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野獣よ暁に吼えろ 20


野獣よ暁に吼えろ 20

「あら? お久しぶり」
 上気した顔で、聡子は明生を見ていた。風呂から上がったばかりのようだ。
「そろそろ来る頃だと思っていたわ」聡子はそう声を掛けた。
「ご婚約おめでとう」
「親分にまだ認められていませんよ」
「父はすごく上機嫌だったわ。器量のいい跡取りが出来たからね」
「何も、俺が跡を継ぐと決まったわけじゃありませんよ」
「そのつもりで笙子と結婚するんでしょ?」
 聡子の目に妖しい光が宿っている。これまで多くの男を地獄に誘い込んだ、魔女の目だった。
 聡子が自分の部屋に明生を導いた。
「あなたが笙子と結婚して父の後を継いだら、姉の私は妹に頭があがらなくなるわ」
「気を揉む必要は無いですよ。俺が須田一家を継ぐって決まったわけじゃない。それはそうと、長谷川に教えたのですか。俺が笙子と結婚するということを」
 聡子の顔が強張った。
「なあに、それ? どういうこと?」
「あなたは長谷川とも情を交わす仲のようですね」
 聡子の顔から笑みが消えた。
「須田一家を手に入れたかったんじゃないですか? 組長の妻として」
「私が?」
「長谷川が須田一家の後釜に一番近い男ですからね」
 聡子が意味ありげに微笑んだ。
「よくお分かりね」
「長谷川は驚いたでしょう。うっかりすると自分が須田一家の跡目を継げなくなる」
「長谷川はあなたの下で働くことを承知しないわ。あなたがここに戻ってきたせいで、何もかもがめちゃくちゃだわ」
「めちゃくちゃにしたのは俺じゃないですよ。あなたです、聡子さん。あなたが宗田義光をこの町に呼んだからです」
 聡子の表情が強張った。
「あなたは宗田義光を後ろでを操って、ヤクザ同士の権力争いに利用しようとしたんですね?」
 聡子の目が光った。
「よく見ていらっしゃるのね、明生さん」
 聡子がふっと笑った。
「どうしてそんなことを?」
「私だっていい思いはしたいわ。たしかに、今のような境遇に陥っているのは誰のせいでも無い。すべて私が悪いの。それは分かっている。それでも、今の場所から這い上がりたい。そう思って悪い?」
「あなたはあの須田安之助の娘です。好きなように生きられるはずです」
「それは無理よ。あの宗田義光に囚われたから。あの男は父でも止めることが出来ないわ」
 聡子が明生のグラスにビールを注いだ。
「義光と出会ってしまったのは私のせい。運命は受け入れるしかない。でも、義光が刑務所に入れられて、私は自分が生まれたこの町に逃げて来た。あいつから逃げたかったの。でも染み付いた悪い噂はどうしても消せないわね。今度は佐々木に手篭めにされ、無理やり囲い者にされたの」
「そうじゃないんじゃないですか?」
「どういうこと?」
「あなたは、わざと佐々木に近づいたんでしょ?」
 聡子が明生を睨んだ。
「私が、どうして好き好んであのガマガエルみたいな男に抱かれなくちゃならなかったの?」
「宗田義光から逃れるためにです。あなたはお父さんに頼ることを潔しとしなかった。だから、佐々木を頼ったんです」
 聡子が、感情のない目を向けている。かまわず続けた。
「宗田義光はいつかムショから出てくる。奴はあなたに手を出した佐々木を絶対に許さない。必ず殺しに来る。佐々木だって黙って殺されるわけがない。やられる前に子分を使って宗田義光を始末しようとする。あなたは佐々木の力を利用して宗田義光を葬り去ろうとしたんです。結局、佐々木が殺されましたけど」
 聡子が、相変わらず感情の抜けた目で笑っている。
「宗田義光がどんな男か、あなたは誰よりも知っている。佐々木だけじゃ不安で須田一家の若い者頭の長谷川にも手を伸ばしていた。それに、うまく行けば組長の妻の座も射止められる」
 聡子はビールをグラスに注いで、瓶をテーブルに置いた。どこか諦めたような表情だった。
