野獣よ暁に吼えろ 9
野獣よ暁に吼えろ 9
明生と工藤は辺りを憚るように声をひそめて話しているのだが、どうしたって一平太の耳には届く。
明生からは、祖父のいた田舎にテキヤのアルバイトにいくという話しか聞かされていなかったが、もちろん、それだけのために明生がこんな田舎に来たとは思っていなかった。
ヤクザ者の世界がそこに垣間見えている。一平太はわくわくする気持ちになってきた。
「悪かったな一平太」
「何か起こるんっすか?」
工藤が去った後、一平太は好奇心を抑えきれずに明生に聞いてみた。暴力的なことが起こりそうな気がする。
「ヘンな時に連れて来ちまったようだ。こんな田舎ヤクザでも勢力争いはあるんだよ。それに、田舎だからと言って関東や関西の大組織と無縁じゃない。チャンスがあれば、彼らは食い込んでくる。今までもそうやって組織を大きくして来たんだからな」
「何かやるなら、俺、手伝いますよ」
「俺たちはただの露店のアルバイトだ」
「代貸しが明生さんを巻き込もうとしていると、工藤さんは言っていましたけど」
「そんな事はないさ。もし、連中の間に何かが起こっても俺たちは傍観者だ。勝手にしろだ。佐々木組が無くなろうが、須田一家が無くなろうが、関東や関西の組織が母親の生まれた町を取ろうが、俺たちには関係無い」
「聡子さんは、どうなるんっすか?」
「まあ、あの人だって組の争いには関係無いだろう。しかし、成り行き次第では、今の境遇に変化があるのかも知れないな」
「どう言う事っすか?」
「佐々木の代貸しがもし殺されるようなことにでもなってみろ、あの旅館の女将じゃあいられなくなる」
「代貸しが殺されるんっすか?」
「そんな事が起きるかも知れないって話だよ、お互いの面子が掛かっているからな。しかし、喧嘩になれば双方ともただじゃあ済まない。警察も黙ってはいないしな。どうなるかは分からないが、揉め事が起きればどちらの側も損をするんだ」
「聡子さんには亭主がいるんっすよね」
「いや、正式に結婚しているのかどうか、俺は知らない。しかし、その亭主と言う男、そんな事は眼中に無いヤツなんだ」
「服役中だって聞いたっすけど」
「ああ、傷害事件を起した」
「ヤクザ者っすか」
「暴力団に所属しているかってことなら、そうじゃあないらしい。ただし、酷い乱暴者だ。暴力団と言う組織に入っていることさえ出来ないヤツらしい」
「やくざも勤まらないほどの暴れもんなんっすか?」
「誰の言うことも聞かない。誰かに命令されるなど我慢が出来ないし、法律なんか眼中にない。何でも自分の思った通りじゃなきゃ気が済まない。そう言うヤツらしい。聡子さんと亭主は千葉に住んでいたんだが、亭主が逮捕されて、聡子さんはこの町へ戻ってきたんだ」
「そんな男だったら、ヤクザと揉め事起したんじゃないんですか?」
「ヤクザ者も怖れて近寄らなかった」
「どうして聡子さんはそんな男と一緒になったんっすか?」
「聡子さんは、中学に入る頃からこの町の不良やヤクザ者と付き合っていた。中学を卒業するとすぐに家出して、当時付き合っていたヤクザ者と一緒に町を出たんだ。その男から、東京へ行こうと誘われたかららしい。そして、男と一緒に暮らし始めた」
「東京っすか?」
「歓楽街でピンクサロンのような風俗店で働いていた。よくあるパターンだよ」
目の前を、女子高生のグループが通り過ぎていった。
「服役中の亭主とはそこで出会った。店の客として聡子さんの前に現われたんだ」
「聡子さんは、どんな店で働いていたんっすか?」
「違法な風俗店だ。店内で客と本番をやらせるような店だ。その男は聡子さんが気に入ったらしい。名前は宗田義光。中学出たての幼い女が好きだったのかも知れないな。そして、宗田は聡子さんを自分の物にすることに決めたんだ」
「でも、別の男と住んでいたんですよね」
「宗田は店が終わるのを待って聡子さんと一緒に、聡子さんが住んでいたアパートに行き、そこにいた男を半殺しにした。男は暴力団の組員だったがそんな事はお構い無しだった。その夜から聡子さんは宗田と暮らし始めた」
「前の男は聡子さんを取り戻しに行かなかったんっすか」
「逃げ出してそれっきりだ。それで、聡子さんは諦めた。この男と一緒に暮らして行くしかないってね」
「で、代貸しが横取りしたんっすね」
「宗田が傷害容疑で逮捕されると、聡子さんはアパートを引き払ってこの町へ帰って来た。でも、親の家には入れない。どうしようかと思っている所に、代貸しから声を掛けられたんだ。聡子さんと代貸しは以前から知り合いだったからな。この町は狭いんだよ」
「代貸しは、聡子さんの亭主がそう言う男だと言うことを知っていたんっすか?」
「もちろんだ。だが、この町を縄張りとしている佐々木組の組長が、一人の乱暴者が怖くて妾を手放すなんて事はできない。そんなことになったら、代貸しの面子は丸潰れだ。縄張りを維持していくことなんか出来やしない。それに、相手は一人だ。代貸しの周りには子分がたくさんいる。間違っても聡子さんを亭主に返すなんて事はないよ」
「それじゃあ、聡子さんにとっては、亭主よりも代貸しの方がいいんじゃなっすか」
「それは、俺には分からないよ。ただ、聡子さんは代貸しを嫌っている。理由は分からないけどな」
昨日見た聡子と、今の明生の話に出てくる聡子はまるで別人のようだと、一平太は思った。中学の時から不良で、家出してヤクザ者の男と一緒になり、十六の頃からピンサロで働く聡子と、染み一つ無さそうな白い肌をし、黒い髪を結い上げ、大きな黒い瞳、聡明そうな口元を持つ聡子が、同一人物とは到底思えなかった。子供の頃から男に身を任せ、男の間を渡り歩き、性と欲望に首まで浸かって暮らしてきた過去があるなど、どうやったら想像できるだろうか。
しかし、聡子が現在ヤクザ者に囲われている事は疑いようが無い。堅気の女ではないのだ。堅気の女が、暴力で無理やり妾にさせられているというのでも無いのだ。