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逃れの海峡 8



8.逃避行

 朝八時。熱いシャワーを浴びた。
 結局、明け方まで三回、セックスをした。腰の辺りが自分のものでないような違和感があった。
「やりすぎだろ」シャワーを浴びながら、ひとりごちていた。
 ベッドルームに戻ると、啓次郎がソファに座ってコーラを飲んでいた。朱音はベッドに戻り、裸でシーツにくるまり、啓次郎を見た。
「九時には出ないと、追加料金払わないといけなくなるわ」
「そうだな、それほど暇じゃないし」
「韓国にはいけないわ」
 啓次郎がチラッと朱音を見た。
「あたりまえでしょ? 夢見る少女じゃないんだから。いい年した大人の女が、今まで築いてきた生活を何もかも捨てて、知り合ったばかりの男と身一つで外国に駆け落ちだなんて、どんな安物ドラマよ」
 啓次郎が笑った。
「それに、安西さんって人の復讐もやめなさい」
 啓次郎の目が、鋭くなった。
「このまま釜山に逃げるのよ。今なら上手く行くんじゃない? ぐずぐずしてると、あいつら、いろんなところに手を回し始めるわ」
「君はしっかりしてるんだな。まさにそれが連中のやり方だ」
「どうやって逃げるの? 成田から出国? 空港は見張られてるわね」
「空港は使えないな。奴らの他に警察も俺のことを探しているだろうしな」
「どうするの?」
「別の身分で船で逃げるのさ。知り合いが沼津にいる。逃がしを専門にしている男で、全国の港に伝手がある」
「じゃあ、その男に会いに行きましょう」
 ベッドから下りて、床に落ちていた下着を拾い上げた。
「君を家まで送っていってやりたいが、マンションは連中が見張ってるだろう。近くの駅まででいいかい?」
「何言ってんのよ、ここまでさせておいて。あんたが船に乗るまで見送ってあげるわ」
 ベッドに腰掛け、ブラジャーをつけた。啓次郎が朱音が服を着るのをじっと見ていた。
「何見てんのよ。あんたも早く服を着なさい」
 ホテルを出ると再び小菅で首都高速に上がり、中央環状線を経て渋谷から東名高速道路に入った。
 車内ではほとんど言葉を交わさなかった。車内の沈黙の時間を、それほど苦痛に感じない。過去に付き合った男は大学時代を含めて三人。一番長く続いた最初の男に、啓次郎は似ている。彼と一緒にいるときも、沈黙は気にならなかった。
「ねえ、あんたって、殺し屋なの?」
「え?」
 不意を衝かれたのか、啓次郎が間抜けな顔をしたので、思わずくすりとわらった。
「お金でそのなんとかって会長を殺したの?」
「金のためじゃない」
「じゃあ何? 恨み?」
「ダチを殺された」
「でも、それが原因で安西って人も殺されちゃったの?」
「俺も安西も、最初から殺されることは覚悟の上だ」
「それで、今度は安西さんの敵討ちってわけ? なんか、際限ないね」
「そういう世界なんだよ」
「でも、安西さんの敵討ちは諦めなさい。私の目の前で人殺しは許さないから」
 啓次郎が軽く頷きながらため息をついた。
 沼津に着いたのが午後一時過ぎだった。三時間、ほとんど休憩を取らず走りっぱなしだったので、腰が鈍く熱を帯びていた。
「お腹空いたわ」
 目の前にあった喫茶店を指差した。啓次郎が駐車場に車を滑り込ませた。
 階段を昇って喫茶室には入る。
 オーダーの後、「電話してくる」といって、店の外に出た。
 カウンターの上に、客がおきっぱなしにした新聞が目に入った。席を立ってカウンターまで行き、新聞を持って席に戻った。
 広げてみると、安西のことが出ていた。歌舞伎町で尽誠会の会長が殺された事件の報復と見て、尽誠会の事務所が家宅捜査されたと書いてある。
 矢矧啓次郎の名前はどこにも出てきていない。
 まだ啓次郎のことは知られていないのか。それとも警察がマスコミにもらさないようにしているのか。
 日替わり定食が出てきたとき、啓次郎が戻ってきた。
「知り合いは明日まで帰ってこないそうだ。今夜はここで泊まるしかないな」
「その男、本当に頼りになるの?」
「そのはずだ」
「頼りない返事ね」
「まあ、色々あるんだよ。筋の通った男だから、めったなことはしないよ」
「滅多なことって?」
「俺達のことを尽誠会に売るとか」
 思わず息のが詰まった。
「裏社会じゃ、さまざまな連中が情報網が張り巡らしている。先に情報を掴んだものがすべてを手にする世界なんだ。金のために誰かを裏切り、敵に売り渡すのは珍しくない」
「人間不信になっちゃいそうだわ」
 食後のコーヒーが運ばれてきた。客は三組。昼の繁忙時は過ぎている。
 コーヒーに砂糖を入れ、ミルクをちょっと垂らしてスプーンで掻き回した。香ばしい香りが鼻を突いた。香りの強いコーヒーだった。
 熱いまま口に運び、ひと口飲んだ。美味しいコーヒーだった。
「ホテル、探さないとね」
「ホテルは警察の手が回っているかもしれない。連中に見つからないところにアパートを捜して借りた」
「アパート?」
「今流行りの民泊だよ。予約も簡単なんだよ」といって、朱音にスマートフォンをかざした。
「あまり綺麗じゃないけどな」
「贅沢は言わないわ」
 結局、一時問ほど時間を潰した後、店を出た。
 予約した部屋は海のそばにあった。駐車場に車を停めて狭い路地を歩く。太陽のさしこまない谷底のようだった。狭い路地の両側に古い建物がすきまなく並んでいて、複雑なカオス空間を形作っていた。
 啓次郎の肩にもたれるように歩いた。足元がふらついている。昨夜の疲れがまだ残っていて、身体がだるい。
 近くの民家で鍵を借りた。大家なのだろう。
 アパートの前に立つ。確かに余り綺麗じゃない。玄関を入って奥の部屋まで進む。
 部屋は綺麗だった。三畳と六畳の和室で、二畳ほどのキッチン。トイレは広く床がタイル張りで、風呂はないがシャワーがついていた。湯も出るようだ。
 床に横になった。畳の上に寝転がるなど、最後に実家に帰って以来だ。
「少し眠るわ」
「そうだな」
 啓次郎が横に寝転がった。横から彼の身体を抱いた。啓次郎はもう寝息を立てていた。

