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処女の秘孔は蜜の味 24



24 基地での朝

 目が覚めた。
 この頃よく同じ夢を見る。
 辰雄の遥か前方に広がる地獄絵図。燃えさかる街並み。はっきりとは見えないけど、逃げ惑う人々。叫び声が聞こえてくるわけでもないのに、人々が苦しみの声を上げているのが目に浮かぶ光景だった。
 ふと、山のふもとに視線をやると、一人山を駆け上っている男の姿が見えた。爆撃を喰らったのか、顔中血まみれで必死の形相で走っている。
 クン……と、一瞬、戦闘機が高度を下げたかと思うと、山のふもとが轟音と共に爆発した。眩しさと熱風で目を瞑り、次に目を開けた時は、えぐられたように山の形が変わり、男の姿を確認することは出来なかった。
 このごろ良く見るのは、その時の夢。現実では見えていなかった男の吹き飛ばされる光景が、夢でははっきりと見せ付けられていた。
 朝鮮半島に来て初めて前線に出たときのことだった。戦略上意味もなさそうな村に、中国軍が空爆を行ったのだ。
 彼を助けに行ってやりたかった。だけど上空を飛び回っている戦闘機が頻繁に爆撃と銃撃を繰り返すので、身動きがとれなかった。
 それに、あの時助けに走って間に合うわけもなかった。自分には責任が無いことは分かってる。けど、その夢を見るたびに自己嫌悪で吐きそうになる。
 ベッドから起き上がり、備え付けの水しか出ないシャワーで顔を洗い、体を拭く。冬の季節に冷水は少しきつかった。
 黴臭い金属製のドアを開け、廊下に出る。すぐ目の前の床に乏しい食料がぽつんと置いてあった。一日二食。それがこの基地の住人に決められた食事の割り当てだった。
 基地内では何をしようが自由で、好きにうろつくことができた。しかし、基地の外には出るなというルールがあることは、隣の部屋の住人である小池に基地に入った翌日聞かされた。
 小池は三十代前半ぐらいの男で、会話するときに身構えなくてもいい気のいい男だった。
 隣のドアに目をやる、既に目が覚めているらしく、空の缶詰がドア先の床に転がっていた。
「やあ」
 ハユンのいる医務室に向っている途中で、小池とばったり会った。彼も医務室に用があるらしい。辰雄の横を歩きながら、何度も大きなあくびをした。
「知ってるかい? 二日前にソウルが爆撃されたらしい」
 驚いて小池を見た。
「ソウルには仲間達がいる」
「被害はたいしたことなかったらしいけど、その報復に昨日、ピョンヤンを絨毯爆撃だとよ。あの街はもう何も残っちゃいないのに」
 エリカは無事だっただろうか。
「君は開城までいったのかい?」
「ああ、アメリカ軍に連れて行かれてね。おかげで酷い目にあった。まあ、アメリカさんはほぼ全滅したって聞いたけどけどね」
「僕はまだ三十八度線を超えたことがないんだ。板門店とか、いってみたいなあ」
「何もないさ。残ってるのは瓦礫だけだ」
「しかし、神様ってのも気まぐれっていうか適当っていうか、何考えてるんだろうな」
 彼はことあるごとに神という言葉を口にした。何かの宗教の信仰でもあるのかもしれない。
「こんな俺みたいな奴を生き残らせて、いったいどうしろって言うんだろうなぁ」
 同意を求めてくる彼に対して、辰雄は曖昧に頷いた。辰雄が生きていることに意味があるのだとしたら、それはきっと日本で辰雄を待っている女達の元に戻ることだろう。
「でもな、あの吉野っていう人は結構話の分かる人だよ。うん、あれは中々いい奴だね」
 この男は独り言が多い。一人で勝手にうんうん、と納得して頷いていた。聞き手としては、随分楽な男だ。
「あんたは、この基地を出たらどうするつもりなんだ?」
「ああ。俺さ、心臓にちょっと病気持ってるからどっちにしろあんまり長く生きられないんだよ」
 さらっと、とんでもないことを口に出す。
 いきなり足を止め、前方に手を振る小池。呼ばれて、背を向けていた顔をこちらに向ける。吉野と、優希菜という長い黒髪の女が立っている。
「よう、おはようさん」吉野が自衛官らしからぬ笑顔を向けて挨拶をする。
「おはようございます、小池さん、藤島君。医務室へ?」
「ああ、ちょっと薬を貰いにと、この子のツレのお見舞いにな」
 優希菜が辰雄と小池にぺこりと挨拶をしてきた。辰雄より幾らか年上のはずなのだが、その無垢、いや空虚とさえ言える表情は不思議なほど彼女を幼く見せていた。
 優希菜の手を引きながら吉野は辰雄達と別れる、基地内の施設を色々と案内しているらしい。
「吉野さんってさあ、あの優希菜さんを狙ってるんだ、きっと」
 小池が意味ありげににやける顔が不快だった。
「いいじゃねえか。女を抱くくらいしか楽しみがないだろ、ここには」
 医務室のドアの目の前に立つ。おもむろに小池がドアに手をかけて中に入り、辰雄もそれに続く。
「起きてよ、先生」
 部屋の隅っこで、椅子に座りながら居眠りをしている年老いた医者らしき人の肩を、小池は激しく揺さぶっていた。
「なんだ小池君か。いつもの薬ならあそこに置いてあるから、好きに持っていきなよ」
 そう言って、奥に設置されている台を指差す。満足げに笑みを浮かべながら軽く医者の肩を叩くと、小池は台の方へと歩いていった。辰雄はハユンの眠るベッドへ向かう。辰雄が入って来たのを知ると、ハユンは慌てて膝に立てていたスケッチブックをバッグの中へ隠した。
「よう、調子はどうだ?」
「おはよう。うん、悪くない」
 彼女の顔色がうっすらと昨日より蒼くなっている。特に目立つ回復はしていないようだった。
「退屈か?」
 辰雄がそういうと、ハユンは少し顔を伏せがちにして上目遣いで辰雄の方を見た。
「うん……少し。たまには外に出たいかな」
 天井を眺めながら、ポツリとそんなことを言う。ここに来てから数日が過ぎたが、外に出られない上に、窓も付いていないので、まともに外の世界の空気に触れることもできない。
「すぐにここを出られるさ」
 突然背後で勢い良く水を飲み干す音が聞こえた。それから小池の「ぷはぁ」と言う声がした。
「ん、何だ。君ら知らないのか、屋上があること」
「屋上?」
 小池はこくりと頷く。
「ああ、突き当りにあるエレベーターを上っていけば屋上に着くよ。外でも何でも見放題だ。なんなら、案内しようか?」
 辰雄はハユンを見た。
「でも、医務室から出ちゃあ、駄目なんじゃ」
「ああ、いいよいいよ、行って来きなよ」
 いつの間にか医者は目を覚ましていたらしく、大きく欠伸をした後、立ち上がって、部屋から車椅子を持ってきた。
「行くか? ハユン」
 辰雄の問いにハユンは少し顔をほころばせながら頷いた。


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