キチガイたちの挽歌 21
「ああ……ん、よかった……」
飼い主になつく猫のように、陽菜が腹ばいになってハヤトに擦り寄ってくる。
「ねえ……。今度のイベント、センターで歌いたいよぉ……」陽菜が甘ったるい声をあげて抱きついてきた。一七歳にしては大きく膨らんだ乳房を、ハヤトの腕に擦り付けてくる。
「俺に言っても仕方ねえだろ」
「タクヤさんからプロデューサーに口きいてもらってよぉ」
「お前は、一番後輩だろ」
百瀬陽菜は、ハヤトが先月スカウトしてタクヤに渡したばかりのアイドル候補生だ。
ハヤトがタバコを銜えると、陽菜がベッドサイドに置いていたライターを手にとって火をつけた。
「だってぇ、端っこで踊っててもぜんぜん目立たないんだもん」
「お前は可愛いからすぐに人気が出るよ。とにかく名前が売れるまではしばらく今の位置で頑張るんだ。タクヤさんだってそう言っていたはずだ」
「だってぇ……」
少女好きのオタク男たちのために、週に三回、ライブをやっている。名前が売れるまではメディアにはほとんど露出せず、ライブやイベントなど中心に活動する、いわゆる地下アイドルやライブアイドルの類だ。地元での知名度を上げてから、芸能記者を呼んで雑誌やネットで取り上げてもらい、アイドルとしてデビューさせる。
「このまま続けていて、ほんとにデビューさせてくれるの?」
「当然だ。俺もタクヤさんも、今のメンバーの中でお前が一番売れると思ってるんだぜ」
「嬉しい」
そういって、ぽてっとした可愛い唇を重ねてくる。
タクヤが芸能事務所を開いて、半年がたつ。タクヤの頼みで街で少女たちをスカウトしてきた。メジャーデビューした少女はまだいないが、どのグループもライブやイベントを頻繁に行っているので、インディーズアイドルとして知名度は上がってきた。入場料やグッズでの稼ぎも上々だ。抱えている少女タレントの誰かひとりでも売れれば、大金を手にすることができる。まさに一獲千金の世界である。
それに、いい女は大きな武器になる。各界の大物に女を貢ぎコネクションを強める。人脈が広がれば、面白いほど大きな仕事が舞い込んでくる。族の先輩たちが甘い汁を吸うのを見るたびに、ハヤトはいつか自分も大きな魚を釣ってみせると奮い立った。
「あのユイって女、なんとかなんないかなぁ……。ギャルぶってるし、自分のこと可愛いと思ってるし。そのくせモデルもアイドルも全部中途半端。はっきりいっていらないよ。邪魔なだけ」
畑中ユイはタクヤの事務所でも一番メジャーデビューに近いタレントだった。「放課後プリンセス」のセンターで、ファンも多い。歳は陽菜と同じだが、歳不相応なセクシーさが彼女の売りだった。一方、新顔の陽菜は愛くるしく清楚な幼顔で、舌足らずな話し方も加わって、ロリ系のファンの人気を集めている。加入したばかりなのに人気のある陽菜に、ユイが何かと意見することも多く、このままいけば、ふたりはいつか衝突してしまうだろう。
「あんな奴、いない方がいいよ。努力努力ってうっせぇくせに、自分が一番努力してないし。音痴だし」
畑中ユイのほうがタレントとしての華がある。しかし、この世界でやっていけるのは陽菜のほうかもしれない。先日、タクヤがユイにある業界人に枕営業を持ちかけるよう仄めかしたが、はっきりと断られたらしい。
アイドルの世界に枕営業は必要不可欠だ。むしろ、各地のイベントを回る地道な営業活動より、効果的な営業手法である。アイドルなんてものは無数にいる。そこから一歩抜け出して有名になるためには、彼女たちはなんでもやる。実力のある業界人やスタッフにチャンスを見つけてはすり寄り、裸になって股を開く。雑草魂が強いのだ。中年オヤジとセックスすることを嫌がっていては、たとえメジャーデビューを果たして一時期人気を博したとしても、その先アイドルとしての成功はない。その点で、百瀬陽菜は畑中ユイを越えていると、ハヤトは思っている。
