野獣よ暁に吼えろ 21(最終回)
野獣よ暁に吼えろ 21(最終回)
電話の音で目が醒めた。
「はい」
横で寝ていた笙子が布団から出て電話を取った。
「工藤さんよ」
差し出された受話器を受け取って耳に当てた。
「明生さんかい? 長谷川が殺されたよ」
さほど驚かなかった。やはり宗田からは逃げられなかったか。
「メッタ刺しの死体が河原に放置されていたらしい。代貸しを殺したのと同じ手口だ」
「やったのは宗田義光ですね」
「ああ。今、須田一家が血眼になって宗田を探しているよ。須田の親分も、今度ばかりは切れちまったようだ」
「親分と話してみます」
一度電話を切ると、笙子に受話器を差し出した。
「お父さんを呼び出してくれ。宗田義光のことで俺が話があるというんだ」
全裸のままの笙子が受話器を受け取ると、ボタンをプッシュし始めた。須田安之助が電話に出たようだ。笙子が二言三言話し、明生に代わった。
「どうだ、指の調子は?」安之助の口調は穏やかだった。
「結構、苦しんでいます」
「正直だな。少しは意地を見せろ」
「すみません」
「義光のことで話とはなんだ?」
「宗田義光とはちょっとした因縁があるんです」
「お袋さんのことか?」
「はい。それで、俺にやらせてもらえませんか?」
「義光をか?」
笙子が息を呑んで様子を伺っている。
「あいつの恐ろしさを知らねえわけじゃあるめえ。指くっつけたばかりじゃ、ハンディがありすぎる」
「腕一本失ってもいいですよ。宗田義光が出てくるのを、俺もずっと待ってましたから」
電話の向こうで、安之助が微かに笑った。
「奴の居場所がどこか、見当はつきませんか?」
「わからん。聡子が匿っているはずなんだが、あいつと連絡が取れない」そして、何か言葉を続けようとして、安之助は言葉を切った。
「あんな娘でも、死なせたくはない」
「もちろんです」
「一家の幹部を殺された以上、もう黙っているわけにはいかねえ。聡子には悪いがな。お前も義光を見つけたらすぐに俺に知らせろ」
「俺にやらせてもらえますか?」
安之助は電話の向こうでしばらく沈黙した後、ふふっと笑った。
「奴のタマ取ったら連絡しろ」そういって、電話を切った。
「お義兄さんを殺す気?」
笙子が今にも泣きそうな目で見つめている。
「お袋は宗田義光に手篭めにされたんだ。俺がガキの頃に」
笙子が息を呑んだ。
「それ以来、心に傷を負ったままだ。お袋は聡子さんのように強い女じゃない。だから、俺がけじめをつける」
聡子は長谷川に取り入って、組長の妻の座を射止めようとしていた。邪魔だった代貸しは、初めから出所したばかりの宗田義光に殺させるつもりだった。しかし、長谷川が殺されて、すべてがどぶの中。結局、聡子もあの暴れん坊をコントロールすることができなかったのだ。聡子という女は、人を利用しようとはするがその相手が何をどう考えどう行動するかとまでは考えられない。聡子は、自分でも言っているように、ただ馬鹿なだけの女なのだ。
明生が笙子を抱き寄せた。そして、笙子の左の乳房を掌に乗せた。
「重いな」
「胸が大きいのを喜ぶのは男だけ。女にとっては迷惑。すごく肩が凝るのよ」
「俺はでかいのが好きだ」
明生が笙子の乳首を弄び始めた。笙子が甘い吐息をつく。
「したくなるじゃない」
「今からやるぞ」
「さっきしたばかりじゃない」
明生が笙子の右手を取って、股間に持ってきた。
「あ……。硬くなってる」
「今しておかないと、最期になるかもしれない」
明生の言葉に、笙子が目を見開いた。明生は笙子にキスをして、そのまま布団の上に押し倒した。
