処女の秘孔は蜜の味 14
14 三八度線の原野
この季節、朝はまだ冷える。ただでさえ殺風景な原野が広がっているせいか、風が吹けばなおさら寒々しく感じられる。
しかし、半年もたてば慣れてしまうものだ。見慣れない光景、名前も知らない異国の草木。それが見慣れてしまえばずっと昔から知っているもののように感じる。大陸を離れ日本に帰ることになったら、きっとこの光景を懐かしく思うときがくるのだろう。
突然、上空で轟音が鳴り響いた。米軍の戦闘機の編隊が、北に向かって飛んでいく。今日も北のどこかの街が灰になるのだろう。
「がんばれ、アメ公!」
地面に座ってタバコを吸っていた野崎が手を叩いた。同じ船で門司から釜山に来た、いわゆる同期という奴だ。
日本海を挟んで日本と隣合う中華人民共和国。かつでは大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国、いわゆる北朝鮮に分断されていた半島は、十年前に中国の実効支配下に置かれたが、仁川と釜山から上陸した米軍を中心とする国連軍により、かつて韓国と北朝鮮の国境線のあった北緯三八度線まで戦線を押し戻し、ここ五年間は膠着状態が続いているらしい。
藤島辰雄は米軍隷下のとある中隊所属の作業員として、ソウルの駐屯地に勤務していた。
どうしてこんな戦争が起こったのか、事の原因は全く知らないし、興味もない。大国どうしが戦争を起こし、その火種が世界中に広がって、日本も巻き込まれてしまった。いや、日本の宗主国様、アメリカに無理やり巻き込まされてしまったといったほうが正しいだろう。戦争が始まって以来、日本は膨大な戦費と何の罪もない若者の命と女の身体をアメリカ軍に捧げ続けている。
「はあ、女とやりてえなぁ」
野崎の横でタバコをふかしていた中野が股間を弄ってる。前線勤務の当番に当たってそろそろ一か月。作業員達の下半身はとっくに限界を過ぎている。
「ここでやるな。向こうの草むらで抜いて来い」野崎が顔をしかめる。
「け、こんなところでお前の顔見ながら抜けるか。そこまで落ちちゃいないよ」
中野が下品に笑う。海外ボランティアの名目でソウルの駐屯地で働いている日本人作業員は、一か月ごとにソウルと三八度線付近の前線とを行き来する。来週の月曜日はソウルに戻る日だ。向こうでドンちゃん騒ぎが出来る。
「抜かずに置いとけよ。あと二日で娼館で好きなだけやれるぜ」
辰雄がタバコの吸殻を地面に押し付けた。
「おおおっ! 待っててね、ソヨンちゃん。ソウルに戻ったら真っ先に僕のオチンチン入れてあげるから!」
中野の言葉に、三人が大笑いする。飯を食うことと女を抱くこと。それ以外にここには楽しみなどない。
娼館で下っ端の兵隊の相手をするのは元韓国人の女だ。日本人の女を抱きたいのなら、高級娼館で大枚をはたかなくてはならない。日本人の女を抱くのは、もっぱらアメリカ軍の士官や将校だ。韓国人の女は臭いので将校たちは敬遠するのだと聞いたことがあるが、辰雄は韓国人女を臭いと思ったことはなかった。
ソウルのどこかにエリカがいるはずだ。ソウルでの勤務の間は、自由に街を歩ける。エリカは米軍将校にうまく取り入っているだろう。彼らの出入りする娼館にいけば会える可能性は高い。
しかし、探し出したところで彼女になんといっていいのかわからない。
「おうい、そろそろ行くぞ」
隊長の佐藤二尉が手招きしている。三人はのそりと立ち上がり、銃弾やロケット弾の入った箱を担いだ。
「砲撃が止んで一時間たった。そろそろ大丈夫だろう」
