ハイエナたちの掟 7
「いらっしゃいませ」
エミリの陽気な声が店中に響く。客の元にすばやく移動し、注文を聞く。この店で働き始めてちょうど一週間がたった。すっかり省吾の女房気取りで店を切り盛りしている。
省吾はエミリの働きぶりに感心していた。ガールズバーで働いていただけあって手際がいい。カクテルの作り方も簡単にマスターした。裏の仕事で店を留守にすることの多い省吾には、エミリの存在は正直大助かりだった。この娘をこのままここで雇うべきか、本気で考えなくてはならない。あまり深入りしすぎると情が移って切りにくくなるし、裏の仕事のことを知られてしまう恐れもある。
また一人、客が入っていた。背の高い男の客がドアに近い席に座った。ここのところ毎日通ってくる二十前の男だ。エミリがこの店で働き始めてから男の客が増えたようだ。彼女を口説こうと客の何人かはこの店に来ては涙ぐましい努力をしている。この男もなかなかのイケメンだが、年上好みのエミリは関心なさそうだ。
「今日は何時までなん?」男が身を乗り出して、カクテルを持ってきたエミリに聞いている。
「うーん、まだわかんない」
「店終わったら、一緒に飲みにいこうや。この先にできたお洒落なパブ、知ってるやろ? いい曲かかってんだよ」
「お酒ならここで飲んでいってよ。ジャズだっていいのがかかってるし」
男が懸命にエミリを店外に連れ出そうとしている。まるでスナックのホステスを口説くのりでエミリを口説いている。また別の客が来た。男の相手をしながら、エミリは次々にやってくる客をうまく捌いていく。省吾は客をエミリに任せ、カクテルと料理を担当した。この女にはバーを経営する能力が備わっているのかもしれない。
男の客はカクテルを飲んだ後、ワイルドターキーのロックを三杯お代わりした。他の客が帰ってもまだ粘っている。今夜はずいぶんがんばる。勝負に出ているのだろう。
「今夜は忙しいし……」
しつこく誘ってくる男にそういうと、省吾のほうをチラッと見て助けを求めてきたが、グラスを磨きながらエミリの視線に気づかない振りをした。その程度の男の誘いをいなせなきゃ、この店ではやっていけない。彼女にはこの試練を乗り越えてもらう必要がある。
「俺、いつまでも待ってるから」
「そんなんゆわれても困るわ」
ドアが勢いよく開いた。金髪を左右に流し、耳にピアスを光らせている二十歳半ばの男が店に入ってきた。男に視線を向けたエミリの顔が一気にこわばる。
「エミリちゃん、ここにおったんかい」
エミリの前のスツールに腰掛け肘をテーブルの上にのせると、顔に冷酷な笑みを浮かべて身を乗り出した。
「えらい探したがな」そういって、スーツの胸ポケットからタバコを取り出した。「借金、早よ払ろて欲しいんやけど」
「払ろてってゆわれたって」
「金がないんやったら、もっと稼ぎのええ仕事紹介したるから」
エミリを口説いていた男が席を立って黙って出て行った。この男が、エミリが金をつぎ込まされたヒロキとかいうホストか。
「風俗で働くのは嫌や」
「じゃあ、五十万円、どうやって払うつもりやねん。こんなとこでバイトしとっても金にならんで。それに、利子かてどんどんついとるんやで。放っといたらあかんで」
「利子って何よ」
「借りた金には利子がつくもんや」
「そんな話、初めてきいたわ」
「そんなん、常識やで」
「それに私、五十万も飲んでへん」
男の顔から笑みが消えた。
「借金踏み倒す気か、こらあ」まるで人が変わったように声を荒げ、スツールから立ち上がって男が凄んだ。すっかり怯えたエミリの顔から血の気が失せていた。唇を硬く閉じ、目に涙を浮かべている。
「なあ、俺がええ店紹介したる。そこで働いたら五十万なんか、一月で稼げるで」
「こいつに借金なんてないんだよ」省吾がカウンターから出て男の傍になった。
「なんや、おっさん。関係ないやろ。向こういっとけ」
男が省吾を睨みつける。
「こいつがこれまであんたにいくら飲み代を払ったか、俺は知ってるぜ」
「だからなんやねん。飲んだ以上のツケがまだ残っとるんや。舐めたことゆうとったら殺すぞ」
省吾はいきなり男の胸倉をつかんで引き上げた。太い腕から生み出される万力のような強い力に男がなすすべもなく戸惑っている。
「離せや、こら」
怖気づきながらも、何とか虚勢を張っているのがわかる。
「こいつの借用書でももってきてんのか」
「ふざけんな。飲食代のツケや。そんなもんあるか」
「じゃあ、借金はないんだよ」
省吾は胸倉をつかんだまま、男を店の外に連れ出した。
「こんなことで借金踏み倒せる思とんのか?」
「ない借金は踏み倒す必要は無いんだよ」
「あの女庇ってるつもりなんか? 格好つけとったら、この店ぼこぼこにされてまうで」
「やってみろよ。お前みたいな糞ホストに何ができるんだ」そういって道路に男を突き放す。
「ふん」道路に唾を吐くと、男が捨て台詞も吐かずに背を向けた。おとなしく戻っていったところをみると、仲間を連れてくるつもりなのだろう。
店に戻ると、エミリがまだ青い顔でカウンターの中に立っていた。
「マスター、やばいで。ヒロキ、仲間ぎょうさん連れてくるつもりや」
「気にするな」
そういってカウンターの中に戻ると、グラスを再び磨き始めた。
「あの店のホスト、やばい奴らとつながってんねんから」
「ガキは何人集まってもガキだ」
「そんなことゆうとったらあかんよ。ここら辺のワルはほんまにめちゃめちゃするんやから。警察もヤクザも怖がらんねんで」
「だからって、このまま逃げるわけにはいかんだろ。店を空にしたら好き放題壊されちまう。お前だけでも逃げろよ」
「そんなん……できるわけないやん……」
「お前がいても邪魔になるだけだ」
「ひどいこといいよる」そういって涙ぐんだが、彼女は店から逃げ出す気はないようだ。