fc2ブログ

野獣よ暁に吼えろ 13


野獣よ暁に吼えろ 13

 聡子の柔らかい肌の感触が忘れられない。ついに女を知ってしまった。自分の思い描いていた理想と少し違うが、相手が聡子なら文句は無い。
 明生に打ち明ければ、なんと言われるだろう。笑われるだろうか。
 昼過ぎに明生から電話がかかってきた。時間が来たら先に神社に行って店の準備をしておくように指示された。外からの電話のようで、傍に誰かいるようだった。
 夕方になって神社の裏に行き、店の準備をした。客が十人ほどやってきた。半分は大人の客だった。
 しばらく待っていると、明生がやってきた。
「悪い、遅くなった」
 明生が椅子に腰を降ろして、タバコを咥えた。
「後ろを見ろよ」
 明生に言われて振り向いた。一見してヤクザ者と分かる二人連れが、「釣り堀」の斜め後ろ、一平太が振り向かないと見えない位置に立っていた。
 一人は三十代後半に見える。痩せて背の高い男で、頭を坊主刈りにしている。もう一人は若い男で派手な柄のシャツを着ている。顔つきが凶悪な印象だった。
 二人はしばらく、じっと一平太の方を見ていたが、やがて若い方が近づいてきた。一平太は緊張した。咄嗟に明生の前に立った。
「明生というのはテメエか」男は言った。
「なんすか」
「お前が明生か」
「明生さんはこの方ですが、何か用っすか」
 一平太が男を睨みつける。明生が椅子からゆっくり立ち上がった。背の高い坊主頭がゆっくりと近づいてきた。男たちが明生に何かしようとしたときは、すぐに飛び掛るつもりでいた。明生のためなら命も捨てる覚悟があった。
「何をしに来たのか知らねえが、ケガをしないうちに東京に帰れ。ここはお前が来る所じゃあない。先代の孫かなんだか知らねえが、でしゃばるとただじゃあ置かねえぞ」
「ここは俺の故郷なんですがね」
「とっとと帰れ」
 そう言って二人は境内の方へ戻って行った。
「なんっすか、あいつら。誰ですか」
「坊主頭のほうは、須田一家の長谷川だ。長谷川は須田一家の跡目を狙っているんだよ。それを邪魔しているのは代貸しだ。長谷川も代貸しも俺が邪魔なんだよ」
「それで、先代の孫の明生さんのことを」
 須田の親分と明生の祖父は兄弟分だったと明生はいっていた。
「俺が南原組を継ぐようになれば、須田親分が跡目として俺に目をつけるかもしれないからな」
「跡目って、組長ですか?」
「しかし、代貸しは南原組を飲み込んでいる。長谷川は何とか南原組の組長に納まれないか画策しているところだ。おそらく、長谷川は俺が代貸しの指図でここに戻ってきたと思っているんだろう。俺と佐々木の代貸しとは何の関係も無いことが分かれば、俺に手出しはしないさ」
「工藤さんに連絡したほうがいいんじゃないんですか」
「もう伝わっているだろう」
 一平太はうなずいた。それがヤクザの世界なのだ。

 夜が深まるに従って人出はさらに増えていき、露店の裸電球が輝きを増していく。
 裸電球の間を人並みが埋めていた。
「ウナギ釣り堀」の周囲も人で埋まっていた。夜も更けたというのに、子供たちが必死でウナギを釣っている。
 大人たちの目も真剣だ。うなぎは今や高級魚だ。うなぎを釣って、蒲焼にして食べている光景が目に浮かんでいるのかも知れない。
 境内の方から笑い声が聞こえてくる。御神楽の舞台に東京の漫才師が出演している時間だ。漫才師は代貸しに頼まれて、嫌々出演を了解したのだと聞いている。しかし、そこはプロだ。客の姿を見れば、ちゃんと笑わせている。
 午後十時を大分過ぎ、人が減ってきた。露店の中には、今日の営業を終了する店が出てきた。工藤が露店を見回りながら「釣り堀」にやってきた。明生の隣に腰を降ろす。
「長谷川が来たらしいな」工藤が言った。「ちょっかいを出してきたか」
「たいしたことじゃないです」
「連中が何か仕掛けてきたら、すぐに俺に連絡してくれ」
 工藤がタバコを咥えた。明生が火をつけようとすると、工藤が深々と頭を下げた。
「須田一家の本家の連中が宮城刑務所に出迎えに行ったみたいだ。誰かが出所したらしい。今日の事だよ」
「誰が出てくるのか、誰も知らないんですか?」
「ああ。ところが、代貸しの組の連中も宮城刑務所に出迎えに行っているんだ。もちろん一緒じゃあない。別々だよ。二つの組が出迎えに行ったのに、俺は誰が出てくるのか知らないんだ。それで、周りのものに聞いて見たが、誰も知らなかった」
「須田組の連中には?」
「聞いてみた。俺が話を聞いた連中も誰が出てくるのか知らなかったよ。どうやら、組長と迎えに行った連中しか知らないようなんだ。こんな事は初めてだ」
「気になりますね」
「ここの所、須田一家本家と佐々木組の間がギクシャクしているので、余計な事だとは思ったが俺はもう少し調べてみることにしたんだ」
「組幹部では?」
「なら、俺が知らないってことはない。そいつはヤクザ者じゃあないということだ。少なくとも南原組でも須田一家の構成員でもない。明生さんのような立場の人間なんじゃないかと思うんだ」
「俺のような?」
「組とは無関係だが、組に大きな影響を及ぼす存在だ」
「俺がですか? 買いかぶりすぎです」
「昨夜、どこに行っていたんだ?」
 工藤の質問に明生は答えなかった。ただ、意味ありげに微笑んだだけだ。
「どこの誰で何で服役していたのか、誰も知らない。そういう事があるんで、長谷川は神経を尖らせているんだよ」
「つまり、須田親分はその男に跡目を継がせるんじゃないかってことですか?」
「それは無いと思うんだが。でも、明生さんに突っ掛かってきたのも、その辺に理由があると思う」
「じゃあ、その男はもうすぐこの村に来るんですね」
「ところが、その出所した男、何と一週間前に、既に出ていたんだ。出迎えに行った二つの組は空振りさ」
「妙な話ですね」
「そうだ。もし、その男が須田親分と深い関係があるというのなら、須田一家の連中が出迎えに行くのは分かる。しかし、何故佐々木の代貸しが迎えに行くんだ。しかも、組員でもない男を」
 明生が黙って頷いている。一平太も、胸の奥に嫌な予感が広がっている。
「適当な時に仕舞ってくれていいぜ」そう言って工藤は帰って行った。

