ハイエナたちの掟 11
外はもうとっくに日が暮れ、暗くなっている。
まだ頭が現実の世界に戻ってきていなかった。さっきまでの喧騒とした会場内とは打って変わり、木々に囲まれた会場の周りには人影もまばらだった。さっきまでうじゃうじゃしていた若い男の姿は見えず、家路を急ぐサラリーマンばかりが目立つ。
あんなにいた鬱陶しい男どもはもういない。ステージで見た女の子の裸を想像して、今頃部屋に戻って男の寂しい作業でもしているのだろう。
手に持っていたスマートフォンが震えた。
「パパ」
「おお、リナか。今、お前をいじめた同級生においたをしているところやで」
「ほんまに!」
「ほら、聞いてみいや」
受話器から若い女の叫び声が聞こえてくる。
「ありがとう、パパ! でも、そいつ釈放したら警察にちくられるのんとちゃうん?」
「大丈夫や。明日から、うちの従業員として働いてもらうんやから」
「パパの会社の従業員? なんでそんな女を雇うん?」
「事務所で雇うんやないんや。パパはいろんな商売やってるから」
マンショントルコ、略してマントルという言葉は十年以上前に流行った言葉だが、店自体はほぼ絶滅した。ただ、裏風俗として経営を続けているのは、今はマントルしかない。
「まあ、パパに任しとけ」
「ありがとうパパ!」
通話が切れた。おそらく蔵祐とその部下が彼女を犯しているのだろう。これであの女も終わりだ。
中学時代はぐれていた。中二で暴走族のリーダーだった男に初めて抱かれて、セックスの味を知った。金を手にするために、テレクラや携帯電話の掲示板に男を誘うメッセージを残して、この若い体を売った。男たちは女子中学生の身体に惜しみなく金を払った。自分の肉体にどれほどの価値があるのか、その頃に知った。
高校にあがると、学校にも行かずに街で遊びまわった。結局、半年ほどで高校を中退し、歳をごまかしてスナックや風俗店で働いた。この世の春を謳歌していた輝いていた時期。金はいくらあっても足りなかった。
そして、今がまさに人生で最高に輝いているときだ。これから先も、いくらでも金が要る。こんな蛙のような男の臭いペニスを咥えているのも、もっと輝くために他ならない。
みていろ。そのうち絶対センターを獲って有名になってやるからな。
頭の中ではうんざりするほど聞き飽きたサウンドがまだ渦巻いている。今日も二時間、ステージでさんざん踊らされて汗まみれになった。早く帰ってシャワーを浴びたかったが、なんとなく部屋に帰る気になれずに街路樹を囲んでいる柵に腰かけていた。
頭に浮かんでくるのはリーダーの大森ナナエの華やかな姿だった。やはり、センターを取らないとダメだ。ステージの脇でパンツを見せて踊っているだけじゃ、いつまでたってもオタク男どもの夜のオカズにしかなれない。
絶対に全国区に打って出て有名になってやるんだから。
でも藏祐は本当に私をセンターにしてくれるのだろうか?