終わってから、準備をした。笙子は何も言わず、玄関でそっと明生の体を抱きしめたあと、部屋に戻った。
あいつなら聡子の居場所を知っているかもしれない。一平太の携帯に電話を入れた。ふたりができているのは、とっくに知っていた。
呼び出し音が停まった。息遣いが伝わってくる。
「一平太か?」
返事がない。
「聡子さんかい?」
一瞬息が詰まる気配。
「一平太は無事なのか?」
「死にそうなの……」
「今、どこにいる」
「言えない」
「そこに宗田義光がいるんだろ。俺が話をしたいと言ってくれ」
それでも、聡子は黙っている。
「兄貴の宗田義春について話がしたいと言ってくれ」
「義春?」
しばらくして、男の声が聞こえてきた。
「兄貴について話ってなんだ」
「俺があんたの兄貴の頭をかち割ったんだ」
電話の向こうが沈黙する。
「俺の名を知らないだろう。当時は未成年だったから、俺の名前は伏せられていた」
「この野郎」
「後輩をいただきたい。場所はどこだ」
「一人でこい。誰か連れてきやがるとこの男を殺す」
そういって、宗田義光は場所を伝えて電話を切った。
明生がまだ小学生の頃だった。父親はいなかった。部屋に男がやって来た。男はふたり。そして、ふたりは代わる代わる母の体を抱いた。
母はひとしきり悲鳴を上げたあと、今度は悲鳴とは別の声を上げた。
母は首を仰け反らせて喘いでいた。乳房が揺れていた。その乳房に黒い影が覆い被さっていた。その喘ぎ声を聞きながら、明生は布団の中で震えていた。
男たちが帰ったあと、母の体には痣が残っていた。
それから、男たちが家にやってきて母を抱くようになった。ふたりが同時に家に来たことはなかった。別々にやってきて母を抱き、欲望を満たせば帰っていった。
やがて、一人の男が突然家に来なくなった。人を殺して刑務所に入ったと、後日母から聞かされた。
そして、あの夜がやってきた。
明生は眠っていた。聞きなれた物音がして眠りは浅瀬に引き上げられた。薄目を開けると暗い部屋が見えた。襖の隙間から弱い光が入り込んでいる。
その弱い光の中に母がいた。男も来ているようだった。
ケモノの吼えるような声が聞こえてきた。明生はその声が怖くて、布団の中で蹲った。
突然、母が悲鳴を上げ、明生に助けを求めた。明生は用意してあった鉈を服の下に隠して居間に入ると、顔に怒りを浮かべた大きな男が立っていた。
男は顔を真っ赤に染め、母を罵っていた。母を淫乱な女だと罵った。そして明生を見て、淫乱な女と人間のクズとの間に生まれてきた子供だと罵った。
男が何を言っているのかわからなかった。明生は無表情に激昂する男を眺めていた。一言も口をきかなかった。
明生は男の隙をついて、服の中に隠してあった鉈を男の後頭部に叩きつけた。頭はほぼ二つに割れ、血と脳漿が居間に飛び散った。
そして、警察で取り調べを受けた。
明生が殺した男は宗田義春。傷害事件で服役していたが、刑務所を出たばかりのとき、母を犯した。それから、兄弟で母を欲望のはけ口にし続けたのだ。
当時十歳だった明生は少年法に守られ、罪に問われなかった。
後日、殺した宗田義春には義光という弟がいて、当時殺人罪で服役中だったということを知った。兄弟そろって手の付けられない極悪人だったらしい。
明生はポルシェに乗り、山道を右に左に車を走らせた。そこには壊れかけた小さな家があった。
ここか……。
路地に車を入れ、正面の家に鼻先を突き付けるようにして停めた。
羽目板は外れ、引き戸は傾いている。家の中に入ると廃屋の匂いがした。
「明生君」
