた。
 釣堀に水を張りウナギを入れる。釣竿に紙縒りで作ったハリスと針をつけ、釣堀の周りに立て並べた。
「俺はウナギ釣り一筋なんだ。今年でまだ三度目だが」
「本当にこんなので釣れるんっすか?」
 竹を裂いただけの頼りない竿を振りながら、一平太が訊いてきた。
「上手なやつは三匹も釣る」
「信じられないっすね」
 一平太が訝るのも無理は無い。紙のハリスは頼り無さそうだし、ウナギは太って元気そうだ。
 子供たちの姿がどんどん増えてくる。ウナギの様子を眺めながら釣堀の前を通り過ぎていった。少ない小遣いを何に使おうか、頭を悩ませているのだろう。周囲を見回すと、ほぼすべての露店が営業を始めていた。
 昨夜の代貸しの言葉を伝えると、明生はさも馬鹿にしたように、ふん、と言った。
「この渡世を送る人間で、縄張りを人に譲るやつはいないよ。連中にとって一番大事なものが縄張りなんだ。俺に譲ってもいいなんて言うのは、まったくの出鱈目だ」
「明生さんにその気がないので、そう言っているだけなんじゃないんですかね。俺には、冗談を言っているようには聞こえなかったっすけど」
「俺はもうここの人間じゃねえ。今さら祖父の事を持ち出しても、もう何の意味も無いだろう。縄張りは代貸しがガッチり抑えているんだからな。俺を代貸しの子分にしたところで、代貸しの力が変わるわけじゃあない。俺はここじゃあただの余所者だし、祖父の子分たちで俺の事を知っているのは工藤くらいのものだ」
「そうっすよね」
 明生が新宿を離れるはずはない。一平太は一瞬でも明生が東京を離れるのではないかと訝ったことを、愚かだと思った。
 日が高くなるにつれて人出もどんどん増えてきた。小さい子供を連れた家族連れや、中学、高校生が友達同士誘い合ってやって来た。
 地元の不良たちの数も増えてきた。髪を金色に染め、眉を細く剃っている。東京の不良と同じ身なりをしている。
 不良たちは神社の裏手に集まって何事か話し、笑いあっている。車で来ているものも多い。女の子を誘い出し、山に連れ出してそこで身体をいただくつもりなのだ。
 祭り太鼓や笛の音が高く低くひっきりなしに聞こえてきていた。神社の境内だけでなく町の方からも聞こえ始めた。
「そろそろ神輿や山車が出る頃だな」明生は言った。
 気温が上がり、釣堀の水の温度も上がり始めた。二人の露店は半分森の中に入っており、日陰があったので、他の場所より店番はしやすかった。釣堀の周りには小学生ばかりが五人ほどいた。誰も釣りをせず、じっとウナギを見ている。
 神社の境内の方から工藤がやってきた。
「どうだい、調子は?」
 明生が笑いながら首を横に振る。工藤は明生の隣に腰を降ろした。
「浮かない顔しているね、工藤さん」
 そうかい、と工藤は言った。
「実は、ちょいとヘンな事を耳にしたんだ。どうやら、明生さんの言う通りらしい。親分と代貸しの間が、ここの所どうもしっくり行っていないみたいなんだ」
「何かあったんですか?」
「親分が長谷川に跡目を継がせようとしていたらしい」
 須田の親分ももう六十五だ、そろそろ引退することを考えているのだろう。
「長谷川さんですか」
「本当は息子でもいればよかったんだが。田舎のやくざから、娘婿に跡を継がせたいんだろう。だが、笙子さんはやくざの世界を嫌っているし、聡子さんの旦那はちょっと……」
 聡子の旦那か。明生は意味ありげに頷いた。
「そこで、子分の中から器量のある者に自分の跡目を継がせることにしたんだろう。そういうことになれば当然、須田一家本家の若い者頭、長谷川が継ぐ事になる。誰もがそう思ったし、どこかから異論が出るとも、親分は思ってなかっただよ」
「ところが、出たって事ですね」
 工藤が苦笑いしながら頷いた。
「佐々木の代貸しが長谷川じゃあ承知しねえと言ったらしい。もちろん他にも同調者がいた。代貸しは、長谷川じゃあ一家が纏められねえと暗に言ったらしんだよ」
 確かに、長谷川は器の大きさに問題がある。それに、身体はでかいが貫禄が今ひとつ足りない。いうなれば、でかいだけの不良だ。新宿にもあの程度の男はごろごろしている。なにより、年も代貸しよりは大分下だ。長谷川組よりも佐々木組の方がずっと羽振りがいい。
「ところが、親分はカチンと来たらしい。俺が選んだ跡目じゃあ納得出来ねえというわけか、とこうなったわけで、お前が跡目を継ぎたいと、こういうわけか、と佐々木の代貸しを怒鳴りつけたんだよ」
「まあ、代貸しとすれば、本家の跡目を継ぎたいと思ってはいても、その場ではハイそうです、とは言えねえですよね」
「そういう事があって、親分はこの祭りの場所割に口を挟んできたってわけらしいんだ。親分の面子もあるし、本家若い者頭の長谷川の面子もあるからな」
「組を引き受けてるからって、いい気になるな、と言う事なんでしょうね。で、代貸しはどうするつもりなんですか」
「どうするかって、それは分からねえ」
「実はね、工藤さん」
 一平太から聞いた、風呂場で代貸しに言われたことを教えてやった。縄張りを譲るなんて本気とは思えないけどね、と付け加えた。
「明生さんにそんな事を言うなんておかしい。でも、満更出鱈目と言うことじゃあないかも知れねえな。五所川原の親分は、初めっから佐々木の代貸しが組を引き受ける事を嫌っていた。テキヤはテキヤらしくしていろ、といつも言っているらしいからな。ところが佐々木の代貸しは、組を放っておくと関東の三合会と関西の洪門会が隙を突いてやって来ると言ったんだ。どうやら親分の頭越しに両組織と話をつけ、自分勝手に組の縄張りをそっくり引き継いだ、と言うことらしいんだよ。組を引き受けた事で、佐々木の代貸しの下には博徒の集団が出来上がっちまったんだ」
「テキヤに比べればずっと喧嘩慣れしているヤツラですね」
「そうなんだよ。だから、五所川原の親分もおいそれとは口を出せない」
「ただ、組を抱えたままじゃあ須田一家の跡目を継ぐことは出来ないんじゃないんですか? 親分がそれを許さないでしょう」
「それで、一時、南原の親父の孫である明生さんに組の跡目を継がせる格好にして縄張りを手放し、須田一家の跡目を継いだ後取り返すつもりなのかもしれねえ。代貸しが組を引き取った時、三合会も洪門会もただ黙って引っ込んだわけじゃあないと思うんだ。代貸しはヤツラと何らかの取引をしたんだ」
 工藤の言うとおりだろう。連中は、咥えた餌を黙って掻っ攫われるようなヤツラじゃあない。

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