確かにお小遣いには困らないけど、この若い身体を欲しがる男はいっぱいいる。もっと若くて金を持っている男だって、この身体を好きにするためには大枚を払うはずだ。蔵祐に抱かれているのは、この世界で成功するためには、あの男の力がどうしても必要だからだ。このままじゃ、何のためにあの醜い中年男に抱かれているのかわからない。
むしゃくしゃする。こんな時は若い男と交わるのがいい。仕事で疲れている男は女を欲しがるというが、女の疲れた体にも男が必要なのだ。
タクヤを呼び出そう。
遠藤リナはバッグから携帯電話を取り出した。タクヤの番号を呼び出していると、横から誰かが近づいてくる気配を感じた。足音が目の前で止まったので、リナは顔を上げた。
目の前に二〇代半ばの女が立っていた。
「まだ帰らないの?」
女が口を開いた。色気のある、低いいい声だ。
「あんた、誰?」
ふっと女は笑った。見たことのない女だった。ずいぶん大人びた落ち着いた雰囲気の女だ。自分のファンには見えない
「やっと見つけた」
そういって、一枚のDVDを目の前に差し出した。
「何やの? アマバン? 私に曲聞いて欲しいん?」
「中身を見て欲しいの」
「PV? 悪いけど、私、暇ちゃうねん。それに、これでも一応プロやから。歌うまなりたかったら、とりあえず養成所に通ってみたら? 一応、アドバイス」
「あなただって、そんなに歌、上手くないじゃない」
「なんやて!」
リナは立ち上がって女を睨んだ。
「とにかくこれを見て。どうしても見たくないなら別にいいけど、あなたにとってとても関係あることなの」
「だから、なんやのん」
「これで、あなたは終わりよ。田中智子さん」
リナは息を飲んで身構えた。この女も自分の本名を知っている。
女はリナにDVDを押し付けると、踵を返して立ち去っていった。
タクヤの動きが止まって、同時にリナの中に欲望の液体が何度も何度も打ち付けられた。タクヤはリナの体を後ろからきつく抱きしめた。
「ああ……リナ……良かったよ」
タクヤがペニスをリナの膣から抜いた。
ごぼっと言う音を立てて、精液が床に零れ落ちた。
リナの両足から力が抜けて、その場に崩れてしまった。タクヤがそっとリナを抱き抱える。逞しい筋肉質の身体に自分の身体をあずけ、リナはうっとりとした。まだ二十歳過ぎの活きのいいホスト。カエルのように太った中年男とはやっぱり違う。たまには若い男に抱かれなくては、女が腐ってしまう。
「もう、こんな時間やんけ」フローリングの床に落ちた精液をぬぐい取ると、タクヤがわざとらしく時計を見る。
「今から他の女のところに行くんやろ」
「そんなことあらへんわ。こんなに出してもたから、もう空っぽやで」
タクヤは立ち上がると、全裸のままバスルームに向かった。そのまま床に転がりながらぼんやりしていると、開いたバッグの口から女からもらったDVDが顔を覗かせていた。
これで、あなたは終わりよ。あのDVDを押し付けて、あの女はそう言った。
「何やのん、一体」
リナはのろのろ立ち上がると、DVDをケースから出して、再生デッキに放り込んだ。タクヤがシャワーを浴びる音がバスルームから聞こえてくる。
テレビ画面に映像が現れた。どこかの室内のようだ。
男の子たちに囲まれてタバコを吸う少女が映し出された。画面に現れた二人の女を見て、リナは悲鳴を上げそうになった。
一人は男の子たちに殺された不良仲間。もう一人は整形前のリナ自身だった。
画面が変わる。男の子たちに輪姦されたばかりの裸の少女に、整形前の自分が蹴りを入れている。
また画面が変わった。今度は死んだ少女の周りで男たちがうなだれている場面だった。リナはその場で固まったまま、画面を凝視していた。
こいつ、どうする?
埋めてまおうぜ。
そして男の子達が死体を運び出している。
誰がこんなものを撮影していたのか。
このアングル、この位置にいたのは誰だったか。
リナは頭の中の古い引き出しを開けて必死にかき回しながら、当時のことを思い出そうとした。
思い出した。この映像に写っていない男が一人と女が一人。
あいつらだ!