暗闇の中に一歩踏み出そうとした時、突然後ろから声をかけられた。反射的にかまえた。聡子の姿が暗い部屋にぼんやりと見えていた。
「聡子さんかい」
明生は安堵の声を漏らした、しかしそれと同時に床に大きな塊が転がってるのに気付いた。
一平太だった。
彼に駆け寄ろうとしたとき、勢いよく奥のドアが開いた。次の瞬間、大きな固まりが中に飛び込んでぶつかってきた。床を一転して、すばやく起き上がった。
宗田義光が、すさまじい形相で立っていた。手に匕首を持っている。
体勢を整えた明生に、宗田は匕首を横に薙いだ。上体をのけぞらせてかわした。右から左へ振られた宗田の匕首が空を切る。返し刀で左から右へ振ってきた。少しかがむ動作でかわすが、直後、宗田は匕首を上から下へ振った。
明生が体を左横へスライドさせてかわす。今度は角度を変え、斜め下から刃物が襲いかかるが、明生はバックステップでかわした。背中が壁にぶつかった。逃げ場はない。
匕首を持つ宗田の腕が伸びてきた。掌底でその手を弾き落とした。再び宗田の顔に視線を戻す。宗田は怒りのたぎった目で明生をじっと見ていた。
「この野郎……」
宗田は明生の襟首を左手で掴み、一気に押し倒した。宗田の腹に右足をかけ、身を任せるように背中から床に倒れ込んだ。馬乗りになろうとした宗田をそのまま蹴り上げると、その巨体が宙に浮いた。柔道の〝巴投げ〟である。
背中から床に叩きつけられた宗田がうめく。反撃に転じるべく、すぐに立ち上がった。
床に落とされた匕首が目に入った。手が伸びる。匕首が明生の手に渡った。頼りにしていた武器が敵の手に渡ったことに愕然としながらも、宗田は構えていた。
宗田の前に立ちはだかった。距離は五メートルほど。
踏み込んだ。拳を振り上げて襲いかかろうとする宗田の顎に左の拳をたたき込む。膝を折った宗田の顔を蹴り上げた。倒れ込んだ宗田を激しく足蹴りにする。強烈な蹴りを食らっても、宗田は悲鳴ひとつあげない。
宗田が起き上がりとびかかってきた。もつれ合った。明生はその場に投げ倒されてしまう。受け身をする間もなく地面に叩きつけられた。
宗田がのしかかってきた。匕首を握った明生の右手が、宗田の脇腹に食い込んだ。
「ぐわああああああああぁ!」
宗田は目を剥いた。宗田は拳を振り下ろした。拳が明生の顎下をとらえた。明生が転倒すると同時に宗田の脇腹に刺さっていた包丁が抜け、血が噴き出した。
宗田は脇腹を抱えながら踵を返して外に飛び出した。走る足はもつれ気味で、途中、一度転んだが、必死に立ち上がり、また走り出した。
明生が床に落ちていた匕首を拾い上げ、後を追った。
宗田に追いついた。明生は包丁を腰にあてがい、宗田に体当たりしたが、宗田が腕をつかんで防いだ。
二人はもつれ合った。位置が入れ替わり、明生が少しバックすると、足の感触が変わった。
落ちる!
二人はもつれたまま傾斜を転げ落ち、下の野原で止まった。明生は急いで身を起こした。
宗田より早く立ちあがらなくては。
頭は無意識のうちに戦闘モードに入っていたが、その必要はないことに気付いた。宗田の胸に匕首が深く刺さり、血だるまになっていた。
「お……お前は兄貴を……」
虫の息になりながらも宗田は目を見開き、声を振り絞った。 そして、そのまま魂が抜けたように動かなくなった。
坂を上がり、小屋に戻ると、聡子が一平太を抱えて廃屋から出てきた。
「これであなたは自由ですよ」
「私、一平太さんをひどい目にあわせてしまった」
「気にする必要はありません。こいつはタフなんですよ」
「ひどいっすよ」
血まみれの顔を上げて一平太が明生を見た。
(了)