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逃れの海峡 14



14.仇討ち

 霧のように細かい雨が降っている。
 啓次郎は煙草を二本喫った後、布団に横たわり、じっとしていた。
 朱音は窓を閉めた。本当に今日、日本を離れるのだ。自分が姿を消したら両親や妹はどれだけ騒ぐだろうか。ふと、そんな考えが頭を過ぎった。
 しかし、もう決めたことだ。啓次郎と一緒に韓国に逃げる。それしか頭になかった。
 仲居が部屋に朝食を用意してくれた。布団が片付けられて食事が並び終えられるのを、窓際の椅子に座ってぼんやり眺めていた。
「朝風呂に入っていかない?」
 啓次郎が怪訝な顔をした。
「船にお風呂なんてないんでしょ? 今のうちに入っておかないと」
「風呂くらいあるさ」
「あなたはいいわよ。私は若い女なのよ」
「誰も覗かないように、俺が見張っててやるよ」
 啓次郎が笑った。
 朝食を終えて、朱音はひとりで温泉に向かった。湯船に肩までつかる。性器が少しひりひりする。昨夜も少しやりすぎた。
 部屋に戻ると、啓次郎は既に着替えていた。
「もう、出発?」
「早めに出発するほうがいいと思ってね」
 もたもたしていると、朱音も考えが変わってしまいそうな気がする。
「いいわ、いきましょう」
 清算を済ませて外に出る。大きなこうもり傘に、啓次郎と二人で持った。
 駅まで戻り、レンタカーを借りる。
「嫌な雨ね」
 フロントガラスに細かい雨粒がびっしりとついていた。
「雨はもうすぐ上がるはずだ。でないと視界が利かなくて困る」
 啓次郎は岬で視界が利かなくなる事を心配しているようだった。
 車をゆっくりと走らせる。ここから呼子の岬まで三十分もかからない。車は岬のそばで捨てることになるのだろう。
 外は相変わらず霧雨だ。街の景色がくすんでいる。
「下着、湿っちゃったわ」
「新しいのはあるのか」
「着古したものは持ってきてるわ。昨日履いていたのは捨てたけど。洗濯できないでしょ?」
「欲しかったのに」
「馬鹿」
 朱音がサイドミラーをチラッとみた。
「気づいてたか?」
「えっ?」
 啓次郎がバックミラーに目をやった。
「もしかして、後ろの車って……?」
 サイドミラーにさっきから同じ赤い車が映っている。
 啓次郎がアクセルを踏み込むと、サイドミラーの中で車が遠ざかった。
 細い田舎道を飛ばした。入り組んだ道を走り、急に左折して海沿いの道に出た。地元の住人らしき老人が目の前に現れた。朱音が悲鳴を上げる、啓次郎がハンドルを切った。
スピードをあげた。赤い車が追いかけてくる。前に倉庫が見えた。車が突っ込んでいく。思わず目を閉じた。
 急ブレーキ。彼がハンドルを右に切った。車はスピンして停まった。倉庫に赤い車が突っ込んでいる。
 別の一台が倉庫の角を曲がってくるのが見えた。そのままむかっていった。窓から腕を突き出し、拳銃を構えている。
 思わず息を止めた。眼は開いていた。正面から来た車が逸れた。銃声のような破裂音が聞こえた
 突っ走った。さっきの車が追いかけてくる。その後ろを、倉庫に突っ込んだ赤い車が続いている。ハンドルを右に、それから左に切る。片側に玄界灘が広がっている。ガードレールの向こうは岸壁だ。落ちたら命はないだろう。
 海沿いの細い道を走り抜ける。啓次郎が海と反対側にハンドルを切った。未舗装の道路に突っ込んだ。深い轍が路面に刻まれている。車体が跳ねる。
 後ろから車が突っ込んできた。右にハンドルを切る。突っこんできた車と並行して走った。
正面には樹木が生い茂っていて、道が右に曲がっている。朱音の乗る車が右側を走っている。
 啓次郎はまっすぐに走った。森が迫ってきた。
 ブレーキが軋む。体が前のめりになった。シートベルトをしていなかったらフロントガラスに頭をぶつけていた。ハンドルを切るタイミングを、ひと呼吸遅らせたのだ。
 追ってきた左の車が木々の中に突っ込んだ。その後ろをついてきていた赤い車が急ハンドルを切って左側の土手に突っ込み、そのままひっくり返った。
 啓次郎がドアを開けた。
「何をする気? 早く逃げましょう」
 しかし、啓次郎は朱音の言葉を無視するようにひっくり返っている赤い車に近寄っていった。
 車の窓から、誰かが這い出してきた。見覚えのある男だった。朱音をアルファードで連れ去った、三代目尽誠会副会長、武野雅臣だ。
 他の仲間達は車から這い出せないでいる
 朱音も車から飛び出した。そして、息を呑んだ。啓次郎の右手に大きなナイフが握られていた。サバイバルナイフだ。
 身体が震えてきた。啓次郎が何をしようとしているのかわかったからだ。
 武野が顔を上げた。それと同時に啓次郎が突っ込んで行った。武野の顔が凍りついた。
 啓次郎が武野の顎を蹴あげた。そして刃を上にむけ、腰だめにして身体ごと武野にぶつかっていった。
 武野の悲鳴が聞こえた。啓次郎がそのまま武野の身体を押した。武野の背中を車に押しつけると、伸びあがるように思いきり腰を捩った。ナイフが武野の身体から抜けた。その反動で啓次郎はバランスを崩して膝を突いた。
 血が飛んだ。武野が両手で下腹部を押さえている。両手が赤く濡れていた。
 啓次郎が踏みこんだ。武野が眼を剥き、口を大きく開いた。叫び声をあげて背中を向けた。啓次郎が武野の脇腹にナイフをつきたてた。そして腰を回転させながら切りあげた。
 血が噴きあがった。
 武野が地面に倒れた。一瞬、血が噴水のように溢れ出したが、すぐに止まった。
 車のそばに拳銃が落ちでいた。車内に置いていたものが衝撃で外に飛び出してきたものだ。啓次郎は拳銃を拾い上げると、車に戻ってきた。血で汚れた服を脱いで、上半身裸になった。新しいシャツを着てズボンも替えた。血で汚れたものを森の中に放り投げた。
 ようやく這い出してきた尽誠会の若い男が、地面で絶命している武野を見て立ち尽くしていた。
 着替えた啓次郎は、ごく普通の男に戻っていた。
「車に乗れ」
 啓次郎の言葉に我に返り、朱音は急いで車のドアを開けた。

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