佐藤二尉は防衛大卒の幹部自衛官で、辰雄たちと同時期に日本から送られてきた。前線部隊に物資を運ぶ補給部隊の小隊長として、辰雄たち三人を指揮している。
佐藤の指示で、急峻な山道を慎重に登っていく。トラックや車輪付きの荷台も入れない急な山道は、補給物資を人力で運び上げなくてはならない。要するに、荷物を運ぶ牛馬と同じというわけだ。牛や馬は人間よりパワーがあるが上官の命令を平気で無視するので、人間のほうが使い勝手はいいだろう。
少し登っては岩陰に隠れ、佐藤二尉が双眼鏡で原野の様子を窺う。発見されれば、三八度線の向こうから砲弾が飛んでくる。これまでボランティアという名の米軍の奴隷が、何人もこの山で命を落としている。
山道を登りきったところに古い坑道に続く大きなトンネルがある。その穴の中に陸上自衛隊の隊員たちが潜んでいる。この旧鉱山の地中に狭いトンネルが張り巡らされていて、三八度戦の向こうにいる敵を砲撃したり、三八度線を越えて侵入しようとする敵兵を狙撃したりしている。
トンネルの中を覗き込む。オイルやガソリンの強い匂いが漂っている。
「ごくろう」
佐竹という五十過ぎの自衛官がのっそりと姿を現した。ランニングシャツに自衛官ご用達のカーキ色のズボンを履いている。
「銃弾と砲弾をお持ちしました」
佐藤二尉が佐竹に敬礼する。自衛隊の中では佐藤のほうが偉いらしい。しかし、親子ほど歳が離れているベテランの佐竹に、佐藤は敬語を使って話している。日本にいるときは隊の中では階級は絶対らしいが、生死のかかった戦場では戦いを知っている兵隊の方が偉いのだ。
しかし、自衛官でない辰雄たちは気楽に佐竹さんと呼んでいる。こちらはあくまでボランティアであり、自衛官ではないのだ。
「まだソウルに戻らないのか?」
「来週の月曜日に戻るんですよ」
「そいつはいいや、うらやましい」
彼がコーヒーをお盆に乗せて差し出してきた。いただきますといって、四人がそれを受け取る。コーヒーを振舞うのがこの男の趣味だということに、辰雄は最近気づいた。
「うん、佐竹さんの淹れるコーヒーはすごくうまいです」中野が上機嫌で褒める。
「豆がいいんだよ。なんといってもアメリカさんからのお流れ品だからな。自衛隊はお堅いから、持ってくるのはレーションばかりだ」
佐竹の横で、佐藤二尉が聞こえない振りをしてコーヒーを飲んでいる。
「日本においてきた彼女は元気なのかい?」
佐竹が辰雄を見て、突然口を開いた。きっかけは忘れたが、綾香のことを佐竹に話したことがあった。
「ええ、まぁ、なんとか……。時々手紙が来るんで」
「まあ、戦場にいるときは日本に置いてきた女のことは忘れろ。ソウルに戻ればいい女はたくさんいる」
「そうそう」と野崎が頷く。
朝鮮半島に来て半年が過ぎた。綾香の裸体を思い出すことが、日に日に少なくなってきている。
コーヒーを飲み終えた佐竹はトンネルの奥に入っていき、巨大な長方形の物体を手で軽く叩いた。ロケットランチャーだ。
「俺は、こいつを敵陣にぶっ放すまでは日本に帰れないんだよ」
冗談とも本気ともつかない彼の言葉に、四人は曖昧に笑うことしか出来なかった。辰雄たちがこのトンネルに来るたびに、佐竹は同じことを言う。このトンネルに住居を構えて以来、佐竹はこのロケットランチャーの面倒を見続けているらしい。
低く鳴り響く砲声がトンネル内に届いた。続いて地面が揺れた。敵の砲弾が近くに着弾したらしい。
「敵さんが撃って来たな。こっちも撃ち返しゃいいのに、戦場にいても日本政府は弱気でいけねえや。優秀な自衛隊が総力を挙げりゃ、向こうにいる敵さんを全滅させるなんて簡単なのによ」
そういって、佐竹はロケットランチャーを手で叩いた。