ハイエナたちの掟 5
激しいセックスを終え、疲れ切っていた玲子はいつの間にかそのままベッドで深い眠りに落ちていた。省吾は携帯電話を取り出した。
「野郎、どうしてるんだ?」
「さっきまでべそかいてやがったんや」泉谷が陽気に受話器の向こうで笑っている。酒を飲んでいるようだ。
「ただの下っ端や。ちょっと脅しただけで泣き出しよってからに」
「じゃあ、もう少し躾けてやれ。ヤクザになってもいいことなんてないってことを教えてやるのも大人の仕事だ」
「明日の夕方に解放したらええんやな」
「そうだ、予定通り頼む」
電話を切るともう一息タバコを吸って、灰皿に押しつぶした。
「重ちゃん?」
省吾の横でふとんががさがさ動いた。玲子が目を覚ましていた。
「ん? ああ」
玲子が体をゆっくりと起こすと、傍らにいる省吾の顔を覗きこむ。
「ありがとう、すごく楽しかったよ」
「なんやのん、それ……。もっと気の利いたこと言いや」
そう言いながら玲子は目を閉じて、省吾のたくましい胸に顔を埋めた。ふと何時なんだろうと思ったが、腕時計を外してしまった事に気が付いて諦めて玲子の髪を掻き上げた。玲子は猫のように喉を鳴らして額を省吾の胸にこすり付けてきた。
「よかったか?」
「そんな野暮なこと、聞かんといて」
玲子が身体を起こすと、あっといって太腿を閉じた。股間からシーツに溢れ落ちるのが見えた。
「あんたのんが出てきた」
省吾はシーツについた精液に何気なく眼をやった。それを見ていた玲子は「ようけ出してんな……」といって笑った。
玲子はベッドから降りると全裸のままバスルームに向かった。省吾はベッドから起き上がるとテーブルの上に置いてあったライターで咥えたタバコに火をつけた。煙を噴き上げると、目を閉じて、明日の戦いに備えて脳内でシュミレーションを始めた。
玲子がシャワーから戻ってきた。
「いつきてもいい部屋だな」
窓の外にはライトアップした大阪城が見えている。地上十八階建ての十二階にある3LDKの高級マンションだ。
「パトロンに買ってもらったんや、キャッシュで」
「中年男にとっては、その身体を自由にできるならマンションくらい安いものだな。でも、そんなところに俺を連れ込んでいいのか?」
「死んだわ。二年前に」
二年前というと、玲子が仲間に加わったときだった。
「蛙みたいに腹の出た、背の低い不細工な親父やったけど、金だけはぎょうさん持っとたわ」
「じゃあ、丸儲けだな」
省吾の言葉に玲子は何も答えず、キッチンからウイスキーのボトルとグラスを二つ持ってきた。
「バランタインか。さすが上等な酒を飲んでるな」
「このマンション以外にも、パトロンが金をぎょうさん残してくれたから」
玲子の横顔が妙に寂しげだったのが、省吾には気になった。もしかしたら、本当にその男に惚れていたのかもしれない。
「そういわれましてもね……」
眼鏡を指で押し上げて、部屋の隅に立ててある姿見をチラッと見た。スーツに黒ぶち眼鏡が意外に自分にも似合うものだと省吾は感心した。
「てめえがここから仲間を拉致して荷物を運び出したんやろ!」
「昨夜ここに引越しすることは二週間も前に決めていたことです。引越し業者に問い合わせてもらったって構いません。この部屋は大山不動産から私が購入したものに間違いないんですから」
「そんな言い訳通ると思っとんのか!」
田島と名乗る男の口から唾が飛ぶ。しかし、もうどうにもならないこともこの男にはわかっているはずだ。
「大山不動産には連絡を取られたんですか?」
「そんな不動産屋、どこにもあらへんのじゃ!」
「おかしいですね。登記簿にはたしかに大山不動産の名前が載っているんですが」
そう言って登記簿のコピーを見せた。しかし、田島はそれには目もくれず、威嚇するような目を向けてくる。そんな目で見つめられても困る。省吾は苦笑いを噛み潰して床に視線を落とした。
そのとき、ドアを開けて若いチンピラが痩せた中年男を連れてきた。
「こら、八坂!」
田島に怒鳴られ、八坂が肩をすくめた。八坂はこの仕事の依頼人だ。
「やってくれたの、こらあ!」
「私は何も……。大山不動産にこの部屋を売ることは、大山さんから田島さんにも連絡はあったんでしょ?」
競売に出されたと聞いた田島が、八坂が部屋を購入する前に月額五千円という法外に安い賃貸料で、八坂の前の部屋の持ち主と賃貸契約を結んでいた。そのことを承知で大山不動産が八坂からこの部屋を買い、正規の家賃を大山不動産の口座に振り込むよう、田島に内容証明郵便を送った。家賃が高いとごねた田島が、従来の家賃の五千円を大山不動産を受取人として裁判所に供託していた。それを確認してから省吾は行動を起こしたのだ。
「大山さんに事情を聞くしかありませんねぇ……」
「それに、こっちは賃貸契約を一方的に解除されたんや! 契約解除は無効なんや。俺の甥っ子はまだこの部屋に住む権利があるんじゃ! 早よ荷物まとめて出ていけ!」
「家賃を滞納したから契約を解除したことになってますが……」
「供託しとったんじゃ!」
「そういわれましても」そういって、省吾は伝家の宝刀を抜いた。「私どもは善意の第三者ですので、田島さんとしては、大山不動産の経営者を見つけて事情を聞くしかありませんね。甥御さんが攫われたことは警察に連絡済みなんですよね?」
「警察なんかあてになるか! 俺を馬鹿にしてんのかい!」
借家法を逆手にとって部屋を占拠していた男が追い出されただけのことだ。こんな事件、忙しい警察が真剣に捜査するわけがない。それも見越しての昨夜の作戦だったのだ。
「お前も無関係やあらへんで」
「だからいっているでしょ。われわれは善意の第三者だと。こうなれば裁判で決着をつけるしか」
「何が裁判じゃ、こら!」
田島が省吾を睨みつけた。省吾も負けじと田島を静かに睨みつける。裁判に訴えられれば、自分たちが負けることを田島もわかっている。だから、訴訟に持ち込まれるのだけはなんとしても妨害しようとするだろうが、そんなことはさせない。
ドアのベルが鳴った。省吾が立ち上がってドアを開ける。
「待っていました」そういって、訪問者を居間に通す。
「こちら、弁護士の吉岡先生です」
省吾に紹介された吉岡が腰を折って礼をした。怒りで赤らんでいた田島の顔から血の気が引いた。これで勝負に決着がついた。
「私が調べた結果、八坂さんと大山不動産、それに田所さんと大山不動産の売買契約は適法に行われております。大山不動産は田島さんとの賃貸借契約を不法に解約してこの物件を田所さんに売ったんでしょうな。大山不動産の詐欺行為は明らかです」
「そんなことわかっとるわ!」
「田島さんにできることは、大山不動産の経営者を見つけて、不法に賃貸借契約を解除されたことによる損害賠償を請求するしかありませんな」
田島が深いため息をついてソファーに深く凭れた。弁護士が出てきた以上、この男はこれ以上騒ぎ立てたりしない。裏の社会の住人である以上、この男も引き際を心得ているようだ。
「注意せいよ。この部屋は呪われとるらしいで。住人には祟りが降りよるらしいわ」
「祟りですか」省吾は笑いを堪えるのに必死だった。
「それは、貴重な情報をありがとうございます。では、私も今日から見知らぬ訪問者が来たときは居留守を使い、駅のホームにいるときは奥に下がり、歩道を歩くときは後ろから来る車に注意して、夜に外を出歩くときは人通りの多い道を歩くことにしますよ」
田島は黙って省吾を睨むと、ソファーから腰を上げて黙って部屋から出ていった。