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処女の秘孔は蜜の味 27



27 脱出

 逃げたほうがいいのだろう。
 どう考えても、それ以外に結論は出なかった。浜田も吉野も銃を持っている。殺すと言うのも、多分本気だ。
 しかし、ここにいればハユンは少しでも長く生きる事は出来る。病人相手なら奴らも温情をかけてくれるかもしれない。でもそれは、同時に役に立たないとして殺されてしまう方のリスクもある。
 棚に並べられた缶詰を手で抱えられるだけ持ってから、部屋を出た。盗んだのではない。自分の物を取り返しただけだ。
 部屋に戻り、急いでそれらの物と自分の荷物を吉野に支給されたバッグに詰め、医務室へと向った。
 ノックをすることも忘れてドアを開ける。部屋の中には医者がいるが、毎度のごとく椅子に座りながら眠りこけていた。
「辰雄?」
 病室に入ると、ハユンが笑顔で辰雄を見上げた。辰雄も笑い返しながらハユンの所に近づく。昨日より、少しは体調が良くなったのか、顔にほんのわずかに赤みがさしていた。
「ハユン、話がある」
「どうしたの?」
 ハユンの口に手をかざし、言葉を遮る。今藪医者に起きられるのはまずい。注意深く医師に視線を送る。辰雄が入ってきたことなど全く気付いていないらしく、規則的に頭を前後に揺らし寝息を立て続けている。
「ハユン、驚かずに聞いてくれ」
「何?」辰雄に合わせるように、ハユンも神妙な面持ちで小声になる。
 辰雄はさっき見たこと、吉野と浜田の交わした会話について話した。ハユンの目が驚きで大きく見開いた。病人のハユンにあまりショッキングなことは話したくなかったが、この際、仕方がない。
「で、お前はどうする? ここを出たら満足な治療は受けられなくなる」
「一緒に行く」
 ハユンに迷いはなかった。
「どうせ長生きできないんだもん。辰雄と一緒にいたい」
「ハユン」
「わかるわ。自分の身体のことだもん」
 ハユンの目が輝いている。覚悟はしていたのだろう。
「わかった、ここを出よう」
 辰雄はハユンを背負うと、医務室を出て基地の出口へと向っていった。
 辰雄の背中で、ハユンの呼吸が乱れ始める。
「大丈夫か?」
「うん」
 出口は近い。とにかくこの基地から出て離れたら休めばいい。
「はぁ、はぁっ……」
 出口間際というところになって、突然ハユンが苦しがり始めた。辰雄は慌ててハユンを背中から降ろした。
「ハユン、どうした?」
「おかしい……。何か、目が、良く見えない…」
 顔色がみるみるうちに青くなっていく。やはり医務室で安静にさせていたほうが良かったんだろうか。
「医務室に戻って薬をもらってこよう」
「待って。大丈夫だからこのまま逃げて」
 カツ……カツ……カツ……。
 背後から、足音が聞こえた。いつか聞いたことのある、一定のリズム。
 この足音の主は浜田か、それとも吉野か。
 ハユンを背負って、後ろは振り返らずにそのまま走って逃げようとした。
「待て!」
 聞き覚えのある声が、廊下に響いた。
「やはり、君達か……」
 吉野が、そこに立っていた。、包帯を巻いた左足を引きずるようにしながらどんどん近づいてくる。
「俺達を殺す気か?」
 辰雄の問いに、彼は静かに首を横に振った。辰雄は黙ってハユンを降ろし、壁にもたれかけさせて休ませる。どのみち、この状況で逃げることなんて出来やしない。
「ここを出るつもりか?」
「ああ。あんたと浜田のさっきの会話を聞いたからな」
 吉野は一瞬驚いた表情を浮かべた後、申し訳なさそうに目を背けた。
「すまないと思っている。浜田曹長を止められなくて。全て、私の責任だ」
「それは、小池さんを殺したことも、という意味かい?」
 静かに、吉野は頷いた。そして一層力のこもった目で辰雄を見つめた。
「言い訳をするつもりは無い。それに、私がここに来たのは、君達を逃がすためだ」
 そう言って、ポケットに手を突っ込んで何かを取り出し、それを辰雄に手渡す。銀色の小さな鍵だった。
「ジープの鍵か?」
「ああ。街に戻るにしても、早い方がいい。浜田曹長に見つかったら事だしな」
「でも、それじゃあんたが」
「私はもう、決めたんだ。もうこれ以上あいつの手で余計な犠牲は出させない。例え私が犠牲になっても……」
 吉野は言葉に力をこめた。それは、浜田を止めるということなのだろうか。つまり……。
「浜田を、殺す気なのか?」
 力なく、吉野は首を振る。
「分からない。事と次第によってはそうなってしまうかもしれない。でもそれはもう、君たちに……っ!」
 突然耳をつんざくような轟音が響く。と同時に、吉野が辰雄に向って倒れこんできた。
「きゃあぁ!」
 ハユンが悲鳴を上げる。吉野は辰雄の上に倒れこんだまま、凄まじい勢いで血液が溢れてくる胸を押さえている。その背後に、あの男の姿があった。
「三度目だぜ、吉野……」
 ゆっくりと辰雄達に近づいてくる浜田。吉野は、既に喋ることも出来ないのか徐々に呼吸が小刻みになっていき、必死で腰のあたりを手で探って何かを探していた。
「君達にも困ったもんだなぁ。まぁ、どうせもうじき死んでもらうつもりだったが」
 吉野が、浜田に見えないよう辰雄の手に何かを握らせた。それが何か、辰雄にはわかった。その時、急に吉野は体の力を抜き、電池が切れたように微動だにしなくなった。
 不思議なくらい、今の危機的状況を現実のものと感じられなかった。ハユンの言った、本当に恐い時はおかしくなるかひどく冷静になるっていうのは当たっているのかもしれない。辰雄は今、この上なく冷静になっていた。
「悪いな、俺はまだ飢え死にする気は無いんだ」
 そう呟く浜田の目を見て愕然とする。彼の目は既に正気ではない、狂気に包まれた目だった。あまりに強い「生き残りたい」という思いが彼にこんな異常な行動を起こさせている。
 そして理解した瞬間、「ハユンを守らなければ」という使命感が辰雄を再び突き動かした。こんな所で、死んでたまるか。
 ぶらりと下げていた右手を浜田が振り上げたと同時に、劈くような銃声が響き、左肩に焼けるような激痛が走った。
「うっ……ぐ!」
 たまらず地面に倒れこみ、右手で左肩を押さえる。貫通ではなくかすっただけのようだが、それでも右肩の服の生地がみるみるうちに赤く染まっていった。
「じゃあ……悪いけど」
 そう言いながらゆっくり顔を近づけてきた浜田に、辰雄は倒れこんだままの体勢から右手を突き出し、引き金を弾いた。
 轟音が辺りに響き、反響する。
「くっ……か、ぁ」
 浜田は血が流れ出している喉を両手で押さえながら目を剥き、同時に数歩後ずさりながら凄まじい形相で辰雄を睨んでいた。
 コプコプ……と喉から溢れた血が泡立つ。
「油断しすぎだ。余裕をかますからそうなる」
 立ち上がり、吉野に手渡された銃を浜田に突きつけた。辰雄は力の限り浜田を睨みつける。
「それは、吉野の拳銃か……?」
「ああ」
「素人の癖に……いい腕をしている……」
「銃には慣れているんだ。ここに来て覚えたんじゃないんだぜ。日本にいるとき、ふざけた野郎を何人もぶっ殺しているんだ。こう見えて、あんたより多くの修羅場を潜り抜けてきてんだぜ、俺は」
 浜田が目を大きく見開いた。
「楽にしてやるぜ」
 浜田の眉間に銃口を向けて引き金を引いた。さっきと同じ轟音が廊下に響き、手に激しい痺れが襲ってきた。
 辰雄が放った弾丸は浜田の眉間に撃ち込まれていた。
 辰雄は銃を捨て、ハユンに駆け寄った。
「大丈夫か?」
 小刻みに、震えながら頷くハユン。口をしきりに押さえている。どうやら血が出ているらしかった。彼女を背負って、再び出口を目指す。
 出口のすぐ傍に駐車されているジープに乗り込み、鍵を差込みエンジンをかける。アクセルを踏むと、途端に車は加速して走り出した。隣に座っているハユンに視線を送る。座席に座りながら、青ざめた顔でぐったりとしていた。
 ハユンが激しく咳き込んだ。かと思うと、車のフロントミラーの左端が一部真っ赤に染まった。ハユンの病状はどんどん悪化していているのは明らかだった。辰雄は彼女の肩を抱き寄せながら車を走らせ続け、あの街へ向った。


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