「頼みがある。酒井法子の件なんだ」
夜にかかってきたタクヤからの電話を思い出した。
酒井法子。一年ほど前、夫と覚せい剤を吸引してセックスしたことが暴露されたタレントだ。恋人が捕まって酒井法子の覚せい剤使用が疑われた。彼女はすぐに行方を消したが、後日警察に出頭し、逮捕された。薬が抜けるまで日本中を逃げ回った挙句、体調不良とかで入院して点滴を打ちまくり、薬を体外に追いだそうとしたが、毛髪中に覚せい剤が検出されアウト。判決は懲役一年六月、執行猶予三年。その後、恋人に無理やり覚せい剤を打たれてしまった、いわば被害者だという記事を子飼いの記者に書かせて汚名回復キャンペーンを図った。元恋人にも多額の口止め料を渡したうえに大物ヤクザが脅しをかけたので、真実を闇に葬りさることはできたが、いまだに大きな仕事はこないらしい。
「キメセクが晒されて以来、ぱっとした仕事がないんだ。薬がらみなだけに、スポンサーがつかない。法ピーは中国で人気があるんで中国進出を目論んだんだが、間が悪いことに中国で薬物撲滅キャンペーンが始まっちまった。そこで、法ピーを政府の危険ドラッグ撲滅キャンペーンのイメージガールとして適用してもらおうと考えている」
「ギャグですか?」
電話の向こうでタクヤが大声で笑った。
「まあ、冗談みたいな真面目な話さ。芸能界の時間の流れは速い。このままじゃ、法ピーは過去の人物になって忘れ去られてしまう。だから、ショック療法をやるのさ」
「俺はどうすればいいんです?」
「厚労省の薬物対策室長の沖永っておっさんが、実は法ピーの大ファンらしい。ただ頼むだけじゃだめだろうが、法ピーと一発やらせればなんとかしてくれるだろ。笹川さんの名前を出してもいい。沖永に会って法ピーと会ってもらえるよう交渉してくれ」
笹川宏。各界に顔の広い右翼の大ボスだ。
「俺みたいな若造が行っても大丈夫ですか?」
「一席設けて法ピーを沖永に渡せば、あとは法ピーがうまくやる。オマンコ使った交渉には慣れているからな。せっかく金かけて恋人に泥をかぶってもらったのに、このままじゃ芸能界引退だ」
ハヤトは大きくため息をついた。この手の仕事にはいつもうんざりする。
「なによぉ、ため息なんかついて」
「なんでもないさ」
「一発終わったあとのそういう態度が、女の子を傷つけるんだぞぉ」
「明日からはじまる仕事のことを考えていたんだよ」
枕元で携帯が鳴った。タクヤからだった。
「ハヤトです」
「どうだい? 自分がスカウトしてきた将来のアイドルの味は」
「上々です」
「そうか。なあ、ハヤト。落ち着いて聞けよ」
「なんすか?」
「金村が殺された」
「え……?」
いきなりベッドの上で上半身を起こしたため、陽菜が小さな悲鳴を上げた。
「日本刀で刺された上、バットで頭を叩き割られちまった。さっき中坊が自首したらしいんだが、ヤク中だ」
「金村さんが、中防にやられるはず、ないじゃないですか」
「ああ。やったのは道仁会。たぶんメデューサのメンバを使った。あそこのOBが幹部をやっている。激怒した石本総長が、道仁会幹部を殺すようにいってきた」
マムシ。あのキチガイがやったんだ。
「やったのはメデューサのマムシです。俺にやらせてください」
「まあ、落ち着け。慎重に作戦を練る必要がある。失敗しましたじゃあ、すまねえんだ。今、石本さんが道仁会幹部全員の愛人の名前とマンション、勤めている店を聞き出しているところだ。情報が集まるのは来週あたりだな」
石本はヤクザにも情報網が広い。
「決行は集めた情報を吟味してからだ。お前には仕事を頼んでいたはずだ。作戦が決まるまで、そっちに集中してくれ」
タクヤとの電話を終えても、ハヤトは携帯電話を持ったまま、拳を握り締めていた。体がブルブルと震えていた。
横から陽菜が、怯えた目でこちらを見ていた。