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処女の秘孔は蜜の味 29



29 贅沢な棺

 タクシーを降りて、既に事切れたハユンを背負いながら辰雄は国安と並んでペンションに向った。
 やがてペンションの前に辿りつくと、辰雄はハユンを近くの木に掛けて座らせた。
「これから、どうする気だ?」
「さあな。でももう、この街には正直いたくない。仲間達も戻ってきそうにないしな」
「いつ、出るつもりだ?」
「そのうちにな」
 国安はそれを聞くと、一度だけ大きく溜息をつき沈黙した。天を仰ぎ、いつのまにか黒からセピア色に変っていた空を見つめている。辰雄も、倣って空を見上げていた。
「じゃあ、そのときはこの街の端っこまで送らせてくれよ。いつでもタクシーを出してやるるからさ」
「ああ」
 辰雄はタクシーへ向って歩いていく国安を黙って見送った。
 それからハユンを背負ってペンションの中に入り、リビングのソファーに寝かせた。
 室内を見回す。ほんの少しの間離れていただけなのに、妙に懐かしかった。
 しかし、もうこのペンションに用は無くなった、せめて彼女を葬る棺として使おうと思った。
 倉庫においてあったポリ缶を部屋に運び、ガソリンをリビングの中に撒いた。
 ここで火をつけたら気化したガソリンに引火して巻き添えを食ってしまう。辰雄はファンヒーターのタイマーをセットした。
 眠るようにソファーに横たわるハユンを最後に一目見ると、リビングのドアを閉めた。
 玄関を出たとき、いきなり頭を殴られた。
 地面に転がされた。眼を開けた。暗闇の中で銃を構えた兵士。中国兵だ。全部で十人いる。
「お前、スパイか?」
 ひとりの兵士に拳銃を向けられた。下手な日本語だった。
「俺は……ただの一般市民だ」
「嘘だ!」
 銃口を眉間に突きつけてきた。
「この辺りに市民はもういないはずだ」
「逃げ遅れたんだ。車がないのでね」
 兵士達がペンションを見ている。
「女がいるのか?」
「いない」
 兵士に銃で殴られる。
「嘘だ。女物の靴が玄関においてある」
「以前いたが、今はいない」
 少なくとも、嘘ではない。
「家の中を調べる」といって、兵士達がペンションに乗り込んでいった。通訳の兵士が辰雄の横で見張っている。辰雄の銃は軍服と一緒に納屋に隠している。納屋を探られて銃が見つかれば面倒なことになってしまう。
 ペンションの中で爆発音がした。通訳の兵士が驚いて視線をはずした。辰雄は近くにあった丸太を手に取ると、後ろから兵士の首めがけて横に薙いだ。
 首を殴られた兵士が地面に倒れた。辰雄は急いでその場を離れ、そばの林の中に逃げ込んだ。
 炎が伝わり、ペンションが一気に燃え始めた。
 贅沢な棺でよかったな、ハユン。
 炎があっという間に燃え広がり、ペンションを包み込んだ。
「ひぃああああああぁぁっ!」
 炎の中で悲鳴と断末魔が交錯する。燃える兵士達が数人、外に飛び出してきて逃げ惑い、倒れて地面を転げ回る。
 実に愉快な光景だ。
 炎に包まれた兵士達が、次々と焼け死んでいった。
 辺りに嫌な臭いが漂い始める。中国兵が焼ける臭い。あまり長居したくないと思わせる臭いだ。
 そばの木が、弾けた。
 木々の向こう側に、さっきの通訳の兵士が銃を構えている。
 兵士が辰雄を睨みながら近づいてきた。
 ほう、タイマンか。いいだろう。
 地面においていた丸太を手に取った。
 銃声が響いた。銃弾がそばの木に着弾する。辰雄が木々の間を素早く動いた。
 兵士が中を連射するが、木々に阻まれこちらを上手く狙えない。
 銃声が止んだ。木陰から様子を窺う。ペンションの炎で、林の中が赤く照らされている。中国兵が、手に銃剣を持って林の中を彷徨っている。予備の弾倉をもっていなかったようだ。
 炎は林の木に移り、だんだんと燃え広がっていた。中国兵は炎を気にしながら銃剣を構えていた。
 林を侵す炎が気になるのか、ちらちらと後ろを気にしている。
(上等だ。やってやる)
 俺を殺すことだけに専念したほうがいいぜ。
「うおおおおおおォォォォッ!」
 いきなり目の前に躍り出てきた辰雄を見て、中国兵が眼を剥いた。銃剣を丸太で受ける。辰雄は丸太を回転させるようにして振り回した。
 丸太が兵士の身体を直撃し、吹き飛んだ。とどめを刺そうと踏み込んだとき、脇腹に銃剣が突き刺さった。
 兵士が青い顔で辰雄を睨んでいた。
「ははっ……」
 やるじゃねえか。
 辰雄は小さく笑うと、立ち上がった兵士目がけて踏み込んだ。脇腹の痛みは高揚感で打ち消されていた。
「ウオラァッ!」
 辰雄は勢いを乗せて丸太を突き出した。丸太が兵士の顔面を粉砕した。兵士が逃げようと背を向けた。そのまま首の後ろを殴りつけた。
 兵士が地面に倒れた。中国兵の全身を丸太で打ち据えた。頭はヘルメットを被っているので、主に腹を狙った。
 辰雄は丸太を打ち下ろし続けた。やがて、兵士が動きを止めた。口を大きく開き、魂の抜けた眼を大きく見開いている。
「ハァ、ハァ……」
 死体を前に、息が切れている。
 血みどろの丸太を引きずりながら、ペンションのほうに戻る。木々に燃え移った炎はいつの間にか消えていた。
 林を出た。炎の中でペンションは既に原形を止めていなかった。あたりには焼け焦げた中国兵の死体が転がっている。
 途端、熱い何かが身体に流れ込んできた。視界が白くぼやける。 喉が渇いて呼吸がしづらくなった。
 脇腹からの出血が、思っていたより酷くなっている。痛みが広がり、意識が飛びそうになった。
「ア、ァッ……ガァッ……!?」
 まともに踏ん張ることもできず、辰雄はその場に崩れ落ちた。
 徐々に痛みが強まってくる。
(このまま死ぬのか……)
 もはやどうしようもない。
 目を閉じた。どこかで誰かが、自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


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