 一平太は露店を仕舞う前に小用に立った。
 神社の社務所の脇にトイレはある。境内に人垣は無かったが、それでも本殿の前にはまだかなりの人がいた。御神楽の舞台は既に締め切られ、舞台の前には無人の筵が広がっていた。
 一平太はトイレから出ると本殿の前を横切った。
 狛犬がある。その前まで来た時、意外な人を見つけた。思わず狛犬の後ろに体を隠した。
 聡子が本殿の脇を抜けて、裏の森の方に消えていく所だった。
 一平太は後をつけた。本殿の裏から鎮守の森は始まる。大きな木が鬱蒼と生い茂り、明かりの無い森は鼻先も分からない闇だった。
 聡子はその闇の中へ、全く躊躇する様子も無く踏み込んで行く。
 一平太は闇に目が慣れるのを待って聡子の後を追った。聡子の姿は、既にかなり先にあった。聡子の姿が大きな木の向こう側に隠れた。一平太は見失わないように小走りになって急いだ。
 大きな木が目の前にあった。それを避けるように脇に出る。
 すぐその先に聡子が立っていた。
 一平太は思わず大木の影に隠れた。
 聡子は一人ではなかった。男が一緒にいた。昼間「釣り堀」にやって来た、痩せて背の高い坊主頭の男だった。たしか、長谷川という男だ。
 聡子は男に抱かれていた。男の両手は聡子の背に回っている。聡子は強く引き寄せられるようにして唇を合わせていた。聡子の両手も男の背に回されている。
 唇を離すと、聡子の口から喘ぎ声が洩れた。男の手が背中を離れ、浴衣の合わせ目から中に侵入していった。
 聡子の片方の乳房を引き出す。その乳房は闇の中でさえ白く輝いていた。
 男は聡子の乳首を口に含んだ。聡子は白い首を仰け反らせて男の愛撫に耐えている。
 代貸しの愛人が、須田一家の跡目を狙う長谷川に抱かれている。しかしそれも当然の事なのかも知れない。聡子にとって、一平太は東京に住んでいる世間知らずの不良だ。長谷川は同じ世界に住む実力者。聡子はこの先も、この世界で生きて行かなければならない。甘い感傷は許されないのかも知れない。
 聡子の高まっていく息遣いが聞こえてくる。彼女が太い木の幹に手をついて、長谷川に尻を突き出した。長谷川は彼女の浴衣を捲り上げた。聡子の豊かな白い尻が闇の中で輝いて見える。
 長谷川が後ろから聡子を貫くと、聡子が獣のような声を上げた。
 目の前ではまだ聡子と長谷川の激しい交尾が続いている。一平太はそっと木の幹を離れる。
 暗い森の中を、まだ喧騒の残る神社の境内に向かって歩いて行く。
 ふと人の気配を感じた。
 闇の中、三十メートルくらい右手に寄った木々の間。
 誰かがいた。誰かが立ち止まって、じっと一平太の方に顔を向けていた。闇の中で顔は見えない。しかし、一平太の背筋がぞっとした。
 一平太は自分の方から視線を外し、再び神社の境内に向かった。誰だか分からないその人物も、再び森の奥に向かって歩き始めた。
「釣り堀」に戻ってみると、明生はいなかった。露店はきちんと畳まれていた。
「釣り堀」の周りには客らしき人はもう居なかったが、背後の森の入口に五、六人のヤクザ者と思しき男たちがいた。何やらザワついた様子だった。
 一平太が目を向けると男たちは神社の方に去って行った。周辺の露店も営業を終了し、喧騒が嘘だったかのようにひっそりとしていた。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

アーケロン

Author:アーケロン
アーケロンの部屋へようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR