キチガイたちの挽歌 27
ハヤトの携帯電話が鳴った。陽子の携帯からだった。
「陽子か!」
「あ、ハヤト」
「お前、どこにいっていたんだ。探したぞ。元気か? タクヤさんに黙って消えちまって」
「元気じゃないよ」
泣き声になっている。
「今、どこにいる?」
「わからない。でも、多分、横浜のどこか。ちょっと、電話、代る」
しばらくの沈黙の後、「もしもし」と男の声が聞こえてきた。
「もしもし、昨日の夜、この女、甲州街道をフラフラになって歩いていたんよ。助けてくれって言うんで、とりあえず俺のアパートまで連れてきたんだけど、実は俺、長い間やっていなかったもんで、やりたくて、俺のところで休んでいかんかとダメモトで言ってみるとうなずくんだ。俺、天にも昇る気持ちでアパートまで連れ帰ったんさ。それで女に頼んだら、助けたお礼にやらせてくれるってんで、悪いけど、丸一日、がんがんやらせてもらったよ。美人だし、いいもの持ってるぜ、この女」
「お前、誰なんだ」
「悪い、名乗れないよ。あんた、あの関東連合の男なんだろ。それに俺、日雇い労働で食べてるんだけどよお。叩けば埃が出るんよ。このまま帰せば、警察の手が伸びてきそうな気がしてよお。誰か、知った人はいないのかと尋ねたんだ。したらよお、御宅に連絡取りたいっ手この女がいい出して、そいで、電話させたんよお。連絡がついてほっとしたぜ。お宅、やばい人なんだろ? 俺は合意の下でやっただけだからな。強姦じゃないぜ。コンドームもちゃんとつけたしよお。無理やりやったんじゃないぜ。この女がやっていいって言ったから」
それからまた声が途切れ、しばらくして「もしもし」と、今度は陽子の声が聞こえていた。
「だからいいの。怒らないでね、ハヤト。私、お金持ってなかったから、身体でしかお礼できなかったの」
「お前がいいのならそれでいい。ところで、何があったんだ?」
「攫われたの」
「攫われた? 誰に」
「田村って男。道仁会の組員。あのマムシってメデューサの男も訪ねてきてたわ」
マムシ! ハヤトの胸が高鳴った。
「本当か! どこに監禁されていたんだ!」
しばらく、陽子が男と話し合う声が聞こえてきた。
「この人に拾ってもらったところが横須賀なの」
「その男に案内してもらえるように頼んでくれ」
「だめ、怖がってるの。何もしないって言ってるのに。でも、京王線の横須賀駅までいったら、なんとなく場所、わかるかも」
「わかった。今から迎えに行く。どこにいけばいいんだ」
陽子が今度は男に変わった。男が陽子をJRの横浜駅に連れていくと言った。
雨がポツリポツリ、降り出した。二人の腕に雨粒があたる。
陽子の身体が小刻みに震えている。何度も大きな息を継ぐ。気力を振り絞り、涙声で語り出した。
「耐えられないような侮辱をうけたの。できることなら、全部、忘れてしまいたい」
長いまつげの下の瞳が暗く淀んでいる。
「田村はムーンライトで働く前の店で知り合ったの。攫われてマンションに連れていかれたわ。後ろ手に縛られ、シャブを注射されたの。そして、男共に順番に犯された。皆、笑い合い、卑猥な冗談を言いながらセックスしていったわ。悔しくて悔しくて、気が狂いそうだった。そして、そのまま監禁されてしまったの。毎日、シャブを打たれたわ。打たれたときは、いつも誰かが私を犯したの。汗が凄く出て、喉がすごく渇いた。でも、打たれた後は、全然眠くないし、スパーマンにでもなったような気分。とても良い気持ちだったわ。薬が切れるとどうしても欲しくなるの。だから、おとなしく言うこときいていたわ。言うことを聞かないと、身体中、殴られたの。顔は商品だからって殴らなかった」
「客を取らされたのか?」
陽子は首を横に振った。
「客じゃない。道仁会関係の男たちの慰みものになったの。24時間、ほとんど休みなく男に抱かれたわ。私と同じ立場の日本人の女性が、二人、いた。ホテトル譲。二人とも、薬は欲しいし、暴力が怖いから、言うことを聞いていた。一人は、シャブを打たれた後、自分から男を求めていたわ。監禁場所のマンションに連れていかれて田村に犯されたんだけど、隙を見て逃げ出したの。意識は朦朧としていたけど、必死で逃げてきた。あいつの顔にガラスの破片で傷を付けてやった。目のあたり。その後、あの男の車を停めてアパートに逃げ込んだわ。お礼に何回も何回も抱かせてやったの」
雨が本格的に振り出していた。二人は顔も身体も濡れるのに気づかなかった。
「私、きたない身体の女なの」
「そんなことはねえよ。お前のせいじゃねえ」
「ハヤト、私のこと、嫌いにならない?」
「俺はお綺麗な男じゃねえよ」
陽子は、ほっとしていた。ここ数日、心に堅く蓋をして隠し続けていたものを吐き出して、気持ちが楽になったようだ。
雨が小降りになっていた。
駅前の公園の横のマンションだった。
「誰かをとっ捕まえて、マムシの居場所を吐かせる」ハヤトが唇を舐めた。
陽子とふたりで公園のベンチに座り、マンションを見張った。七階建ての建物の三階が奴らの部屋で、一階が駐車場になっている。部屋の入り口に監視カメラが設置されている。品のないヤクザの事務所のようだ。
午後五時を回った頃、男がマンションの玄関から顔を出した。
「あの男よ、田村の舎弟で私を犯したの。私を犯し、私にシャブを打ち、私に客をとらしたの。殴って。殴って。殴って」
陽子がくやしそうに舌打ちした。
ふたりで男の後をつけた。男は近くの青空駐車場に入っていった。軽ワゴン車の前でポケットから鍵を出した。
ハヤトは後ろから男に忍び寄り、男が軽ワゴン車のドアをあけたと同時に、満身の力を込めて後頭部に手刀を叩き込んだ。強烈な手刀を喰らい、男は一声も上げることができずに気を失った。
ハヤトは男の上着のポケットから携帯電話を取り出し、自分のポケットに入れた。そして、持ってきたロープで男の手と足を縛ると、口にタオルを咬ませて、ワゴン車の後部座席に放り込んだ。
ふたりでワゴン車に乗り込む。足元に落ちたキーを拾ってワゴン車に乗り、エンジンをかけて車を走らせた。
車を走らせている途中、男が目を覚まして後部座席で暴れだしたが、頑丈にロープで縛られていたため、自由に身動きができなかった。
「私のこと、覚えているよね」
陽子を見た男の目に恐怖の色が宿った。レイプした女が連れてきた仲間の男に攫われた。これからどんな目に遭わされるか、この男にもわかっているのだろう。
ハヤトは人気のない川沿いの河原に車を停めた。エンジンを止め、車を降りると、後部座席のドアを開け、男の胸倉をつかんで車から引きずり出すと、口に咬ませていたタオルを取った。
「コラ! お前、俺が誰か知ってるんか! ヤクザにこんなことしてどないしてケジメつけるんじゃ!」
必死で強がってみせる男を冷たい目で睨んでいたハヤトは、手首から時計を外して時計のバンドを握り込み、強化ガラスの文字盤を拳の外に出した。即席のナックルだった。
ハヤトは男に馬乗りになり、男の顔面を殴った。
二発三発と殴っているうちに、男の歯が地面に飛んだ。
ハヤトは容赦がなかった。
男の口があっという間に血で真っ赤になり、歯が何本も折れて飛び散った。
「た、助けてくれ!」
強がっていた男が命乞いを始めたが、ハヤトは構わず殴り続けた。