 眼を覚ましたのは五時過ぎだった。
 外は薄暗くなり始めている。
 啓次郎はまだ寝息を立てていた。彼を起こさないようにそっと起き上がった。喉が渇いていた。玄関にジュースの自動販売機があったのを思い出した。
 財布を持って廊下に出た。
 廊下の両側に部屋が並んでいる。窓がないので蛍光灯が消えると真っ暗になるだろう。天井や壁のいたるところに染みが広がっている。かなり古いアパートだ。
 泊まっているのはおそらく外国人ばかりだろう。宿泊客ばかりでなく、住人もいる。
 コーラを買って部屋に戻った。
 ドアの鍵をあけたとき、いきなり後ろから口を塞がれた。
「声を出すんじゃねえ」
 首筋にナイフを突きつけられた。全部で三人いる。見覚えはない。
「矢矧は中にいるんだろ?」
 脚が震えてきた。尽誠会だ。
「こんなところに隠れやがって。俺達が気づかないとでも思ってたのか?」
 がっしりした体格の男が目の前に立った。
 いきなり胸を鷲づかみにされた。
「いい身体してやがる。矢矧とはやったんだろ? 奴も死ぬ前にいい思いが出来て本望だろうな」
 男がドアを開けて踏み込んだ。ナイフを突きつけられたまま、朱音も部屋に押し込まれた。
 啓次郎は起きていた。
 仁王立ちになって男達を睨みつけていた。

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