「義光は物心つく頃から乱暴者だった。小学校に上がる頃には近所では知らない者の無い、手の付けられない悪になっていたの。父も、はじめのうちは義光のことを、乱暴なのは見込みがあるくらいに思っていたらしいわ。ところが、見込みは大きく狂った。義光は社会性のある行動がまったくできなかった。乱暴の程度が半端じゃなかったの。父の言うことどころか、他の誰が何と言っても一切受け付けない。さすがの父も自分の跡目を継がせる事は諦めて、放って置くことにしたの」
「奴が人の上に立てる人間じゃないことは、誰の目にも明らかだ」
「私は四年間、義光と暮らしたけれど、地獄だった。毎日客を取らされ、稼ぎが少なければ殴られたわ。義光から逃れるには死ぬしかないと思っていた。ところが、あるやくざに大怪我を負わせてしまって、五年の懲役に行くことになったわ」
 聡子がグラスのビールを一気にあおった。
「これが最後のチャンスか持って思った。あなたの思っている通り、私はこの町に戻って来て佐々木を抱きこんで、義光の出所を待った。その出所する日がこの町のお祭りの当日だった、というわけなの。私は宗田に手紙を書いて、祭りの当日にこの町に誘き寄せる手筈を整えていたの。私は宗田の内縁の妻だし、手紙はちゃんと届くのよ。その手紙の中に、私は佐々木の世話になっていると書いたってわけよ。宗田は佐々木を殺そうとするはず。でも、佐々木にも多くの子分がいるわ。佐々木は宗田を殺してくれるはずだった」
「ところが、当の宗田義光は一週間も前に出所していた」
「そうよ。驚いたわ。一体どう言う事なのかしら。おかげで、私の計画は台無し」
「そして、その後は佐々木を殺して長谷川の妻になる予定だったんですね」
 聡子が明生を見た。
「宗田義光を処分できたら、長谷川に佐々木を始末させようと思っていたんでしょ?」
 聡子の唇の両端が吊り上がり、哄笑の形を作って止まる。そして、口から甲高い笑い声が、迸り出るように出てきた。真っ赤な唇が大きく開き、白い歯、赤い舌が闇の中に浮かんだ。白い首を仰け反らせ、恍惚の表情を浮かべて笑った。
 聡子の笑い声は、止む事も無く何時までも続いた、このまま永遠に笑い続けるのでは、と明生が思うほどに。
 突然、聡子の笑い声は止まった。
「でも、義光はどこかへ行ってしまった。私の計画も、全く意味の無いことになってしまった」
「あなたはこれからどうされるのですか?」
「そうね。また町を出ていくわ。さすがに今回は父も許さないでしょうし」
「笙子はあなたにここに残って欲しいみたいですよ。佐々木もいなくなったし、ここにとどまって静かに暮らしたらどうですか? お父さんに許してもらえるように、笙子から話してもらいます」
「義光が入る以上、私は幸せにはなれないわ」
「聡子さんは、宗田義光が今どこにいるのか、知っているんじゃないんですか?」
 聡子の表情が一変した。「どう言う事かしら?」
「あなたは、本当は心の底のどこかで、宗田義光を殺したくないと思っている」
 聡子が、きゅっと唇を結んだ。
「あなたが匿っているんですね」
 恐ろしい形相で明生を睨みつけてくる。
「宗田義光は私の亭主なの」
「奴を利用して、その上罠に嵌めて殺そうとしていたのに、いまさら亭主だと言って、匿おうとしている。矛盾していますね」
「ええ、でもね、それが男と女というものよ」
 聡子が明生から目を逸らせた。聡子が宗田義光を殺して幸せになりたいと思っているのは本当だろう。しかし、その一方で死なせたくないとも思っている。女の気持ちなど、所詮男にはわからない。
「長谷川は?」
「必死になって義光を探しているわよ」
「長谷川に宗田の居場所を教えてやらないんですか?」
 聡子は何も言わない。宗田義光を殺したいのか助けたいのか、彼女自身も判断できないでいる。できれば自分で判断を下さず、このまま運命の流れに任せてもいいとさえ、思って入るようだ。
「長谷川が宗田義光のタマをとるのは無理ですよ。長谷川は殺されるでしょう」
「だから?」
 聡子が挑戦するような目を向けてきた。
「いえ、別に」
 聡子がそれでいいというのなら、何も言うことはない。

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