顔全体を真っ赤に染め、男の目が虚ろになってきた。
ハヤトは鼻も砕いた。鼻骨の砕ける鈍い音がした。
ハヤトは拳を一振りして、文字盤のガラスにべっとりついた血を振り払った。
いつの間にか、ハヤトの下で男が気を失っていた。
ハヤトは男を再び車に放り込むと、再び車を走らせた。
車の後部座席では、目を覚まし怯えきった男が黙ったまま体を震わせていた。
二十分ほど走り、人気のない路地にワゴン車を停めた。
ハヤトが後ろを振り向いて男を睨んだ。男は今にも泣きそうな情けない表情で震えたままだった。
ハヤトはポケットから、男の携帯を取り出した。
「田村を呼び出せ……」
「田村、お前、自分が何をやったか、わかっているんだろうな?」
「さあな。変な言いがかりつけるなよ」
受話器の向こうから、田村の馬鹿にするような声が聞こえてきた。
「お前の舎弟、締め上げたら、簡単に吐いたんだぜ。陽子の件、落とし前をつけさせてもらうからな」
「何のことかわかんねえよ」
「お前、関東連合をなめてんのか」
「てめえこそ、ガキのくせにヤクザに対してなめた口きくんじゃねえよ」
「こいつがどんな目にあわされてもいいのかよ」足元に転がっている男の折れた腕を蹴り上げた。男の悲鳴が倉庫内に響く。
「お前、道仁会のソルジャーにそんなことしてただで済むと思ってんのかよ」
「脅しか。滑稽だな。お前、ビビってんだろ」
「命を大切にしろよ」
「生憎な。大切にするような命、持ってないんでな。それより、田村よ。陽子が慰謝料を要求している。2000万円だ。ビタ一文、まけない。期限は明日の昼一二時。こいつと交換だ。指定する場所に持って来い。その時刻を一分でも過ぎたら、こいつをぶち殺す。そして二千の関東連合がてめえを探し出してぶち殺す」
「てめえ、やくざを脅すのか。ひどい目にあうぞ」
「お前、自分がやくざだと思ってんのか。お前なんざ、ただのチンピラだ」
「殺すぞ、てめえ」
「道仁会の事務所にこのガキに死体を転がしとくよ。お前が見殺しにしたって証拠と一緒にな」
「証拠?」
「この電話、録音してんだよ」
受話器の向こうで田村が沈黙した。
「奥多摩の桧原都民の森の駐車場まで持って来い」
「馬鹿野郎、そんな遠い田舎に行けるか」
「嫌ならいいんだぜ。このガキをぶっ殺すだけだ」
「わかった。行くよ。その代り、仲間を連れてくるんじゃねえぞ」
「お互い一人ってことにしようぜ」
「わかった」
「じゃあ、明日の昼十二時。駐車場で会おう。一分でも遅刻したら、こいつを殺す」
「貴様、ただで済むと思うなよ」
電話を終え、ハヤトは、足元に転がっている男を見た。
「お願いだ、助けてくれ。俺は田村さんから女を犯せって言われたから、言うとおりにしただけなんだ」
「だからなんだ? 言い訳にもなりゃあしねえ。金が手に入らなきゃ、お前を殺す」
「助けてくれよぉ」
「だめだ」
金の受け渡し場所は奥多摩の山の中。奥多摩周遊道路から近い、桧原都民の森の駐車場。ハイカーやキャンパーが行き来する健全な山の上。それに仲間を引き連れてくれば目立つ場所だ。もっとも、こちらも同じ条件だが。
「あいつが約束守るわけないよ。仲間もいっぱい連れてくると思う。それがやくざだもん」
横で聞いていた陽子が不安そうな顔をする。
「だから奥多摩にしたんだ。待機させておく。こちらも暴走族の仲間を森に入る道の手前で待機させておく。向こうも同じ考えかもな。下手すりゃ、そこで顔を合わせちまう」
陽子が今にも泣きそうな顔でハヤトを見ている。
「2000万、手に入ったら何かおごってくれ」といって、陽子の頭を撫でた。