仲間たちに使い走りにさせられ、いつも金をせびられていた男。
それでいて、不良グループの一員として威張っていた。
女の方は、リナやあの不良たちに命令させて、女子風呂や女子トイレの盗撮をさせられていた。可愛い女だったが、気が弱く大人しかったので、いつもリナたち不良少女たちのいじめの対象になっていた。
あの男もあの女も事情聴取を受けた。
初めはみんなで口裏を合わせてふたりに罪をかぶせようとしていた。
しかし、刑事の取り調べで嘘がばれた。所詮は一五歳の中学生。刑事に嘘を突き通すことなどできっこなかったのだ。
少女を犯した男子二人は懲役五年、殺した男が八年を食らった。
リナはなんとか罪を免れた。少女に暴力をふるったが、男子たちがそのことを黙っていてくれたのだ。
しかし、このDVDが公になれば、暴行罪に問われるかもしれない。下手をすれば傷害致死、あるいは殺人の共犯に。
たとえ罪に問われなくとも、致命的なのは昔の自分のことが公になることだ。
過去の不良時代のことも暴かれるだろう。そうなれば、アイドル生命も終わりだ。
どうしてこんなDVDが今頃になって出てきたのか。
「お疲れさまでした~」
スタッフが戻ってくる女の子たちを迎え入れている。全国区で売り出されることが約束されているセンターに陣取る五名のメンバーは、当然のように自分たちの控え室に入っていくが、その他大勢の地下アイドル達は次々に大部屋に押し込められていく。
楽屋の中では、すでに仲の良いメンバー同士の輪があちこちにできていて、持ち寄ったジュースやお菓子でささやかな慰労会を始めていた。その一方で、メンバーとの会話もそこそこに切り上げて着替えているメンバーもいる。長時間の握手会に疲労困憊して帰宅するものは、ジーンズに洗いざらしのトレーナーといったラフな服装に着替え、疲れきった顔で部屋を出ていくが、この後特別な仕事が入っているメンバーは、胸が大きく開いたシャツや女子高生でも穿きそうにないやたら短いスカートをつけ、鏡の前で丹念に化粧を直している。
「最悪」
川崎ミカが手の匂いをかぎながら部屋に戻ってきた。
「どうしたん?」
「これ、絶対ザーメンの匂いや」そう言って、手を突き出してくる。
「いらんわ、そんなん」
リナは顔をしかめて横を向いた。地下アイドルの握手会ではよくあることだ。握手会が始まる前、トイレで自慰をして手の中に射精し、軽く拭いたあと、その手で女の子たちと握手をして興奮するどうしようもない輩がいるのだ。
「ほんまに、最近はキモい奴がふえたなぁ」川崎ミカは顔をしかめて濡れタオルで手を拭うと、パイプ椅子にどかっと座っていつものように大股を広げてスカートをパタパタやり始めた。
「まあ、私らよりセンターの五人の方が被害大きいやろうけどな」
「握手する人数も私らの一〇倍以上やからな」
今日は時間がないねん。ミカは立ち上がってあっという間に下着姿になった。
「男と会うんか?」
身体じゅうに消臭コロンを吹きかけているミカを見て、リナがにやついた。
「まあ、いつもの小遣い稼ぎや」
「金持なん?」
「四〇過ぎのアパレルの社長」
「ええのん捕まえたな」
しかし、いつものように突っ込んで聞く気になれなかった。握手会の間も、顔では笑いながらずっとDVDのことを考えていた。
昨日のあの女は誰だったのか。
「リナちゃん、電話やで」
スタッフの女性がドアを開けて声を上げた。
「なんでか知らんけど、会場の事務所にかかってきたらしいわ。そこのスタッフルームに転送してもろたから」そう言って、廊下の突きあたりにある部屋を指さしている。
「だれから?」
「リナちゃんの事務所の社長からやて」
藏祐の愛人の女社長だ。今まで、社長から直接電話を貰うことはなかった。藏祐とのことがばれたのか。
リナは小走りに廊下を進み、ドアを開けてデスクの上の電話を取った。
「もしもし。遠藤です」
「DVDは見た?」
あの女だ。
「あんた、誰なん?」
「私はあなたの秘密を知っている。女子中学生を監禁してみんなで輪姦して殺した事件。仲間たちは今も刑務所の中でしょ。あなた、自分だけ罪に問われなくて彼らに悪いと思わないの?」
「私は関係ないやん」
「何言ってるの? DVD見たんでしょ? あなたの姿もばっちり映っていたわ」
「私が映ってたって? 何ゆうてんねん」
「とぼけたってだめよ。整形して別人みたいに顔を変えても、調べればあなたとあのDVDに映っていた女の子が同一人物だってことはすぐにわかるの。いくら顔を変えても無駄よ」
電話の向こうで女がフフッと笑う。
「警察には見ていただけとか言っていたくせに、暴行に加わっていたじゃない。あなたもあの場で女の子に暴行したことは、あのDVDが証明してくれる。悪質だから、知れたらあなたも実刑は間違いないわね」
「何が望みなん?」
「あなたが苦しむのが見たいだけ」
電話が切れた。リナは受話器を置いた。手が震えている。
アイドルになって昔の仲間を見返してやりたくて、あの醜い男に身体まで捧げてここまでやってきた。
やっと売れ始めたばかりなのに。
ここまできて下手打ってたまるものか。