処女の秘孔は蜜の味 7
7 非情の掟
目覚まし時計がなった。午後六時。
部屋に戻ってベッドに横になってすぐに眠ってしまったようだ。時計のアラームをセットしておいてよかった。
ベッドから出て留守番電話を確認する。エリカからの連絡はなかった。島中祥子に会ったはずなのに音沙汰がないとは、かえって不気味だ。
テレビでは、路地裏で治安会メンバー三人が刺殺されたニュースを流している。トシアキの遺志を実行した達成感は、わずかだがある。それだけでもたいした進歩だ。
服を着替えて車庫に停めてあるマスタングに乗った。親父が乗っていた車。車検はとっくに切れている。そもそも、辰雄は運転免許証など持っていなかった。運転は中学のとき、親父に教えてもらった。
車を走らせ、街を出る。街外れにある古ぼけたバー。父の妹である叔母の芳江が経営している酒場だ。開店準備をしているかと思ったが、店内にまだ明かりは点っていなかった。
店の横の倉庫のシャッターを開け、車を放り込む。倉庫の隅の床に敷いてあるカーペットをずらすと、地下室の入り口がある。一メートル四方のドアを引き上げ、下に下りる。
手探りで電気をつけた。
コンクリートむき出しのがらんとした部屋の中央に置いてあるダンボールを覗き込む。小分けした乾燥大麻が、グレードごとに分けて置いてある。有効成分のテトラヒドロカンナビノール濃度が高い雌花を乾燥させた袋を手に取った。雌花はプロのバイヤーに高く売れる。その他の葉の部分は、エリカや吾郎、光男といったワル仲間に分けてやったり、街の不良に売ったりする。
薄暗い地下室の隅のドアを開け、 灯りをつける。小さなキッチンにベッド、箪笥などが置いてある。部屋の隅にはシャワー室にトイレ。トイレに入って壁のタイルをはずしていくと、中に隠してある札束が見えた。手に取ってみる。三千万くらいはあるだろう。大麻草を山で栽培し、売って貯めた金だ。手を伸ばして壁の奥を探る。布に包まれた拳銃。357マグナム。ただし、弾丸は少し弱めの38スペシャルが装填してある。
拳銃とナイフをベルトに差し、地下室から出た。
午後七時。
空港の近くにある工業地域の一角。倉庫の立ち並ぶ港。作業を終えた港湾作業員たちが事務所に引き上げていく。
空き倉庫の前を通り過ぎ、入口より十メートルほど先の路肩に停車した。マスタングの運転席にもたれて窓を開けると、銜えたタバコに火をつけた。
作業員が引き上げると、この時間、人気が全くといっていいほどなくなる。
空き倉庫の壁は波型スレートでできていたが、長い間雨風に曝され続け、茶色い錆が広がっていた。大きなシャッターが、半分ほど開いたままになっている。強い風が吹くたびに、カタカタとシャッターの揺れる耳障りな音が聞こえてきた。
タバコの吸い殻を外に捨てる。アスファルトの道路の割れ目から、雑草が生えていた。
ヘッドライトが近づいてくる。辰雄は体を隠した。黒いベンツがマスタングの前を通り過ぎ、路肩に停車した。
ベンツから二人の男が降りてきた。眼鏡をかけた小太りの男と、黒いロングコートを着ている身長が一八〇センチメートル以上はある大きな男。眼鏡の小太り男は高田といういつものバイヤーだが、大男は見覚えのない男だった。
眼鏡の小太り男は倉庫のシャッターに近付くと、周囲を確認した後に身を屈めて中に入っていく。残った大男が周囲を警戒している。直立しているだけで人を威圧するようなオーラを放っていた。
いつもは高田一人で来るのに、どうして今夜は二人なのか。
背の高い男が倉庫の中に入っていった。辰雄はマスタングから降りて倉庫に近づいていく。ジャンパーの上から、腰に差した銃を撫でた。
倉庫の中は暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。中に入ると、辰雄はシャッターを下ろした。
周囲が深い闇に包まれた。月明かりの中で、辰雄を見ている二人の男が浮かび上がっている。
「ブツは持ってきたか?」
眼鏡の小太り男が言った。
「ああ、ここにある」といって、雌花を乾燥させたマリファナの入った紙袋を差し出す。
「あんたも、金は持ってきたか?」
「ああ」
眼鏡の小太り男がカバンから包みを取り出した。包みを開封して中身を確認した。万札がびっしりと詰まっている。五百万。手が震えてきた。
眼鏡の小太り男が袋を破って摘まみだしたマリファナをパイプに詰めている。ぼうっと光ったライターの灯が、周囲を照らす。
「いいネタだ」
眼鏡の小太り男が大男を見て頷いた。
「じゃあ、これで」
出口に向かって後ずさりした。窓から差し込む月明かりの外に出て、闇に溶け込もうとした時、大男が、こちらに銃を向けた。
「表情一つ変えないとは、いい度胸だな」
大男が笑った。
「どういうことだい、高田さん」辰雄は眼鏡の小太り男をみた。
「そろそろ潮時なんだよ。俺たちがブツ捌いているのを治安会にバレちまってな。今夜の取引を最後に街を出ることにしたんだ」
「治安会にケツまくられてビビっちまったのか」
「てめえ、ガキのくせに口のきき方に気を付けろ」
大男が銃を持った手を突き出した。年の頃は四十前後。がっしりした体つき。髪は短く刈り込んである。
高田は卑屈な笑いを浮かべ、辰雄に近寄ってきた。
「そういうわけで、金が要るんだ。悪いが、その金は返してもらうよ」
「ハナから裏切る気だったとはな。どうりで気前がいいと思ったよ」
「お前はまだガキだから経験が足りないんだよ」
「どうかな」
辰雄が金の入った包みを差し出した。高田が手を伸ばして近づいてきた。
腰に差した銃を抜いた。高田が目を剥いたが、彼が悲鳴をあげる前に引き金を引いた。高田が腹を抱えてしゃがみこんだ。大男が目を見開いて銃をこちらに向けているが、銃口が別の方向に向いている。暗闇に逃げ込んだ辰雄の姿を見失ったのだ。
辰雄は、月明かりの中でうろたえる大男に銃口を向けて引き金を引いた。
轟音とともに、大男の体が後ろに吹き飛んだ。床で呻いている大男に近づき、頭を撃ち抜く。容赦のない辰雄の行動に、高田が叫んだ。
「た、助けて……」
「もう遅いよ、あんたは助からない。腹に弾食らったから、苦しいだろ? 楽に死なせてやるぜ」
悲鳴を上げる高田の眉間を、銃弾が撃ち抜いた。