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逃れの海峡 3



3.情事の後で

 朱音の下腹部の処理を終えると、啓次郎が横に崩れてきた。ふたりともしばらく動けなかった。
ふたりの荒い息が暗い部屋を満たしていた。
 朱音が啓次郎に抱きついた。
 最高のセックスだった。身体の相性がいいとは、こんなことを言うのだろう。彼の放った体液の匂いが漂ってきたが、不快には思わなかった。
「先にシャワー、使ってもいいよ」
「今はいい」
「じゃあ、私も」
 啓次郎を抱きしめる腕に力をこめた。本当に逞しい身体をしている。
「堅気じゃ……ないよね」
 顔だけあげて、啓次郎を見た。眼は開いていたが、朱音のほうを見ようともしない。ただ黙って天井を見つめている。全身の傷跡。事故で出来た傷じゃない。眼にした傷のいくつかは、刃物によるものだった。この男、かなりの修羅場を潜り抜けてきている。
「別にいいよ、言いたくなければ言わなくても」
 逞しい胸に顔を埋める。どうせ、今夜限りの男だ。
「地下格闘技なんてものに身を投じていた頃もあった。ガキの頃だが。身体の傷の半分は、その頃のものだ」
 地下格闘技。そんなものがあることは聞いたことはあるが、どんなものなのかは知らないし、興味もない
「後の半分は喧嘩かな」
「刃物で切りあうのは喧嘩とは言わないわ」
「大阪のミナミの歓楽街のあちこちの店で用心棒をやっていた。所属していた格闘技団体の仕事の一部だったんだ。試合だけじゃ食えなかったからな。みかじめよこせなんて店に言いがかりつけてくる奴を追っ払っていた」
「やくざだったの?」
「いや。だが、関わりはあった」
 歓楽街にみかじめに用心棒。朱音の勤めている店の周囲にも、そんな話は出てくる。
 頭の中で警報が鳴る。関わってはいけない男。女を不幸にする男。店で見たときからそんな匂いは漂っていたのに。
「ねえ、聞いてもいい?」
「なにを?」
「私とセックスして、気持ちよかった?」
「ああ、最高だったよ」
「男って、どんなセックスが気持ちいいの?」
 急に話題を変えられたからなのか、啓次郎が意外そうな顔をした。
「どんなっていわれても、どう答えていいか難しいな」
「行きずりの女とする場合と、恋人とする場合で違うの?」
「違うといえば違うかな」
「やっぱり、愛する相手とのほうが気持ちいい?」
「どうかな。行きずりの女のほうが新鮮って場合もある。しかし、相手で大きく変わるって事は、男の場合は少ないかな。長年連れ添った恋人と金で買った女と、それほど大きな差はない場合が多い」
「酷い話」
「女はどうなんだい? それを聞いて欲しくって、そんな話を振ったんだろ?」
 啓次郎の逞しい胸に指を這わせた。
「女はやっぱり、好きな人と心をこめてするセックスの方が気持ちいいかな。好きな人が相手なら、別にいかなくても気もちよくなくても満足するよ」
「恋愛感情が入らない場合は?」
「さあ。私は好きでもない人とはしないから」
「今夜のことは?」
「抱かれたいって思った。たぶん、好きなんだと思う。恋人にしたいとか付き合いたいとか、そんな感情とは違うけど」
 あなたはどうなの? そんな思いをこめて啓次郎を見た。その視線に気づいているのかいないのか、彼は口を噤んだままだった。
 恋愛を語るタイプじゃない。しかし、まともな返答が返ってきていたのは意外だった。
 突然、スマートフォンが着信を告げる音を奏でた。身体をよじってテーブルの上を見る。朱音のものじゃない。
 手を伸ばしてスマートフォンを手に取った。液晶画面に安西と出ている。
 啓次郎が朱音から受け取ったスマートフォンを耳に当てた。
「どうした?」
 声にかすかな緊張感を感じ取った。啓次郎がベッドを降り、スマートフォンを耳に当てたままキッチンに向かった。逞しい後姿を眺める。ぐっと締まった腰とヒップに、胸がどきりとする。
「今夜か?」
 そういって、啓次郎がベッドのほうを振り向いた。何か急用らしい。
 わかった、すぐに行く。そういって、彼は電話を切った。
「帰るの?」
「ああ、急用だ」
 そういって床に脱ぎ捨てていた下着を手に取って脚を通した。朱音はベッドの上に身体を起こし、彼が服を着るのを黙って見ているしかなかった。
 これでお別れ。そう思うと、目頭が熱くなって来た。部屋が暗くてよかった。
「今夜はありがとう。楽しかったよ」
 そういって、慌てて部屋を出て行った。朱音は玄関で見送ることも出来なかった。

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